真っ直ぐにしか愛せない

 たとえ大丈夫だってわかっていても、初めて行く場所って緊張しない?
 たとえ通い慣れてきた校内でも。
 たとえ、歓迎されるとわかってるクラブ棟の部室でも!

 あたしとことはは、この高校生活で所属するクラブを、文芸部に決めた。
 クラブ紹介のときにね、とても魅惑的な勧誘の言葉を聞いたんだ。

 たくさんの本を読んで、部員同士、ゆっくりと語り合うクラブです。年に一度、文芸誌を発行しますが、無理に小説や評論を書く必要はありません。ただ、大好きな本に関する感想文を書いてもらえたら、それで十分です。本の魅力を存分に語り合いましょう。

 ね。とっても魅力的な言葉でしょ?

 本を読むことは好きだけど、文章を書くことは苦手なあたしにとって、本当に魅力的だと感じたんだ。小説や評論って書きかたわかんない。でも感想文なら、なんとか書ける。

 もっとも、ことははあたしとは逆で、「小説、たくさん書いたらダメなのかしら」と不安がってた。なんでも将来、小説家になりたいんだって。自分が書いた小説をたくさん読んでもらいたい。だから物語に関して目が肥えてるだろう、文芸部を希望したのね。

 それでいま、あたしたちは放課後に文芸部の部室に向かってるところなんだ。
 ふう、と、ことはが息を吐く。あたしは口を開いた。

「緊張するよね」
「そうね。でもここまできたんだから、勇気を出すしかないのよね」

 ことははそう応えて、クラブ棟の掲示板を見つめる。

 掲示板には、各クラブの勧誘ポスターが貼られてた。ぎっちりと貼られてて、これ、ポスターを見つけにくいクラブもありそう。いろんなクラブがあるなあ、と改めて眺めていると、目的の文芸部のポスターを見つけた。

 白画用紙に、どんと一言。
 新入部員求ム。

 それだけ書いてある。他のクラブのように、イラストや装飾がない。あ、でも勢いがある文字だったよ。太字のマーカーペンを使って、どどんと書いた感じ。

「シンプルイズベストかな」
「でも見事に埋没してるわね」

 ことはの指摘は正しい。白画用紙の中央に、新入部員求ムと書いてあるだけだから、空間が多いポスターなんだよね。だから他のクラブのポスターが、ちょっとはみ出る形で上に重なる形で貼られちゃってる。文字は見えるけど、それだけなんだよねえ。

「……もしかして文芸部って零細クラブ?」
「その可能性は高いわね。どうする、他のクラブにする?」

 ことははそう言ってくれたけど、あたしは首を振った。

「ことはは文芸部に決めてるんでしょ。なら、あたしだって決まってるよ」

 ことはは、ちょっとだけ微笑んだ。

 ちょいちょいとポスターをめくって、「二階ですって」と文芸部の場所を確認してくれる。それであたし達は、二階にやってきたんだけど、どの部室も扉を開け放ってる。

 なんか、通りにくいな。

 そう思いながら歩いてると、さくさく先を進んでいたことはが「あ、ここみたい」と言って足を止めたところで、室内から「おおおっ」って盛り上がる声が聞こえた。

「高科くんっ。新入部員さんがいらっしゃいましたよっ」
「ふははは。だから言っただろう、本質を見抜く部員は、この僕が書いたポスターに怯まずにやってきてくれると。あのポスターは優秀な部員を選別する効果があるのだっ」
「気づきませんでした〜。さやかは、てっきり手抜きかと思ってましたあ」
「手抜きよ。誤魔化されたらダメよさやか」

 そんなやりとりが聞こえてきて、あたしとことはは顔を合わせた。

 文芸部の部室にいた人は、三人。男性の先輩と女性の先輩二人だ。二人の女性のうち、一人は見覚えがある。メガネの縁を持ち上げながら、クラブ紹介のときにテキパキと話してた人だ。きっちり2分、わかりやすく明快に、クラブの説明をしてくれたんだよね。

 だからなんとなく親近感を覚えたその人に、ことはが話しかける。

「ここ、文芸部ですよね?」
「そうよ。わかりにくくてごめんなさいね。一年のみなさんが入りやすいように、と考えて扉を開けてるんだけど、そうしたら扉に貼ってる看板が見えなくなっちゃったの」

