初恋が最後の恋
小学校のとき、中学校のとき、クラスで目立ってる子をうらやましいと思ってた。
だってあの子達、努力しなくても人に好かれてるような気がしたんだもの。お友達と気まずくなる瞬間があっても、格好よくケリをつけるんだよね。配慮が抜群なの。
そういう人間になりたいなあ、って思いながら、ここまで生きてきて。
そうして、高校生になったあたしは、いま、なぜだかクラスで注目されています。
いや、なぜだか、という言葉は白々しいなあ。
理由はわかってるもんね。昨日の放課後、榊先輩に告白したことが原因なんだよ。それも校舎の裏とか体育館の裏とか、そういう隠れた場所じゃなくて、生徒会室の前で。おまけに、生徒会補助員の顔見せ、という最高に目立つタイミングでの告白だった。
そうは言っても、噂が広まるの、早すぎませんか。
注目はしても話しかけてこないクラスメイトの視線を受け流しながら、あたしはできるだけ平常心を装って自分の席まで進み、ひらひらと手を振ってることはの後ろに座る。
「おはよう。その様子だと状況はわかってるみたいね」
「おはよう。なんでかな、噂が広まるの、早くない!?」
くしゃあ、と机に崩れ落ちながら、あたしがぼやくと、ことはが笑う。
「だって英雄的行動だもの。あの、榊先輩に堂々と告白するツワモノが出たかって話題になってるみたいよ」
「え、なにそれ。どういうこと?」
ことはの言葉の内容そのものも気になったけど、同じくらい、ことはがどうやら、あたしが把握している以上に、いまの状況を把握してるところが気になった。
え、この子、あたしと同じ一年生だよね。その情報源はどこ?
ことはは、ふふ、と笑ってから、あたしの額を人差し指でつつく。
「小春も先輩達と連絡先を交換したでしょ。だからさっそく、桐島先輩に訊ねたのよ」
「え、高科先輩じゃなく?」
「高科先輩はどうやら、榊先輩にライバル意識を持ってるみたいだから。ここは桐島先輩か、白石先輩に聞くべきかなあと考えたのよ。あと、うちの兄は昨年に、ここを卒業したから、榊先輩のことも知ってたのね」
こ、これが小説家志望の観察力、プラス、発想力ですか。
ことはの実力にあたしは慄きながら、机から起き上がって背筋を伸ばす。
ちょんと両手をそろえて、ぺこりと頭を下げた。
「お願いします。くわしく教えてください」
「よろしい」
すました顔で気取って答えたことはは、すぐに笑顔に戻って口をひらく。
「まず榊先輩についてね。あの人、とってもモテる人みたい」
「モテる。そうだよね、かっこいいしデリカシーに乏しいけど優しいし」
言いながらちょいと凹みそうになったけど、あたしはぶるぶる頭を振って、その凹み気分を振り払った。ことははちょっと不思議そうな表情になったけど、言葉を続けてくれる。
「もともと入学したときから、幼なじみの江南先輩と一緒に目立っていたらしいけど、生徒会と剣道部に入ったことで、さらに知名度が上がったみたいね。ましてや榊先輩のおかげで剣道部が活躍したという噂も流れたし、成績も学年上位に入っていたとかで、容姿端麗、頭脳明晰、まさに文武両道という存在として知られてるみたいよ」
「榊先輩、剣道部なんだ」
気になるの、そこなんだ? と、ことはは笑う。
う。だっていちばん聞きたいところを訪ねてしまったら、落ち込みそうなんだもの。
ことはがそっとあたしに顔を寄せ、優しい声音で言う。
「安心なさい。榊先輩に、付き合ってる人はいないわ」
「……ほんと?」
「少なくとも、同じクラスの桐島先輩情報によるとね。江南先輩には彼女がいたことがあるみたいなんだけど、榊先輩はこれまでずっとフリー。この学校だけじゃなくて、他校からも告白してくる人は何人もいたみたいだけど、すべて断ってるみたい」
「うん。……あたしも、きっちりお断りされたもんね」
昨日の出来事を思い出しながら、しょんぼりとつぶやくと「あら」とことはは笑う。
「後悔してるの?」
からかうような、でも温かな声音に、あたしは首を横に振った。
「してない。告白しておいて、後悔するなんて、榊先輩に失礼だよ」
するとことははやわらかく優しく笑って、あたしの頭を撫でてくれた。
その温もりに甘えたい気持ちになって、ぽろりと弱音がこぼれ落ちた。
「初恋は叶わないってこういうことなのかなあ……」
あたしの弱音を聞いて、ことははあたしの頭を撫でる手を止める。両腕を組んで、ちょいと首をかしげて、まじめぶった表情で言った。
「それ、誰が決めたルール?」
「え」
「『初恋は叶わない』って、けっきょく、大人になった側のまとめ文じゃない? 途中でやめちゃった人の、あとづけの言い訳じゃない?」
「……ことは。やさしい顔して言ってるけど、その言葉、けっこう、刺さるよー」
そう言ったら、ことはは組んでた腕を解いて、ちょっとだけ肩をすくめた。
「だって、あなた、まだ途中でしょう? 途中の人が『終わり』って言葉を口にするの、変だと思うもの」
(あたしは、まだ、途中?)
