これが、恋?
高校での新生活が始まるときの、最初の試練っていつだと思う?
あたしは昼休憩だと思うんだ。自己紹介もなかなかの試練なんだけどさ、ずばり、自己紹介って、この試練をクリアするための、いわゆるプレゼンだと思ってる。
自分はこんなやつです、仲良くしてくれる人大募集、って感じの、プレゼンテーション。自分をアピールする場ね。うん、一人あたりの持ち時間は少ないんだけどさ。
で、そのプレゼンが成功したら、学生生活のあれこれのイベント、まずはお昼ごはんを一緒に食べてくれる人が見つかるってわけ。見つからなかったら、その後の学生生活で「ぼっち」になっちゃうわけだ。
ね、なかなかの試練でしょう、お昼休憩。
そしていまのあたしは、その試練に難航しているわけだ。
まず、心の中でこっそり「友達になれそう」と期待していた、入学式のときに言葉を交わした隣の子は、あっけなく、別のクラスの友達らしき人と出ていっちゃったよ。
うーっ。思いがけない伏兵だ。
さりげなく(これがポイント)クラスを見まわしたけど、あたしを気にかけている様子のクラスメイトはいない。うう、プレゼンも失敗かあ。この最初の試練は、失敗かな。
だからあたしは、かばんから祖母が作ってくれたお弁当を取り出して、教室を出た。
あの遅刻スレスレのどさくさでも、お弁当を忘れなかったあたし、ナイス。お弁当を忘れてたら食堂に行くしかなかったし、そうしたらもっと試練の難度は上がってた。
だってさ、一人で食堂使うの、キツくない?
(気にしすぎなのかなあ、あたし)
ちょっとだけそう思ってる。
でもこのくらい、フツーの範囲だよね、とも思ってる。
理屈ではわかるよ、人はそんなに他人を気にしてないってね。だからぼっちになったって、気にしなくてもいいって。別に悪いことをしてるわけじゃないんだから、堂々としてろって、うちの家族なら言う。事実、中学時代に言われたさ。
でもさ、それって他人事だから言えること。現実に、学校のなかで一人じゃないから言えること。本当に一人になっちゃったら、やっぱり、一人な自分が気になるんだよ。
それにあたし、友達欲しいし。
(あ、でも)
心の中でつぶやいた、友達欲しい、という言葉が、朝の出来事を連れてきた。
思い出したら、唇が勝手にほころぶ。
そういえばあたし、友達って、もう出来てたんだった。
それも二人。おまけに、イケメン。
困ったときには教室においで、とまで言ってくれた「友達」でございますよ。一瞬だけ、その言葉に甘えたくなった。でも、いまのあたしは困ってるわけじゃない。試練に失敗したけれど、まだ敗者復活のチャンスくらいはあるはず。
ぐう、とお腹が空く。
オリエンテーションだから、午前の授業はまだそんなに本格的な内容じゃない。それでもしっかりカロリーは消費していたわけだ。ちゃんとごはんを食べなくちゃね。
堂々と胸を張って(見栄だ!)広い校内を歩いていたあたしは、目的もなく歩いていたわけじゃない。狙いは図書館。
図書館でごはんを食べようと考えたわけじゃないよ。図書館の近くでごはんを食べて、残り時間は、入学前からずっと気になってた図書館で過ごそうと思ったのだ。
あたしは、本が好き。
いろいろな工夫を凝らされた装丁も、たくさん文字が並んでいる紙面も大好き。ずっしりした重みだと「読み応えがあって頼もしいっ」ってなっちゃうし、さらりと読める軽さも「疲れてるときにも読めるなんて最高だよ」と嬉しくなっちゃう。
なによりも、本って知らないことを教えてくれる。
あ、いや、ちがうな。
「知らないこと」が「知ってること」になっても、あたしはやっぱり本が好きなままだ。知らないことを教えてくれなくったって好きなんだ。
何度も何度も同じ文章を辿って、その文章が描き出す情景を想像して、そのたびに込み上げる感情を、何度も何度も味わい直すこともできて、本って最高だなあって思うんだ。
だから、ちょっとだけ悔しい。
(図書委員、なりたかったなあ)
あたしは軽く息を吐いた。
オリエンテーションではクラスの委員も決めたのだ。意気揚々と図書委員に立候補したあたしだけど、くじ引きで負けてしまった。おまけに、担任の推薦で生徒会補助員というものになってしまったから、ちょっとゆううつだ。中学校にはそんな役職、なかったし!
