型通りの領地視察
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馬車は二週間かけて、王都の北にある公爵領に向かった。
現代日本の交通事情を思い出したら、驚くしかないほどのんびりとしたペースだけど、これはしかたない。なんていったって、馬車は生身の動物が引く移動手段だ。時折、休憩を入れて、さらには夜、睡眠を取らせなければならない。
ただ、悪いことばかりではないんだ。
宿場で食事をとるときは、その宿に滞在している旅人と情報交換できるし、護衛してくれている騎士たちとも親しく交流できる。早くも王都での出来事が広まってることには笑ったよね。
レイモンドや騎士たちはあわてていたけれど、あわてることじゃない。貴族の醜聞なんて、民衆にとっちゃ、絶好のつまみだってこと、あたしだってわかってるさ。
なんでも、アシュベリー公爵令嬢は、とても高慢な、嫉妬深い人間らしいよ。
だから、聖女に選ばれた少女と、婚約者である王太子の間を邪推して、嫉妬して、あげく追放されるようなことをしでかしたんだってさ。皮肉なことに、公爵令嬢のその行為こそが、聖女と王太子を結びつけたんだって、わかったように、みんなが言ってる。
そうなのですね、と、素知らぬ顔でうなずけば、酒の入った旅人は次々、教えてくれた。
いま、王都では王太子の婚姻相手は聖女こそ相応しいという一派と、聖女とはいえ平民を王太子妃に迎えるわけにはいかないという一派とが、激しく対立しているらしい。
それはそれは、大変な事態だ。
あのヒロインと王太子の間に挟まれる、新たな被害者が出るかもしれないってことが。
もっとも、王太子の年齢的に、ほとんどの貴族令嬢には婚約者がいるはずだから、聖女が婚姻相手に選ばれる可能性が高いんじゃないかなあ。
よかったよ、被害が防がれて。
――そして、この噂すら、悪役令嬢転生ものの物語に描かれた通りなのだ。
怖いと思う。
物語では、この噂も、いずれ反転する。追放されたセラフィーナが領地運営で成果を出すことによって、民衆の視点が変わってくるのだ。はじめは喝采を浴びていた王太子と聖女の運命的な恋愛も、道を外れた不道徳的な恋愛、と受け取られるようになる。
本当に、怖いよね。
その変転は、物語の強制力によるものなのか、それとも、いかにも民衆らしい、変わり身によるものなのか。区別がつかないところが、マジで怖い。
ただ、あたしには怖がる資格がない。
なぜならあたしは、悪役令嬢として、この物語の主人公として、自分の運命を切り拓ける、と、約束されている。
断罪以上の窮地はない。
だからこそ怖がる資格がない。
そうなのかな、と疑問視する声は、あたしの中だけで響いている。
「セラフィーナ様。屋敷に到着いたしました」
馬車の中で考えに沈んでいたあたしは、馬車の外から響いた護衛の声に顔をあげた。
レイモンドに視線を向けると、あたしの意思を理解したレイモンドは護衛に対応する。やがて扉が開かれ、先にレイモンドが降りる。それから差し伸べられたレイモンドの手を取って、あたしはしずしずと馬車から降りた。
「お待ちしておりました、セラフィーナ様」
そう言って静かに一礼した、白髪の執政官に対し、あたしは令嬢らしく微笑んだ。
「ひさしぶりね、ローレンス。変わりないようで安心したわ」
「おそれおおいことでございます。セラフィーナ様はますます、大奥様に似てこられましたな。お美しくなられた」
そう言ってあたしを見て目を細めたローレンスは、幼いあたしを知る人物だ。
温厚篤実なロマンスグレイ、そしてもちろん、公爵が領地の執政官として据えるほど優秀な人材である。これからの領地経営においても、あたしの助けになってくれるだろうことは、まちがいない。悪役令嬢転生もの物語においても、彼の能力は保証されている。
ちなみに大奥様とは、セラフィーナの祖母にあたる先代公爵夫人のことだ。
すでに鬼籍に入っているものの、その名声は今なお領地に残っている。その美貌だけでなく、卓越した才覚によって公爵領を支えた女性だった。先見の明に富み、飢饉が起きないよう、病が流行らないよう、先手を打った人物だと伝わっているんだけどさ。
いやいやいや、そんな伝説的な人物と、あたしを重ねないでほしい。
これからちゃんと領地経営できるのかどうか、とてもビッグな不安を抱えているあたしにとって、ものすごいプレッシャーですからー!!