意外な言葉だと思った。あたしはもう、告白して、榊先輩に断られて。
それでこの想いを終わらせるしかないと思っていたんだけど、だから昨日は夕食もそこそこに部屋に引きこもって、どっぷり落ち込んでたんだけど。
ことはの目には、あたしはまだ途中にいるように見えるのか。
あたしはちょっと、新鮮な想いで、この新しい友達を見つめる。
ストレートロングの髪と、健康的な白い肌をした、とても綺麗なあたしの友達。
改めて思うけど、ことはも、とってもモテそうなんだよなあ。
だから衝動的に、「ことはも恋したことある?」って訊きそうになったけど、ちょうどそのとき、教室の扉が開いて担任の先生が来ちゃったから、タイミング逃しちゃった。
朝のHRが始まるから、ことはは「後でね」と告げて、くるりと前を向く。
担任の先生が話す言葉を聞きながら、「訊かなくてよかったかも」と気づく。
だって、いま、ことはが誰かと付き合ってる気配がないし。
もし、過去に付き合っていて、いまがあるのだとしたら、それ、別れたってことだし。
付き合って別れるって、あたしはまだ想像しかできないけれど、たぶん、とってもつらいことだろうと思うから、だから訊けなくてよかったんだ、と思った。
(だけど、あたしは、まだ、途中かあ)
ことはがどうしてそう言うのか、あたしにはわからない。でもそう言われて、ちょっとだけ納得した部分はある、かな。
だってね、あたしはフラれたんだけど、でもまだ、心に宿る想いが終わってないんだ。
まだ、好きなんだ。
何気なく窓から外を眺めて、バラバラと散らばってる生徒の姿に気づく。榊先輩いないかな。思わず探しちゃって、見つけられなくて、苦笑して、黒板に意識を戻す。
榊先輩に、会いたいよ。
もっと話したい。もっと知りたい。それだけじゃなくて。
あたしも、もっと自分のことを話したい。もっと知ってもらいたい。
いろんなところ、一緒に行きたい。
美味しい食べ物、一緒に食べたいし、楽しい映画を一緒に観に行きたい。
大好きな本を薦めたいって感じちゃうし、榊先輩が本を読むのか、それも知りたい。
あたしの衝動、すべて榊先輩に向かっちゃってる。
そんなふうに変わってしまったあたし、まだまだ元気いっぱいなんだもの。
そんなふうに、変わったばかりなんだもの。
(ことはの言う通りだ)
あたしの想いはまだ、終わってない。むしろ始まったばかりなんだ、って気づいた。
始まったばかりなのに勢いで告白しちゃったけど、でもまだ勢いは止まってないよ。
留まってない。まだまだ想いが向かってる。
本当に、まだ、途中なんだ。
(でも途中だからって、何をしたらいいのかな)
黒板を見てるふりをしながら、ノートの端っこに、こそっと文字を書いた。
——逃げない。
フラれたってことからも。好きって気持ちからも。
とりあえず今日は、それだけ守れたら合格ってことにしよう。
そんなふうに心が決まったから、ちょっと落ち着いた。
ことはとの会話の合間に、クラスメイトから話しかけられるときもあったよ。でもいやな感じはなくて、素直に、告白の詳細を聞きたいって感じだった。
うまく答えられた自覚はないけど、「充分よ」とことはは言ってくれた。
「そうかなあ。わかりにくくなかった?」
「わかりにくくてもいいの。あのね、告白なんてプライバシーの極まったものなんだから、そんなものの詳細を聞きたがるほうがおかしいのよ」
ことはは立ち去ってくクラスメイトの後ろ姿を半目でみながらそう言ったけど、ちょっとそれは厳しいご意見じゃないでしょうか。
そう思ったけど、でも、ことはがあたしを守ろうとしてくれてる気持ちは伝わってたから、素直に黙ってた。
お昼休みに文芸部に行って、先輩たちと一緒にごはんを食べて、午後の授業をなんとか無事に終わらせて、そしてまた、放課後が来た。