(あ、ここにしよう)
ようやく、落ち着けそうな場所を見つけた。
図書館の近くにある、でも図書館の窓からも校舎の窓からも見えないような、場所。
ベンチが無いから地面に座るしか無いけど、まあ、それはね。妥協するしか無いよね、と考えながら、それでも乾いてるコンクリの上に座った。
膝の上にお弁当を開いて、「いただきます」と小さくつぶやいて箸を持った。
「うん、おあがり」
だからびっくりしたんだ。そんな声が聞こえてきたことに。
お弁当の卵焼きをつまもうとした動きを止めて、声がしてきた方向に顔を向けた。すると、見覚えのある人がふたり、あたしを見下ろしていたから、二度、びっくりした。
「さかき先輩、えなみ先輩」
そう呼びかけると、えなみ先輩が苦笑した。
さかき先輩は、静かに動いて、なぜだか、あたしの隣に座る。えなみ先輩も動いて、あたしを挟んだ逆方向に腰を下ろしながら、
「うーん。今年、この場所にたどり着いたのは日向さんだったかー」
と言う。
訳わからなくて、あたしは首をかしげた。
(この場所に、たどり着いた?)
奇妙な言い回しだ。まるでこの場所が特別な意味がある場所のよう。
でも、なんだかいやな予感が走った。だって、朝に会って友達になったばかりの二人が、いかにも困った様子なんだもの。
これって、あたしが二人を困らせてる、ってことだよね。
でもあたしには心あたりがない。だから、むしろあたしのほうこそ困ってるよ!
だから、まずは卵焼きを口に運んで、しっかり噛み締めて、飲み込んでから言った。
「どういう意味ですか。この場所に意味があるとでも?」
するとえなみ先輩は、「まあ、そりゃね」と軽い調子で言って、手に持ってた焼きそばパンの包装を破いた。ぷぅんとソースの匂いがあたりに漂う。くっ、いい匂いだな。
「あまり人目につかない場所でしょ? ここ」
「ええ、そうですね」
そういう場所を探したんだもの。あたりまえだよね。
そう答えながら、あたしは次に蓮根のきんぴらを口に運んだ。シャキシャキとした感触が、とっても美味しい。祖母が作ったきんぴらは、鷹の爪が多めだけど、それがいい。
「こんな日に、人目がつかない場所を探す人間は限られる。教室に居場所がない人間だ」
きんぴらを堪能してたら、さかき先輩が淡々と告げる言葉に、ギョッとさせられた。
思わず、さかき先輩を見返しちゃったもんね。
大きな山賊むすびを食べてるさかき先輩は、あたしの視線に気付いてるだろうに、視線をこちらに向けてこない。あたしは口を開いて、わかんなくて、また、口を閉じた。
(なんでそんなことを言うのかな、この人!)
思ったことといえば、そんなことだった。
デリカシーがない。
そう言ってもよかったんだけど、でも、あたしは言えなかった。
だって、事実だからだ。
あのまま教室に居座って、お弁当を食べてもよかった。もしかしたら話しかけてくれた人がいたかもしれない。そんな可能性はゼロじゃなかった。
でも仲良くなれそうだと思った隣の席に座ってたあの子も、他の人たちも、さっさとあたし以外の子と一緒に動いてたんだ。その、迷いも隙もない動きは、なんとか話しかけようとしてるあたしを拒んでるようにも思えて。
だから哀しくなったあたしは、意地になって、教室を拒んで、図書館に来たんだ。
あたしの頭ごしに、えなみ先輩が腕を伸ばして、さかき先輩にデコピンした。正確には、おでこじゃなくてこめかみに指は当たってたんだけど、咎める意図は伝わってる。
「なんでそんなことを言うかなおまえは」
「事実だろう」
「段階があるんだよ。いきなりそんなことを言って、日向さんが傷ついたらどうする」
「傷ついてません」
あたしはそう言っていた。
二人のやりとりを聞きながら、次に、ふりかけのかかったごはんを口元まで運んで、そう言ったあと、黙ってごはんを咀嚼して、飲み込んだ。もう一度言おう。
「傷ついてません。だって事実だもの」
(やだな)
ただ、事実を言われただけなのに、まぶたが熱くなってる自分がいやだ。熱いしずくが勝手に、ほっぺにしたたり落ちそうになってる、自分の弱さが、いやだ。
でも。
事実を指摘されて傷ついて、感情的になって泣き出す人間だとは思われたくない。
だからあたしは、目に力を込めて、さかき先輩を見た。今度は視線が合う。深いチョコレート色の瞳が、真っ直ぐにあたしを見ていた。
(ちょっと意外そう)
相変わらず、さかき先輩の感情は素直に、その表情に現れてる。でもどうして意外そうなのか、あたしはわからないまま、言葉を続けた。
「でもいきなり、決めつけてくるさかき先輩に、呆れます」
「決めつけ?」
斜め後ろから、ふっという音が聞こえた。笑い上戸め、声を殺していても、吹き出した音は、しっかり聞こえてるんだよ。でもいまはさかき先輩をしめる。
「たった一回、昼休憩の友達作りに失敗しただけで、教室から居場所を失ったって決めつけないでくださいって言ってるんですよ! これから部活動紹介も、学生集会もあるんです。友達を作るチャンスはまだ残ってます、敗者復活は可能なんです。ねばーぎぶあっぷで粘ろうとしているあたしのやる気を、決めつけで削がないでくださいってことです!」
箸をお弁当箱の上に置いて、ビシッと右人差し指を突きつけてやった。
さかき先輩は静かに動いて、あたしの右手をそっと下ろさせた。
「人を指差すのは、よくない」
(いや、そうだけど!)