 なるほど。みんながみんな、扉を開けてる理由はそんな感じだったのか。
 あたしとことは軽く笑って、文芸部の部室に入った。

 扉を閉めようかどうか、迷ったけれど、結局そのままにしておいた。教室に置いてあるのと同じタイプの椅子を勧められ、腰かけると、ふわふわした雰囲気の先輩が、電気ポットのボタンを入れる。じきに、しゅうう、とお湯が沸騰する音が聞こえてくる。

 いちばん奥に座っていた男性がにこやかに笑った。

「ようこそ、文芸部へ。僕が部長の高科 玲央だ。でもこの文芸部の権力を握ってるのは、僕ではなく、この桐島くんなのだ。僕はあくまでもお飾りの部長だと思ってくれたまえ」
(堂々と言うことかな、それ)

 あたしは思わずことはと顔を見合わせた。

 あれ、とあたしはちょっと意外に感じた。なんだか、ことははちょっと嬉しそう。
 はじめに話しかけた先輩が、軽く咳払いをして、高科部長を睨んだ。

「はじめて会う人に、その自己紹介はないでしょう。冗談だってわかってもらえないじゃない。……部長が困らせてしまって、ごめんなさいね。わたしは桐島 亜紀。この文芸部の編集長をしています」
「はーい! そしてさやかはこの文芸部のお茶汲み係ですぅ。会計も兼任してますけどぉ、そちらはあくまでもサブですから、よろしくお願いしますねぇ?」
「さやかもまっとうにわかりやすく自己紹介なさい。……彼女は白石 さやかよ。マイペースな子でごめんなさいね」
「いえ、お気になさらず」

 あたしとことはは声を合わせてそう言った。

 なんというか、先輩達は気後れしない人たちなんだなあって思った。はじめからフルスロットルで自分を押し出してくれるから、困惑が先立って、緊張する隙間がない。

 確かにマイペースな部長さんと会計さんに圧倒されはしたけど、こちらの様子を見ながら桐島先輩が気遣ってくれるから、なんとかあたしはついていけてる。でも。

(ことはは、どうかな)

 そろっと見たら、ことはの様子はなぜか、さらに進化して、瞳をキラキラさせていた。
 んん? と首を傾げたら、ことはは身を乗り出して、言った。

「あの! みなさんをモデルにして小説を書いてもいいですか?」
(ことはー!)

 あたしは手を伸ばして、ちょいちょいと、ことはの肩をつついた。
 もう、いきなり何を言ってるかな。
 そう思ったんだけど、キラキラした瞳のことははあたしの制止に気付きやしない。おそるおそる先輩達を見たら、先輩達はみんな、きょとんとした表情を浮かべてたんだけど、一足早く、部長の高科先輩がピッと前髪を払った。

「ふ。どうやら、キミは見る目があるようだ。この僕の隠れてないカリスマ性に目をとめて物語の主人公に据えようとは、なかなか見どころがある」
「いえ、高科先輩は主人公を振り回すトラブルメーカーという役回りです」

 ことはがそう言ったとたん、二人の先輩たちが吹き出す。

「そうよねえ、高科はそういう役回りだわ」
「トラブルメーカーは言い過ぎですけどぉ、人を振り回す才能はありますものねぇ」
「む。その僕の首根っこを押さえてるキミたちは、どうなのかね!」

 三人の先輩たちの反応を見て、どうやらことは、はっと我に返ったらしい。

 いまさらのようにあわてて、「あの、すみません!」と言いながら、困った様子であたしを見てきたものだから、あたしは生温かく微笑んで首を横に振った。

 もう、いろいろと手遅れだと思うよ、ことは。

 あたしの微笑みは、ことはをますますあわてさせたらしい。しばらく、あたしと先輩達を見比べてたんだけど、やがて息を吐いた。そしてどうやら開き直ることにしたらしい。

「小説家志望の、菱田 ことはです。入部希望です、よろしくお願いします」

 いつも通りに落ち着いた様子だけど、ちょっとだけ、ことはの白い頬は赤い。
 あたしもにやっと笑って、ことはの自己紹介に続いた。

「日向 小春です。生徒会補助員とのかけもちですが、本が好きだから、入部希望します。よろしくお願いします!」

 すると、先輩達の視線があたしに集まった。
 ん? と首をかしげると、がたんと高科先輩が立ち上がった。

「ふはは! 見たか聞いたか、榊 湊斗! 我が文芸部に、ついにおまえにとって侮れない、我が文芸部の刺客が、いまここに誕生したぞー!」
(は?)

