型通りの期待

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 この領主館には、館をぐるりと取り囲む形で、趣向を凝らした庭が整備されている。
 四つの季節ごとに、それぞれの庭でガーデンパーティーが催せるように、なんだけど、北の庭にある温室は、長い間、使われてない。

 なぜかというと、その温室はあの伝説的な前公爵夫人が憩いの場としていたからだ。

 お祖母様は忙しい執務の合間に、夫と共に、温室でお茶の時間を楽しんでいたらしい。だから、お祖母様が亡くなられた後、夫である前公爵は温室に手を加えることを禁じた。息子である現公爵も、その意向を受け継いだから、瀟洒な温室は荒れてしまったわけだ。

 でもこれ、後付けの理由じゃないかってあたしは思うんだ。

 うん、あの物語を描いた著者が、この警備万全な館で襲撃事件を引き起こすために、無理やり決め込んだ設定なんじゃないかって。そうでもしなくちゃ、特殊スキルもない一般女性に、騎士たちを出し抜いて館に潜むなんて、無理でしょ。

 メタな視点だけど、あながち間違いじゃないと思うんだよね。

(そう考えると、腹が立つな)

 妻を忘れられなかった老人の気持ちまで、都合のいい舞台装置みたいに扱って。
 自分や婚約者の無念を晴らしたいと考える女性に、都合よく利用させて。
 本当に、性格が悪い物語世界だと思う。

 ゆっくりと陽が沈もうとしているなか、温室はひっそりと佇んでいた。ちょっとだけ感傷に沈みそうになったけど、あたしはレイモンドと共に、温室の扉に向かう。

 鍵は、かかってない。

「セラフィーナ様」

 レイモンドが呼びかけてきたから、あたしはちょっと苦笑した。

「大丈夫。マリアとの約束は忘れてないよ。騎士たちがくるまで、突入はしない。でも」

 そこまで言いかけて、あたしは息を止めた。
 薄汚れた温室のガラス越しに、なにかが動いた気がしたんだ。

 次の瞬間、レイモンドが動き、あたしを強く引き寄せる。
 ガシャン、と温室の扉が開く。

 そのまま飛び出してきた影は、あたしを腕に抱いたままのレイモンドに蹴り飛ばされた。
 影は悲鳴をあげる暇もなく、床へ転がる。

 転がった影は、あたしの想像した通り、女性だった。
 カラカラと女性の手から離れたナイフが地面に転がっていく。乱れた髪の奥で、女性の目がなおもナイフを追っていた。その鼻先で、レイモンドがさらにナイフを蹴り飛ばす。

 女性の瞳が、レイモンドと、その腕に抱えられていたあたしを見た。
 グッと女性の手が拳を握り、「なんで、」と地面にうずくまったまま叫ぶように言う。

「なんで、そんな女を守るのぉ……っ!」

 そのまま女性は、地面についた両手に顔を伏せ、悔しげに泣き始めた。
 レイモンドが息を吐く。それでもあたしを自分の背後に追いやり、あたしを庇ったまま、女を見下ろしている。「セラフィーナ様! レイモンド」という呼び声が響いた。

 ローレンスだ。騎士たちを従えて、こちらに駆けてくる。ああ、ジョシュアもマリアもいるわ。あたしたちを見つけて、その先に襲撃者も見つけて、焦った表情を浮かべてる。

「セラフィーナ様、ご無事ですかっ!」

 血相を変えたマリアが、あたしに飛びついてくる。
 痛いくらいの力でマリアはあたしの無事を確かめる。

 そんなあたしたちを通りぬけて、騎士たちが泣きじゃくる女を捕縛する。
 ジョシュアが息を呑んだ。

「キャシー……」
「知り合いか」

 ジョシュアのつぶやきに、レイモンドが反応した。
 ジョシュアはうなだれた。

「はい。あの孤児院の件で捕縛されたロバートの婚約者です。……申し訳ありません、セラフィーナ様」と言いながらジョシュアはあたしに向き直り、頭を下げた。

「僕が、この人物を、陳情者の中に入れてしまいました」

 マリアを宥めていたあたしは、ゆっくりとジョシュアに向き直る。
 首を振った。

 領民想いのジョシュアのことだ。
 説明されなくても、わかる。

 たぶん犯罪者の身内となってしまった知り合いを、ジョシュアは見捨てられなかったんだ。

 なにより、この女性、キャシーが襲撃を決めた理由は、あの無責任な噂のせいだ。
 もっと言うなら、あの物語が、キャシーを悪役令嬢の襲撃者として選んだからだ。

 だから、あたしには、この件において誰かを咎めるつもりはない。

 ただ、ローレンスが厳しい顔をして腕を組んでいた。ジョシュアを見つめる眼差しも、想像以上に険しい。
 ジョシュアの気持ちは理解できるけれど、この事件を看過できないと言ったところか。