今日も、また榊先輩と会える。
そう思ったとたん、ちょっと鼓動がおかしくなったけれど、あたしはなんとか平常心を装った。文芸部に向かうことはと別れて、三階にある生徒会室に向かおうとしたとき、階段で、先を上がっていく二人に気づいた。
榊先輩と、江南先輩だ。
二人はまだ、あたしに気づいてない。だから、声をかけようか、どうしたものか、と迷ったときに、その言葉が聞こえたんだ。
「おまえ、いい加減、紗栄子さんのことを忘れろよ」
「うるさい」
(……え)
ドクン、と鼓動が大きく脈打った。
さえこさんのことをわすれろ。
そう言ったのは江南先輩で、うるさい、と言ったのは、榊先輩。
そのやり取りだけで、直感的に、あたしは気づけた。
(榊先輩、好きな人、いるんだ)
思わず足を止めた。先輩たちは踊り場にいて、江南先輩の視線がふっとあたしに降りる。江南先輩は、ちょっと表情を変えたけど、榊先輩は、そのまま3階に上がりきる。
たぶん、榊先輩はあたしに気づいてないだろうと思う。
だから、あたしは、足を止めたままだった。
(そうかあ。榊先輩、いるんだ、好きな人)
心の中でつぶやいて、顔が、ちょっとゆがむ。
どうしよう。さっきまで元気だった気持ちが、みるみるうちにしぼんでいく。
やだ、って思った。
こんなことでこの気持ち、終わらせたくない。終わらないで、って思った。でも、榊先輩には好きな人がいて、榊先輩の恋が実ったら、あたしのこの気持ちは。
この、気持ちは。
どうしよう。その言葉がぐるぐる回って、気持ち悪くなる。思わずうずくまったとき、「大丈夫?」という声が頭の上から降ってきた。
聞き覚えのある声に、びくりと肩が揺れる。怖くて。この声が聞こえるということは、もしかしたら、と思いながら、おそるおそる顔を上げて、江南先輩だけを見つけた。
ほっと安心した。
(よかった。榊先輩はいない)
あたしはへにゃりと笑って、「大丈夫です」と言ったんだけど、江南先輩は眉を寄せてあたしの隣まで階段を降りてきた。そしてしゃがみ込んでいるあたしの隣に腰を下ろして、「立てる?」と聞いてくる。心配そうな眼差しは、それでもどこか、遠慮がちだ。
「ここにうずくまってたから、危ないから。とりあえず、踊り場まで行こう」
そう言って、江南先輩は支えようとしてくれたんだけど、あたしは首を振った。
「大丈夫です。ちょっと、寝不足だから。あの、」
今日の打ち合わせ、休んでいいですか、と言いかけたとき、脳裏によみがえった。
逃げない。
朝、小さく決めた今日の目標。フラれた事実からも、好きって気持ちからも、あたしは逃げないって決めたんだった。朝のあたしの決意が、今のあたしに力を与える。
だから、ぎゅっと唇を結んで、きっと江南先輩を見た。きいちゃいけないことかもしれない。ちょっとだけ思った。それでもあたしは、聞かなくちゃいけないことだ、と思って、踏み切った。
「さえこさんって、榊先輩の好きな人ですか」
江南先輩は、くしゃりと笑った。
「それを訊くかあ」と小さくつぶやいて、「そうだよ」と率直に応えてくれた。でも。
「あいつは失恋してるんだけどね。さえこさんはもう結婚したから」
思いがけないことも教えられて、あたしは目を丸くした。
江南先輩は、あたしから目を逸らし、小さく囁くような声で言う。
「小さいころから面倒見てくれた人でね、あいつはずっと紗栄子さんが好きだった。高校生になって、もう大人になったからといって紗栄子さんに告白したけれど、フラれた。そして紗栄子さんはあいつの兄さんと結婚したんだ」
「それ、めちゃくちゃきついですね」
あたしがそう言うと、江南先輩は苦笑する。
「うん。でもあいつ、頑張ってるよ」