 思いがけないタイミングで、榊先輩の名前を聞いて、あたしは目をパチクリとさせた。
 ええと、榊先輩にとっての、侮れない……。

(シカクってナニ?)

 きっといま、あたしの周辺にはたくさんのクエスチョンマークが飛び交っている。
 思わず助けを求めて、文芸部の編集長こと桐島先輩に視線を向けたら、桐島先輩は不敵に笑っている。

「ふっ。ふふふ。これでもう、行事の予算、教室の使用許可、文化祭の枠割り当てに勝ったも同然だわね。ふ、ふふふ。江南 凪。その澄まし顔に吠え面をかかせてやるわ……!」

 あ、だめだ。頼りになると思った先輩も頼りになりそうにない。
 どうしようかなあと考えて、ことはを見ると、生温かい表情で微笑まれた。

 なにそれデジャヴ。思わず半目になってると「えいっ」という声と共に、白石先輩が動いた。とすっと二人の先輩の首筋にチョップしたのだ。あまり痛くなさそうだったけど、それでも効果はあったようで、まずは桐島先輩が正気に戻った。

 軽く咳払いをして、キリッとした表情で桐島先輩はあたしを見る。

「ごめんなさいね。ちょっと我を失っちゃったわ。生徒会メンバーとは本当に、本当に、いろいろあったから」

 本当に、という言葉で、桐島先輩はちょっとダーク臭を漂わせたけど、元の落ち着いた先輩に戻ってくれた。高科先輩を見ると、高科先輩もキリッとした表情で、

「つまり我が文芸部は早くも政界にコネを持ったってわけだ。もう怖いものなどない!」

 と言い放つものだから、ダメだこりゃ、と思っちゃったよ。
 うーん。でもなあ。

 先輩達の反応に引っ掛かりを覚えて、あたしはおそるおそる手をあげた。
 部室にいるみんなの注目を集めて、あたしは首をひねりながら口をひらく。

「あの、生徒会補助員は生徒会選挙が始まるまで、生徒会のお手伝いをする人だって聞いたんですけど。つまり、六月にはもう、お役御免になってるんじゃないですか?」

 するとことはは苦笑して、桐島先輩がクイと右人差し指でメガネの縁を持ち上げた。
 わ、素敵な仕草だな。大人っぽい。

「察するに、担任の先生から、そういう説明を受けたのね?」
「はい。ちがうんですか?」
「ちがわないわ、でも暗黙の了解をちょっと無視してる。……生徒会補助員はたしかに、生徒会選挙が終わればお役御免になるわ。そのあとはクラスから一名ずつ選出された生徒会役員と、生徒会選挙で選ばれた生徒会メンバーが生徒会を動かしていく。でもね、」

 そこまで説明して、桐島先輩は軽く苦笑を浮かべる。

「入学から一ヶ月しか経ってないのに、自分たちの中から新たに、生徒会役員を選ぶなんて、できると思う?」

 その言葉を受けて、あたしは「あ」と口に出してしまった。
 そう言われたら、ちょっと疑問が出てくるかも。入学式から一ヶ月も経てば、クラスメイトの名前と顔が一致し終わる時期だと思うけど、人間性までわかんない、かな。
 白石先輩が「そもそもぉ」と唇に人差し指を当てながら、続ける。

「みんな、この時期にはすでに委員会に入っていたり、クラブ活動も本格的に始まったりしてますものぉ。生徒会役員を新たに選出しようと言いだしても、『なら引き続き生徒会補助員にお願いしたらいいんじゃね?』と考える人が多勢なんですよぉ」
「だから、生徒会補助員が生徒会役員になることは、ほぼ既定路線というわけだ! どうしても、生徒会役員になりたくなければ、自分以外に生徒会役員になりたがる者を探して推薦するという方法もあるが、これまでその方法を採用した者はいない!!」
「って、この学園の卒業生であるわたしの兄も言ってたけど、小春」

