型通りの期待
5
この領主館には、館をぐるりと取り囲む形で、趣向を凝らした庭が整備されている。
四つの季節ごとに、それぞれの庭でガーデンパーティーが催せるように、なんだけど、北の庭にある温室は、長い間、使われてない。
なぜかというと、その温室はあの伝説的な前公爵夫人が憩いの場としていたからだ。
お祖母様は忙しい執務の合間に、夫と共に、温室でお茶の時間を楽しんでいたらしい。だから、お祖母様が亡くなられた後、夫である前公爵は温室に手を加えることを禁じた。息子である現公爵も、その意向を受け継いだから、瀟洒な温室は荒れてしまったわけだ。
でもこれ、後付けの理由じゃないかってあたしは思うんだ。
うん、あの物語を描いた著者が、この警備万全な館で襲撃事件を引き起こすために、無理やり決め込んだ設定なんじゃないかって。そうでもしなくちゃ、特殊スキルもない一般女性に、騎士たちを出し抜いて館に潜むなんて、無理でしょ。
メタな視点だけど、あながち間違いじゃないと思うんだよね。
(そう考えると、腹が立つな)
妻を忘れられなかった老人の気持ちまで、都合のいい舞台装置みたいに扱って。
自分や婚約者の無念を晴らしたいと考える女性に、都合よく利用させて。
本当に、性格が悪い物語世界だと思う。
ゆっくりと陽が沈もうとしているなか、温室はひっそりと佇んでいた。ちょっとだけ感傷に沈みそうになったけど、あたしはレイモンドと共に、温室の扉に向かう。
鍵は、かかってない。
「セラフィーナ様」
レイモンドが呼びかけてきたから、あたしはちょっと苦笑した。
「大丈夫。マリアとの約束は忘れてないよ。騎士たちがくるまで、突入はしない。でも」
そこまで言いかけて、あたしは息を止めた。
薄汚れた温室のガラス越しに、なにかが動いた気がしたんだ。
次の瞬間、レイモンドが動き、あたしを強く引き寄せる。
ガシャン、と温室の扉が開く。
そのまま飛び出してきた影は、あたしを腕に抱いたままのレイモンドに蹴り飛ばされた。
影は悲鳴をあげる暇もなく、床へ転がる。
転がった影は、あたしの想像した通り、女性だった。
カラカラと女性の手から離れたナイフが地面に転がっていく。乱れた髪の奥で、女性の目がなおもナイフを追っていた。その鼻先で、レイモンドがさらにナイフを蹴り飛ばす。
女性の瞳が、レイモンドと、その腕に抱えられていたあたしを見た。
グッと女性の手が拳を握り、「なんで、」と地面にうずくまったまま叫ぶように言う。
「なんで、そんな女を守るのぉ……っ!」
そのまま女性は、地面についた両手に顔を伏せ、悔しげに泣き始めた。
レイモンドが息を吐く。それでもあたしを自分の背後に追いやり、あたしを庇ったまま、女を見下ろしている。「セラフィーナ様! レイモンド」という呼び声が響いた。
ローレンスだ。騎士たちを従えて、こちらに駆けてくる。ああ、ジョシュアもマリアもいるわ。あたしたちを見つけて、その先に襲撃者も見つけて、焦った表情を浮かべてる。
「セラフィーナ様、ご無事ですかっ!」
血相を変えたマリアが、あたしに飛びついてくる。
痛いくらいの力でマリアはあたしの無事を確かめる。
そんなあたしたちを通りぬけて、騎士たちが泣きじゃくる女を捕縛する。
ジョシュアが息を呑んだ。
「キャシー……」
「知り合いか」
ジョシュアのつぶやきに、レイモンドが反応した。
ジョシュアはうなだれた。
「はい。あの孤児院の件で捕縛されたロバートの婚約者です。……申し訳ありません、セラフィーナ様」と言いながらジョシュアはあたしに向き直り、頭を下げた。
「僕が、この人物を、陳情者の中に入れてしまいました」
マリアを宥めていたあたしは、ゆっくりとジョシュアに向き直る。
首を振った。
領民想いのジョシュアのことだ。
説明されなくても、わかる。
たぶん犯罪者の身内となってしまった知り合いを、ジョシュアは見捨てられなかったんだ。
なにより、この女性、キャシーが襲撃を決めた理由は、あの無責任な噂のせいだ。
もっと言うなら、あの物語が、キャシーを悪役令嬢の襲撃者として選んだからだ。
だから、あたしには、この件において誰かを咎めるつもりはない。
ただ、ローレンスが厳しい顔をして腕を組んでいた。ジョシュアを見つめる眼差しも、想像以上に険しい。
ジョシュアの気持ちは理解できるけれど、この事件を看過できないと言ったところか。
あたしはレイモンドの背後から進み出て、キャシーに近づいた。
騎士たちがあわてて、キャシーをあたしから遠ざけようとするから「待って」と短く制止した。
涙と土とで汚れた、ぐちゃぐちゃの顔でキャシーはあたしを睨む。
その眼差しは確かに強かったけれど、怯んでいる場合じゃない。あたしは冷淡さをよそおう。
「公爵令嬢への襲撃は、どの程度の罪に該当するのかしら」