その言葉が、ずしんと心に届いた。
あたしはうつむいた。一緒なんだ、そう思った。
こんな想いを榊先輩も味わったんだ。好きな人が、自分を見てくれない事実が現実になって、もしかしたら毎日、同じ家でそんな事実と向かい合ってるのかもしれない。
しんどいけど。
でも、あたしが好きになった人は、逃げないことを選んだ人なんだ、と思った。
ふわ、と唇がゆるむ。
(だったら、あたしも、逃げない)
わからないよ。なにも、わからないんだけどね。
それでも、わかったことはある。あたしはまだ、終わってない。
終わらなくてもいいんだ、って思った。
(イヤなやつかなあ、あたし)
終わってないと言っても、それはあくまでもあたしの気持ちなんだ。榊先輩の想いがきっとまだ終わってないように、あたしの気持ちも終わってないだけ。それがこの上なくわかるだろう人は、すでにあたしに対して「No」を突きつけてる。きっとあの人も、好きな人にこの上ないほどはっきりとした態度で、「No」を突きつけられてるんだろう。
でも、それがなに?
あたしは、だって、榊先輩が好き。
これからのいろんな出来事、一緒に経験したい。
まだまだきっと、この世の中には楽しいことがあるって、伝えたいんだ。
傷つかないで、悲しまないで、って伝えたい。あたしを見てよ、と言いたいけれど、でもそれ以上に、この心は、榊先輩に求めている。
笑い合っていたいんだ、一緒に。
だから、もう逃げない。次の仕事も、ちゃんと引き受けよう。
「江南先輩」
「うん?」
「あたし、生徒会メンバーになります」
そう言い切ると、江南先輩は目をみはった。しばらく硬直してたけど、「そうくるかあ」と小さくつぶやいて、笑った。どこか、嬉しそうに。
「ま、このまま生徒会補助員を頑張ってたら、なれるだろうけどね。それだけじゃないんだ?」
「ええ。榊先輩にとって、とっても頼りになる後輩にもなります」
「それはそれは。なら、日向さんは僕のライバルだね。僕もあいつの、頼りになる親友を目指してるから」
(もうとっくに、なってるんじゃないですか)
あたしはそう言いたくなった。
たぶん江南先輩は、榊先輩の代わりに、あたしへのフォローにやってきた。榊先輩はあたしに気づいてなかっただろう。でも榊先輩の想いに傷ついたあたしに、「それでもあいつは悪くないよ」って言うために来たんだ。
そんなの、親友以外にできないじゃんか。
あたしはゆっくりと立ち上がる。ちょっと汚れただろう、スカートを払って、同じように立ち上がった江南先輩を見上げる。すっかり安心した様子だから、ちょっと悔しくて、あたしは口を開いた。
「江南先輩も、ちょっとだけならあたしを頼ってもいいですよ」
そう言うと、江南先輩は面白そうに眉を上げた。
「あいつの次に?」
「もちろん。榊先輩が最優先です」
そう言い切ると、江南先輩がくつくつと笑い出す。それでも先を歩き出したあたしに向かって、「もう大丈夫そうだね」と言う先輩に、勝てそうにないなあと思ってしまいながら、あたしは弾むような足取りで生徒会室に向かう。
江南先輩が開けた扉から、生徒会室に入って。
こちらを振り向いてきた深いチョコレート色の瞳に、あたしはピッカピカの笑顔を向ける。
「こんにちは、榊先輩。好きです、あたしと付き合ってくださいっ」
すると、生徒会室は爆笑に包まれた。
背後に立つ江南先輩も、榊先輩のそばにいた生徒会メンバーも、すでに生徒会室にいた生徒会補助員たちも、みんな笑ってる。
でも一人だけ、笑わなかった榊先輩は呆れたようにため息をついて、昨日と同じように言ったんだ。
「断る」
その言葉を聞いて、あたしは笑った。
だって、恋ってきっと、それでもまだ続くものだから。
あたしの初恋は、まだ途中なのだから。