 高科先輩の言葉に、ことはがそっと情報を添える。あたしは唇をへの字に結んだ。

「……もしかして、日向さんは生徒会役員になりたくないのかしら?」

 桐島先輩が、ちょっと意外そうに、首をかしげた。

 生徒会役員になりたくないのか。

 率直に尋ねられて、あたしは眉をへにゃりと下げた。あたしも率直に言えば、まだよくわからない。だってまだ、生徒会補助員としての集まりだってない。お仕事としての実情がよくわからない。そもそも、先生から生徒会補助員の説明を受けて、やりますと言ったのはあたしだ。あのときは、図書委員じゃないなら、どれも一緒だと思ったから。

 ただ、生徒会メンバーには、榊先輩がいる。

(会いたい、でも会いたくない)

 壇上の榊先輩を見て、気づいてしまったこの感情は、あたしを理不尽な生き物にする。
 榊先輩に会いたいと思う。でも他の子と同じように扱われるなら、会いたくない。

 本当はね、生徒会補助員になってしまったことを後悔してた。これから生徒会のお手伝いをするんだったら、どうしても榊先輩に会わなくちゃいけない。

 でもいまさら、生徒会補助員の辞退なんて出来ないし、それにあたし以外の誰かが、生徒会補助員になって、いまのあたし以上に榊先輩と親しくなるなんて、いやだ。

 つまりね、選択肢なんて、はじめっからひとつしかないんだよ。


 開き直って、生徒会補助員のお仕事をがんばる。会いたくないって思っても、本当の本当の本音は、毎日でも榊先輩に会いたい。本音と義務が仲良しできる状況なんだもの、その状況に甘えたほうがいいんだ。

(でも、)

 これくらいはいいだろう、と思って、あたしは口を開いた。

「……あたしにできるのかな、っていう不安が大きいんです。いままで、小学校のときも中学校のときも、生徒会のお仕事なんてしたことなかったですし」
(頼りにならない自分を見られて、榊先輩に失望されたくないんだよね)

 ああ、あたしの本音ってどうしようもない。

 でも桐島先輩は、ちゃんとあたしの言葉を聞いて、静かにうなずいてくれた。

「そうよね。やったことがないお仕事なんだもの。不安にもなるわよね」

 そう言ってもらえて、あたしはちょっと後ろめたい気持ちになりながら、こくんとうなずく。
 優しい言葉に、ちょっと安心した、そのときだ。

「でも小春にはできると思う」

 思いがけない言葉に、あたしは目を見開いた。ことはだ。びっくりして隣に座ることはをみると、どこかいたずらっぽい、からかうような表情であたしを見てた。

「だって、小春って出来ないことなんてないものね」
「ハァ!?」

 聞き流せない言葉に、あたしは強く言い返してた。

 できないことはない? どこがだ! 
 出来ないことだらけで、自分に自信が持てなくて、だからぐるぐると悩んでいるっていうのに。

「入学式のとき、新入生代表として挨拶したでしょう?」
「あれは、たまたまだと思うけど」
「そのあとも、隣の席の子を助けてあげてたでしょう?」
「あれは、ちょっと木登りして、枝に引っかかってたハンカチを取っただけだよ」
「昨日だって、わたしと友達になってくれたでしょう?」
「それは、あたしがことはと友達になりたかったからだよ!」
(まったくもう!)

 なにを言い出すかな、ことはは。

 そもそも、ことはと友達になって「くれた」という言い回しが気に食わない。お互いさまだってーの。あたしだって「迷子の一年」だったんだよ? そんなあたしと友達になってくれたのは、ことはだって同じじゃんか。

 でもふと気づけば、先輩達がとても生温かい表情であたしたちを見守っていた。
 あれ?

 桐島先輩が、微笑ましげな表情で口を開く。

「そうねえ。日向さんなら大丈夫そうな気がしてきたわねえ」

 白石先輩が、ふにゃっとした表情で紅茶を配りながら、「うちのこはちゃんは頼りになる子なのですぅ」と続ける。うちのこはちゃん。祖母と同じ言い回しにドキッとした。

 高科先輩が、ずず、と紅茶を飲んで、胸を張る。

「だがまあ、安心することだ。一年ほど人生の先輩である我々が、不安を抱えるキミを、もちろんサポートする。どんなささいな不安でも相談に乗ろうではないか。なにしろ、すれ違うも多少の縁というが、これほどまでにがっつり関わった以上、キミと僕たちの間には、ぶっとい縁があるにちがいないからなっ」
「意味不明よ高科。まあ、言いたいことはわかるけど」