 あたしはレイモンドの背後から進み出て、キャシーに近づいた。
 騎士たちがあわてて、キャシーをあたしから遠ざけようとするから「待って」と短く制止した。

 涙と土とで汚れた、ぐちゃぐちゃの顔でキャシーはあたしを睨む。
 その眼差しは確かに強かったけれど、怯んでいる場合じゃない。あたしは冷淡さをよそおう。

「公爵令嬢への襲撃は、どの程度の罪に該当するのかしら」

 問いかけられたローレンスは、困惑しながらも答える。

「領主代行への襲撃です。極刑が妥当でしょうな」

 その言葉を聞いたキャシーはすうっと青ざめ、ジョシュアも厳しく唇を結んだ。

 やっぱりか。

「そう」とあたしは告げて、まっすぐにローレンスを見た。

「でも、だれも傷ついてないわ」

 あたしがそう言うと、ジョシュアもマリアも、それからローレンスもあたしを見た。
 とりわけローレンスは、難しい顔をしてる。あたしの意図に気づいたんだろう。

「セラフィーナ様。法をくつがえすわけにはまいりません」

 あたしは軽く肩をすくめた。

「でも、事実だもの。どちらかといえば、傷ついたのは襲撃者とみなされた彼女なのではなくて?」

 そう言いながら、レイモンドをチラリと見た。
 完全にいつも通りの態勢に戻っているレイモンドは、すでに苦笑を浮かべている。

「広い、広い領主館に迷い込んでしまって、途方に暮れていたところ、人の気配がしたから助けを求めようとしたのに、こわ~い執事に蹴り倒されてしまったのよ。むしろわたくしが、執事の主人として、彼女に詫びを申し入れなければならないのではないかしら」
「セラフィーナ様っ?」

 ジョシュアが驚いたように、あたしを呼んだ。
 キャシーも目を丸くする。
 ローレンスは、厳しい顔を崩さない。

 あたしは高い位置にあるローレンスの瞳を、のぞきこむようにして、言った。

「聖女を苛んだ悪役令嬢が、今度は、領民を極刑にした――そんな噂が広がって、だれが得をすると言うの?」

 ローレンスの瞳が、わずかに揺れる。ややして重苦しいため息をついて、言った。

「……正式な記録には残しませぬ。ただし、彼女の身柄と周囲の監視はこちらで預かります」

 充分だ。このローレンスからこの言葉を引き出せたのなら、それでいい。
 ポンとあたしは両手を合わせて、にっこりと微笑んだ。

「というわけだから、マリア。そちらの彼女の手当てをして差し上げて。ジョシュアはご家族に、一報を入れて差し上げてね。ちょっとしたトラブルがあったから、今宵は領主館で娘さんを預かると。明日の朝、迎えにきてあげて欲しいともね」

 あたしがそう言うと、ぽつり、と、掠れた声が響いた。

「……なんで」

 キャシーだった。
 じっとあたしを見つめたまま、思わずと言ったようにつぶやいた彼女は、その言葉を皮切りに、次々と言葉を吐き出す。

「なんで。……あたしは、あんたを襲ったのに。……なんで、助けてくれようとするの」
「勘違いなさらないで」

 あたしは鋭く言った。

「わたくしの執事はもちろん、騎士たちだって、あなたに出し抜かれるような無能ではないのよ。もちろん、そんな彼らに守られているわたくしが、あなたに襲撃されるなんてこと、ありえないの」

 そこであたしは言葉を切った。
 言っていいのか、一瞬だけ迷って。
 それでも、口を開く。

「あなたはまだ、間に合う。心配してくれているご家族のもとに、お戻りなさい」

 あたしがそう言ったとたん、キャシーはついに決壊したように激しく泣き出した。

 背後で腕を押さえつけられたまま、しゃくりあげるように泣き出したキャシーの姿に、ローレンスはついにため息をついた。騎士たちに合図をして、キャシーを解放させる。マリアがキャシーに歩み寄り、そっとハンカチを手渡した。ジョシュアが一人、覚悟を決めたようにローレンスに向き直る。

「ローレンス様、僕は」
「セラフィーナ様のおっしゃられた通りに。迷子の領民が安心できるように、家族に一報入れてやるといい。ただし、今後はもっと幅広く考えて、動くように」
「……はい」

 よし。ジョシュアへの咎めも発生しないな。
 よし!

 あたしはそっと息をついた。

 なんとか、事件を収束させることができた。
 それも、物語とはちがう形だ。

 あたしはそろそろと自分の手を見下ろし、ぎゅっと握り締めた。

 あたしはあたしのままで、あたしらしく生きていけるのかもしれない。
 この、悪役令嬢が主役となって展開される世界においても。

「セラフィーナ様」

 そう考えていたら、ローレンスが歩み寄ってきた。
 顔を上げると、白髪の執政官はゆるりと苦笑を浮かべて、言った。

「……あなた様は、本当に大奥様によく似ておられる」
(――え、)

 ローレンスはゆっくりとあたしの横を通り過ぎて、歩み去っていく。
 だからあたしの様子に気づかなかったんだろう。

 レイモンドが眉を寄せ、あたしの顔をのぞき込む。
 心配してくれているのはわかったけれど、でも、あたしは動揺が激しすぎて、何も言えなかった。

(あたしは、やっぱり)

 あたしは右手を挙げて、額を抑えた。

(この世界の枠組みから外れることはできないんだろうか)

 物語とはちがう形で、事件は収束したのに。
 ローレンスはあたしに対し、あの物語で悪役令嬢へ告げる言葉を言ったのだ。

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