と、叫び出したい気持ちをこらえながら、あたしはローレンスの背後に控えている文官たちにも目を向けた。
さらりと視線を巡らせたところ、あたしに対してマイナス感情を抱えているらしき存在がいない。意外だった。あたしの醜聞はこの途中の旅路において、とっくに噂になっているのに、と考えていると、ローレンスがさりげなく言う。
「わたしが鍛えておるのです。セラフィーナ様の資質を疑問視するような不心得者はこの館にはおりませんぞ」
「『……頼もしいわ』」
あたしは苦笑を浮かべてしまいながら、悪役令嬢のセリフを告げた。
そういえばそうだったな、と思い出した。物語においても、ローレンスは大奥様に似ているセラフィーナに、かなり傾倒していたんだっけ。そしてセラフィーナはその期待を、大幅に上回る形で応えていく。
だからこそ、ローレンスはセドリックではなくセラフィーナを将来の主君として迎えたい、と、そう考えるようになるんだよね。
(でも、あたしだからな)
現実に生きる人の生活が絡んでるんだ。
領地運営に手を抜くつもりはないよ。
たとえそれが、悪役令嬢としての道筋に従う形になったとしても、今を精一杯生きる人の、約束された幸福を奪い去っていいとは思えない。そんなの、ただのわがままだし、もっと率直にいうなら、迷惑でしかないからね。
でも、モブでしかないあたしだから、どんなに頑張っても、本来の悪役令嬢が成し遂げられるほどの成果を上げることはできない、とも思っちゃうんだ。
「『さっそくなんだけど、最近の資料を見せてもらえるかしら。王都に提出された資料では、つかみきれない実態があると思うのよ』」
だからあたしは、悪役令嬢の道筋にのっかかることにした。
いまはね。
悪役令嬢のセリフを言うと、ローレンスたちは感動したようだった。
や、わかっちゃいたけど、あまりにも物語通りの展開だから、ちょっと怖気おじけ付くよね。
あたしは物語に描かれている通りに、領地を改革できるんじゃないかって錯覚しそうになる。油断禁物。あたしはモブなんだから今後に期待しないようにしないと。
「セラフィーナ様?」
するとレイモンドが、心配そうにあたしをのぞき込んできた。
「大丈夫なのですか。お疲れなのでは」
あたしはちらりと笑った。
「『大丈夫よ。ありがとう、レイモンド』」
ところがレイモンドは、あたしのセリフを聞いてため息をついた。
ローレンスを振り返り、「申し訳ありません、ローレンス卿。先に、セラフィーナ様を休ませていただけますか」と言う。
あたしはあわてて「レイモンド、本当に大丈夫よ」と言葉を重ねた。
いや、だって、本当に大丈夫なんだよ。そりゃ長時間馬車に乗っていたから、体は疲れているけれど、心は元気いっぱい。頭だってフル回転できるはずさ。
でもレイモンドは譲らない。
「セラフィーナ様の『大丈夫』は信用できません。そうおっしゃられて、あとでお倒れになることもありえます。――ローレンス卿」
「レイモンド!」
あたしとレイモンドの板挟みになったローレンスは、ちょっとおかしそうに笑った。
「そうですなあ。大奥様の『大丈夫』も信用できないものでした。……セラフィーナ様、大丈夫ですぞ。我々がついております。長旅のお疲れを癒す時間くらいはありますとも」
「ローレンス」
「どうぞ、おやすみください。あなた様のお気持ちは確かに受け取りましたゆえ」
そう言ってローレンスは、控えていた侍女に、あたしを用意させていた部屋に案内するように申し付けた。
あたしはため息をつく。
せっかく覚悟を決めたのに、まさかこんな番狂わせが起きるとは思わなかった。