そもそもの元凶は自分だという自覚はないのかこの人は!!
あたしはがっくりきた。この気持ちをわかってくれそうな人は、とうとう声を殺さなくなって、ケラケラと笑い転げている。
さかき先輩は、えなみ先輩を呆れたように見て。
あたしに視線を戻して、ふっ、とやわらかく微笑んだ。
「悪かった」
あたしは、目を見開いた。
さかき先輩は、謝ってる。でも申し訳なさそうに謝った訳じゃないんだ。
安心したように。まるであたしの強がりに気づいているような、でもそのまま、あたしが言い切った表面上の言葉を通してくれている表情で、率直に詫びてきたんだ。
それだけで、あたしの泣きそうな気持ちは、どこかへいってしまった。
(ずるい)
あたしはそっと、さかき先輩の手から自分の右手を取り戻して、うつむいた。
なんでだろ。この人、ずるいよ。
デリカシーもなく言い切って、なのに、あたしを丸ごと、くるんって包み込むような温かさを、あっさりと手渡してくるんだから。
あたしはもう一度、箸を持ち上げて、今度は鮭の塩焼きを持ち上げた。
(ええい)
ガブリと豪快に、鮭の切り身にかぶりついて、そのまま咀 そしゃく 嚼する。ごくんと呑み込んで、今度は冷ややかな声で、ようやく笑い終えた人に通達してやる。
「そのフルーツサンド、デザートとして半分よこしてください、えなみ先輩」
「いいよ。笑わせてもらったからね。その代わり、その蓮根のきんぴらが食べたいな」
「ダメです。それだとお詫びになりませんよ」
「だめかあ」
そう言いながら、えなみ先輩はパリパリとフルーツサンドのパッケージを破いた。そうしてフルーツサンドの半分、あたしのお弁当の蓋にのせてくれる。
生クリームとイチゴとバナナが挟んであるフルーツサンドって最高だよね。おやつにぴったり。味わうために、早く弁当を食べ終えよう。
そうして三人で、しばらく無言になってごはんを食べてたんだけど。
「……ここね、毎年、『迷子の一年』が流れつく場所なんだ。だから見回りに来るの、僕たち生徒会の春のルーティンなんだよ」
いち早くフルーツサンドを食べ終えたえなみ先輩の言葉に、あたしはちょっと笑った。
『迷子の一年』か。ものすごく配慮された言葉だな。
同時に、ちょっとだけ、気持ちが軽くなる。
そうか。毎年、あたしみたいな人はいたんだ。
新生活の、いちばんはじめの試練。友達作りにあっけなく失敗するような人は、きっと過去にもたくさんいて、でもそんな存在がいるってことを、この学校の人たちはもう、あたりまえに知っていて、さらにはフォローしようとしてくれるんだ。
そんな事実が、この心を、さらに温めてくれる気がした。
不思議なものだ。さっきまで、あたしをどうしようもなく落ち込ませた原因も「事実」だけど、いまこのとき、あたしをどうしようもなく安心させてくる原因も、「事実」だ。
(世の中って、奥深いなあ)
本に書かれていない出来事が、ぽっろぽろと発生するんだから。
あたしはそんなことをしみじみ考えながら、フルーツサンドをぱくついた。
ん。生クリームの甘さと、いちごの爽やかさ、バナナの濃厚さが、最高に美味しい。甘いって本当に偉大だ。さっきまでしょんぼりしていた気持ちを、あっけなく浮上させてくれる。
うん、なんとか午後も乗り切れるかな。
ねばーぎぶあっぷ。あたしは楽しい学生生活を諦めない。
(そういえば)
ふっと唐突に気づいた。
ずるいって言葉。恋愛小説にわりとよく出てくる言葉だなって。
女の人が、男の人をどうしようもなく好きだって感じたときの言葉だって、思った。
なにげなく考えて、次の瞬間、あたしはパッと頬を両手で押さえた。
「え、なにどうしたの」
「なんでもありません!」
驚いた様子のえなみ先輩に叫び返しながら、あたしは必死に、逆方向から意識を逸らした。
えなみ先輩と同じように、あたしを見てるんでしょう。伝わってるぞ。絶対に気づいてやらないし、絶対に様子を見てなんてあげない。
とっても気になるけれど、いまのあたしをどう思ったのか、見たくてしかたないけど!
あなたに恋してしまったなんて、あたしはまだ、気づきたくない。
だってそうだとしたら、これ、初恋だ。
