型通りの領地視察

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「おつかれさまです」

 苦笑したレイモンドが、あたしを労う。あたしは苦笑するだけに留めた。義弟についてなにかを話したい気持ちになったけど、楽しい気分になりそうになかったから、口をつぐんで頭を切り替えた。

 ちょっとだけ楽な姿勢になって、レイモンドに問いかける。

「ねえ。公爵領の資料はこちらでも読める?」
「もちろん。そうおっしゃると思って積み込ませていますが、酔いませんか」
「ざっとあらましを再確認する程度なら、大丈夫でしょ」

 そう言いながら、レイモンドが差し出してきた資料を受け取る。

 まあ、確かに、昨日今日のうちに領地の全容は把握してはいる。
 ただ、それでも、何度でも確認しておきたいんだよ。

 なんてったって、あたしはモブだからね。

 あの物語の主人公のように、領地改革に有効な知識は持ち合わせていない。本で読んだから、必要な改革の方向性は覚えている。でもその具体的な知識は覚えていないんだ。

 というよりも、書かれていなかった、というべきかな。

 本に書かれてないことは、読者にわからない。
 道理だよね。

 だからあたしは、あの物語の主人公として、どう指示を出せばいいのか、わからないんだ。

 もちろん、あたしは次期王妃として、国を統治するための教育は受けていた。

 国と領地とでは、統治の規模はちがう。でも本質的には一緒なんだ。だから王妃教育は領地運営には有効なはずなんだけど、そもそも統治者の仕事って舵取りなんだよね。

 文官たちが現場に行って状況を把握し、対処を考えて指示を仰いでくる。
 その指示が、定めた方針に寄り添っているかどうか、確認して考慮する。指示する。了承する。必要なら対処方法を修正する。それが統治者の役目だと教わった。

 だけどさ、あたしの役割は、公爵から預かった領地を、問題なく維持することなんだ。

 次代の領主、セドリックにつつがなく手渡すこと。

 だから、領地の方針を変えることはできないし、成果をあげすぎるのも良くない。公爵領地の周辺には、他貴族の領地があって、その領地間のバランスを取る必要もあるからね。

 同時に、領地の運営はナマモノだって視野もあるよ。

 毎日、いろんな出来事が起こる。
 あるいは、いろんな出来事を起こそうとする人がいる。

 その出来事にも対処していかなくちゃいけないんだ。

 にしてもさあ。

「なにを考えてるのかね、公爵。サクッとあたしを修道院に送ってくれた方が楽なのに」
「不敬ですよ、セラフィーナ様」
「なにさ。ここにはあんたとあたしの二人しか、いないってーのに?」
「だからですよ。普段からその態度だと、気を抜いたときがこわいです」

 ですから、と、レイモンドは輝く笑顔で言い切った。

「あんちくしょう、と呼びましょう。それなら誰にも、正体がわからないですから」
「……いや、それはさ」

 あの冷徹な公爵をあんちくしょうと呼ぶ方が、よっぽどの不敬じゃないか?

 と思ったんだけど、でもレイモンドの輝く笑顔が有無を言わせない。なんとなくなんだけど、言っちゃいけない気持ちになる。

 そういえば、以前、執事たちがレイモンドに対して、逆らっちゃいけない雰囲気がある、と噂してたことがあるっけ。これか。

 ま、まあいいか。
 気を取り直して、あたしはレイモンドに問いかける。

「ええと、あんちくしょうはなにを考えて、あたしに領地運営を任せようとしたんだと思う?」

 するとレイモンドは、あいまいな微笑みを浮かべ直した。

「まず、俺が考えつく第一の理由はさておいて」
「さておくな。それ、いちばん重要なやつ」
「さておいて。……ご本人がおっしゃっていたじゃないですか。公爵家として、王妃教育を施した者を無為に放逐するなんてできない、と」

 それは覚えてる。
 確かに、あの実利主義の公爵らしい発言なんだけどさ。

 あたしは頬に指を添えながら言った。

「でもさ。セドリックが学園を卒業するまで間がある上に、公爵自身の領地経営に問題があるわけじゃないんだよ。そもそも働き盛りで、健康上の不安もないからね。それなのに、婚約破棄された娘に領地の運営を任せるってどういう思惑があるんだと思う?」
「……時間稼ぎ、でしょうか」
「時間稼ぎ?」

 あたしが訊ね返すと、レイモンドは「ええ」とうなずいた。

「セラフィーナ様の醜聞を貴族たちが忘れるまでの時間稼ぎです。加えて、たしかな実績を積ませておきたいという思惑もあるのかもしれません。聖女を傷つけるという醜聞を引き起こしたが、貴族の奥方としての能力には瑕疵がない。そう知らしめて、セラフィーナ様の新たな婚姻相手を探すおつもりなのでは」

 ち、とあたしは舌打ちした。

 レイモンドの言葉は、あくまでも彼の推測だけど、可能性はあると思ったんだ。

 アシュベリー公爵家は、王家第一の臣下だからこそ、他の貴族とのつながりを大切にしなければならない。そのつながりを保つ、もっとも効率的な方法は婚姻だ。その理屈はわかるんだけど、勝手に未来を決められる居心地の悪さは感じるよね。

(もっとも)

 悪役令嬢としての未来を回避するなら、ひとつの手段ではある。

 この世界が描いている筋道は、悪役令嬢に貶められたセラフィーナが領地改革を進めながら、己の潔白を証明し、そして隣国の皇妃となること。皇妃になりたくないのなら、その前に、あたしが他の誰かと婚姻を結べばいい。そうしたら未来は変わる。

 ただ、まあ、それは最終手段かな。

 我ながら前時代的だと思うんだけど、婚姻を結ぶとしたら、あたしはやっぱり、ちゃんと好きになれる相手がいい。なにせ失恋したばかりだから、恋愛も結婚も出産もこりごりだと思ってる。それでも必要があって結婚しなくちゃいけないのなら、ちゃんと好意を持てる相手でないと、ヤダ、って思ってる。

 ちなみに、隣国の皇帝は、あたしの好みじゃない。

 金髪碧眼で、文武ともに優れた青年だと教わっている。元は第三王子だったにもかかわらず、前皇妃の息子だからこそ皇太子に選ばれ、そして皇帝になり、兄たちもそれを支持したとか。本当のところはわからないけど、諸外国ではそういう話になってる。

 物語では、悪役令嬢セラフィーナを溺愛する旦那さまになってたよ。その溺愛っぷりがまた、乙女心に訴える愛しかただったんだよなあ。うん、当時のあたしもときめいた。

 でも現実になるのだとしたら、話は別。

 いやあ、だって、現実のあたしは、あたしだからね。
 モブ野モブ子だからね。

 キラキラした溺愛物語は、他の女性に譲らせていただく。

「……いっそ、領地に到着する前に、行方をくらませるのもありっちゃありよね」

 あたしがそう言うと、レイモンドはあっさりと言い放った。

「現実的ではありませんね。公爵家の探索能力を甘く見てらっしゃいます」

 くそう、やっぱりか。

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