問いかけられたローレンスは、困惑しながらも答える。
「領主代行への襲撃です。極刑が妥当でしょうな」
その言葉を聞いたキャシーはすうっと青ざめ、ジョシュアも厳しく唇を結んだ。
やっぱりか。
「そう」とあたしは告げて、まっすぐにローレンスを見た。
「でも、だれも傷ついてないわ」
あたしがそう言うと、ジョシュアもマリアも、それからローレンスもあたしを見た。
とりわけローレンスは、難しい顔をしてる。あたしの意図に気づいたんだろう。
「セラフィーナ様。法をくつがえすわけにはまいりません」
あたしは軽く肩をすくめた。
「でも、事実だもの。どちらかといえば、傷ついたのは襲撃者とみなされた彼女なのではなくて?」
そう言いながら、レイモンドをチラリと見た。
完全にいつも通りの態勢に戻っているレイモンドは、すでに苦笑を浮かべている。
「広い、広い領主館に迷い込んでしまって、途方に暮れていたところ、人の気配がしたから助けを求めようとしたのに、こわ~い執事に蹴り倒されてしまったのよ。むしろわたくしが、執事の主人として、彼女に詫びを申し入れなければならないのではないかしら」
「セラフィーナ様っ?」
ジョシュアが驚いたように、あたしを呼んだ。
キャシーも目を丸くする。
ローレンスは、厳しい顔を崩さない。
あたしは高い位置にあるローレンスの瞳を、のぞきこむようにして、言った。
「聖女を苛んだ悪役令嬢が、今度は、領民を極刑にした――そんな噂が広がって、だれが得をすると言うの?」
ローレンスの瞳が、わずかに揺れる。ややして重苦しいため息をついて、言った。
「……正式な記録には残しませぬ。ただし、彼女の身柄と周囲の監視はこちらで預かります」
充分だ。このローレンスからこの言葉を引き出せたのなら、それでいい。
ポンとあたしは両手を合わせて、にっこりと微笑んだ。
「というわけだから、マリア。そちらの彼女の手当てをして差し上げて。ジョシュアはご家族に、一報を入れて差し上げてね。ちょっとしたトラブルがあったから、今宵は領主館で娘さんを預かると。明日の朝、迎えにきてあげて欲しいともね」
あたしがそう言うと、ぽつり、と、掠れた声が響いた。
「……なんで」
キャシーだった。
じっとあたしを見つめたまま、思わずと言ったようにつぶやいた彼女は、その言葉を皮切りに、次々と言葉を吐き出す。
「なんで。……あたしは、あんたを襲ったのに。……なんで、助けてくれようとするの」
「勘違いなさらないで」
あたしは鋭く言った。
「わたくしの執事はもちろん、騎士たちだって、あなたに出し抜かれるような無能ではないのよ。もちろん、そんな彼らに守られているわたくしが、あなたに襲撃されるなんてこと、ありえないの」
そこであたしは言葉を切った。
言っていいのか、一瞬だけ迷って。
それでも、口を開く。
「あなたはまだ、間に合う。心配してくれているご家族のもとに、お戻りなさい」
あたしがそう言ったとたん、キャシーはついに決壊したように激しく泣き出した。
背後で腕を押さえつけられたまま、しゃくりあげるように泣き出したキャシーの姿に、ローレンスはついにため息をついた。騎士たちに合図をして、キャシーを解放させる。マリアがキャシーに歩み寄り、そっとハンカチを手渡した。ジョシュアが一人、覚悟を決めたようにローレンスに向き直る。
「ローレンス様、僕は」
「セラフィーナ様のおっしゃられた通りに。迷子の領民が安心できるように、家族に一報入れてやるといい。ただし、今後はもっと幅広く考えて、動くように」
「……はい」
よし。ジョシュアへの咎めも発生しないな。
よし!
あたしはそっと息をついた。
なんとか、事件を収束させることができた。
それも、物語とはちがう形だ。
あたしはそろそろと自分の手を見下ろし、ぎゅっと握り締めた。
あたしはあたしのままで、あたしらしく生きていけるのかもしれない。
この、悪役令嬢が主役となって展開される世界においても。
「セラフィーナ様」
そう考えていたら、ローレンスが歩み寄ってきた。
顔を上げると、白髪の執政官はゆるりと苦笑を浮かべて、言った。
「……あなた様は、本当に大奥様によく似ておられる」
(――え、)
ローレンスはゆっくりとあたしの横を通り過ぎて、歩み去っていく。
だからあたしの様子に気づかなかったんだろう。
レイモンドが眉を寄せ、あたしの顔をのぞき込む。
心配してくれているのはわかったけれど、でも、あたしは動揺が激しすぎて、何も言えなかった。
(あたしは、やっぱり)
あたしは右手を挙げて、額を抑えた。
(この世界の枠組みから外れることはできないんだろうか)
物語とはちがう形で、事件は収束したのに。
ローレンスはあたしに対し、あの物語で悪役令嬢へ告げる言葉を言ったのだ。