 静かに紅茶を飲みながら、桐島先輩が言う。

「あのね、日向さん。生徒会ってね、いろいろあるの。ほんっとーに、いろいろあるのよ」

 最後だけ、ちょっとドスがこもって、あたしとことははコクコクとうなずいた。

「でも、『うちの文芸部の子が生徒会役員になったけど、変なことはさせないでね』って言うくらいは、わたしたちにでも出来ると思うわ」

 あたしが目を見開くと、白石先輩がほわあ、と笑う。

「うちの子だから、他のとこに雑に扱われたら、さやかちょっと怒っちゃいますよぉ。って、日高先輩に伝えておきますねぇ」
「……白石先輩ってもしかして」
「うむ! 生徒会長の日高氏と懇意なのだ。なんでも親同士が友人であるらしい。世間とはまことに狭いものであるな!」

 ことはと高科先輩の会話を聞き流しながら、あたしは苦笑した。
 もう、笑うしかない、って感じ。
 もう、がんばるしかないって、感じだ。

 だって、あたし、文芸部の子なんだもの。うちの子って言われちゃったんだもの。
 もともと選択肢なんてなかったんだけど、でも、ちょっとニュアンスが変わった。

 前向きに、やっちゃるか! という気持ちになっちゃった。


 苦笑しながら、あたしはするりと立ち上がる。
 もう16時になろうとしている。指定された時間だ。

 ちょっとびっくりしたようにことはがあたしを見上げてきたけど、すぐに納得したようにうなずいた。不思議そうだった先輩達も、すぐにわかったみたい。

「そういえば今日、生徒会補助員の顔見せもあるのよね」
「いってらっしゃいませぇ。たぶん長くかからないから、お茶を飲みながらみんなで、おかえりを待ってますよぉ」
「ふ。菱田くん、その間、先ほどの話をちょいと煮つめようではないか。僕はやっぱり影に潜みながら活躍する主人公だろう?」
「いえ、やっぱりお騒がせトラブルメーカーですよ」
「そうよねえ」
「ですよねぇ」
「余計な一言が増えてるではないかっ」

 早くも文芸部の空気になじんでいることはと先輩達のやりとりに笑いながら、あたしは一礼して部室を出て、ゆっくり歩き出した。

 でも、いつの間にか、早歩きになっちゃったんだ。
 だって、これから榊先輩に、会える。
 ぐだぐだしちゃったけど。

 あたしってば本当に、後ろ向きでいやなやつになってたけど。

(でももう、きっと大丈夫)

 なんだろな、いまならもう、無邪気に断言できるよ。
 いまのあたしはもう、完全にいつものあたしだ。

 でもまるきり、いつものあたしというわけじゃなくて、榊先輩に会えると知って、そのまま素直に、足取りを軽くさせる感情が、相変わらずこの胸の中にある。

 榊先輩が、好きだって気持ち。

 クラブ棟を出て、校舎に入って、三階まで上がる。
 生徒会室の前に立って、トントントン、と軽やかにノックした。

 じきに「はい」という声が返ってきたから、ちょっと鼓動がおかしくなった。
 榊先輩だ。

 低くて、よく通る、落ち着いた声が響いた後、そっと扉を開けようとしたら、向こうから音を立てて扉が開いた。まず学生服の胸元が目に入って、見上げたら榊先輩だった。

 あたしは、笑ってた。
 ようやく会えた。そんな気持ちになった。

 だからそのままの気持ちがあふれて、そして口に出して言ってたんだ。

「好きです。あたしと付き合ってくださいっ!」

 言ってしまった後に、あたしは「あれ?」と気づいた。

(あれ、いま、あたし、なにを言った?)

 ただ、あたしを見下ろす榊先輩の顔が困惑を浮かべて、生徒会室から爆笑が響いた。
 その笑い声を聞いて、ようやく、自分がなにを言ったのか、言ってしまったのか、わかっちゃったんだけど、でも覆水盆に返らず、口から飛び出た本音は撤回できない。

 撤回、したくない。

 だから、あたしは、に、と強気に笑った。
 あたしは、あたしのまま。
 どこまでもあたしらしく、あなたに向かっていくよ。

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