MENU
「24時間、料理の注文を承ります。」

公開している創作を大幅に書き直して、2022年11月、文芸社より発行していただきました。

現在、発売中です。

試し読み

わたし、間違えてた?

当ページのリンクには広告が含まれています。

ひさびさに本を購入しました。今月、ハリー・ポッターの文庫本を大人買いしたから、本の購入を控えようと考えていたのです。ですがどうしても読みたい本があり、本日、購入しました。

目次

本田晃一さんの本を購入。

どの本かと申しますと、本田晃一さんの「毎日を好きなことだけで埋めていく」と「不思議とお金に困らない人の生き方」という本です。

どうしてこの本を読みたいと感じたのか。それはズバリ、タイトルそのものが物語っているのではないでしょうか。そう、わたしは、お金に困らない生き方をしたいなあ、と感じていたし、毎日、好きなことばかりしていきたい、と感じていたからです。

わがままな生きかたでしょうか?

少なくともわたしは、欲張りな生きかただと罵られるかも、と身構えています。でもわがままだとか欲張りだと非難されても、心をのぞいたら見えてくる、わたし自身の正直な気持ちなんですよね。

なぜってわたし、たった一回しか、生きることができないんですよ。

例えばわたしに、魂というものがあったとして。死んだ後、その魂が再び人生を始めることができたとしても、わたしが辿ってきた人生に関する記憶が消えている以上、それはわたしではありません。最近よく見かける小説のように、記憶を持ったまま生まれ変わることができても、家族も肉体もすべてが変わる以上、限りなくわたしに似ていることはあっても、わたしではないんだろうなあ、と思うのです。

だとしたら、わたしが生きていられる人生は、この一回限り。

だから、その一回限りの人生を満喫したいなあ、と感じるのです。いくつかのマイナスポイントもあるけれど、そんなマイナスポイントを吹き飛ばして「ああ、よかった。いい感じだった」という感じで人生を終わらせたい。たった一回しか、あと数十年しか存在できない自分という存在を大切にしたい。

どのような人生ならそう感じられるのかといえば、やりたいことをやって、いきたいところにいって、食べたいものを食べて、好きな存在ともっと一緒に過ごして、という感じの人生なら、いい感じに満喫したなあ、と思えるのではないでしょうか。

だから、わたしはこの二冊の本をどうしても読みたかったのです。

わたしは間違えてた?

そうして読み終えた今、わたしは、間違えていたのかなあ、という気持ちになっています。

まず、読み始めた「不思議とお金に困らない人の生き方」という本は、物語形式の、わかりやすい本でした。お金の分身である金じぃと「僕」との対話形式で、幸せなお金持ちになる方法を書かれています。どちらかといえば、お金を扱うときに問われる内面的な方法で、具体的にお金を増やす方法ではないなあ、とも感じました。ただ、わたしはこの本に書かれている考えかたを好きになりました。

なぜなら、普通に使っていたお金に対する見方が、とてもポジティブになるからです。ポジティブになることがいいことばかりだとは思いませんが、ただ、普通に使えるお金へのイメージが変わっていく過程を、とても興味深く感じたんです。なるほど、そういう考えかたがあるのか。そういう考えかたも受け入れても面白いかもしれないなあ、と感じたのです。

続いて読み始めた「毎日を好きなことだけで埋めていく」という本では、表紙の帯の言葉にぎくっとしていました。「あなたの自由を奪っているのは、実はあなた自身だった」ーーーね、思わずぎくっとするでしょ? 

でも逆にいえば、わたし自身がわたしの自由を奪っているというなら、わたし自身が考えを変えさえすれば、もっと深呼吸できるようになる、ということです。ぎくっとしたけれど、決して変えられない他人ではなく、自分の意思ひとつで変えられる自分自身を変えるだけで、この自分自身がもっと自由になれるのならば、魅力的な言葉だなあとも考えたのですよ。

そうして読み進めて、読み終えて、今。

考えついたのです。ぎくっとした感触と共に、「わたし、間違えてるのかなあ?」と。

「で、本当はどうしたい?」

たとえば、わたしはやりたいことをやって、いきたいところにいって、食べたいものを食べて、好きな存在ともっと一緒に過ごしたら、自分の人生を満喫した、という気持ちになる、と書きました。

でもいま、わたしが進んでいる道は、逆方向に向かってるように感じたんですよね。

やりたいことをやる。----たとえば小説をもっと書きたいのに、最近のわたしときたら、最低限の小説しか書いていません。アイディアが降りてこないという弱音もありますが、それにしたって書く時間が減っているのはどうよ、と感じました。

いきたいところに行く。----まあ、これは。そもそも行きたいところと言っても、わたしには思いつきません。友達がハワイに行きたいとかフランスに行きたいとかいっていても、「でも猫を置いていかなくちゃいけないならそんなところ行きたくないなー」と考えている人間です。つまり行きたいところは、この今いる我が家以上に行きたい場所はないのでしょう。

食べたいものを食べる。----ダイエット中です。食べたいものばかり食べてたら目標を達成できません。その中で食べたいものを食べてる生活に、不満はあるかといえば「別にー」という程度。玄米もお味噌汁も高菜の漬物も好きですしね。でもたまに、おやつを食べたくなりますね、うん。いちいちカロリー計算するのではなく、何も考えずにロイヤルホストのステーキとか食べたいんですよね。

好きな存在をもっと一緒に過ごす。----や、その好きな存在って、わたしの場合、猫なんですけれど。飼っている猫ともっと一緒に過ごしたいなと思ってるんですけれど、いざ働き始めたら留守番させることになりますよね。就労支援を受けるときでも事業所に行くときは留守番させてます。

というわけで、いざ自分の状況と向き直ったところ、本音とは少々ずれてるのではないかなあ、と思いついたのでした。とはいっても、FP3級の資格取得に頑張った事実や、簿記3級に挑もうと努力している事実を否定したいわけではありません。

ただ、一度きりの人生と弁えていたにも関わらず、わたしはちょっと、ずれた方向に努力しているのでは、と思いついたのですよ。そしてそれは、もしかしたら、ありのままの自分自身ではなく、大多数の人間に自分を当て嵌めたいからでは、と思いついてしまったのですね。具体的には、わたしが働きたいと言い出した動機が気になったのです。生活のためにという理由はもちろんありますが、それ以上にわたしは、「きちんと働いている」健常者と同じになりたかっただけじゃない? と思いついたのです。

だから、今、ちょっと混乱してます。足元がぐらぐらしているような感触です。

とはいうものの、今の生活を全て変えよう、とまで、考えているわけではありません。今の生活のまま、進み始めた今のまま、もうちょっと注意深く、行きたい方向ににじり寄る方法があるのではないかな、と、気づいただけです。

それから自分が勘違いしているのなら。障害者である自分を放り出して、ただ、健常者になりたいだけなら。健常者の生活をまねて、そうなったと勘違いしたいだけならば、「無駄な努力はやめなよ」と自分に言わないといけないなあ、と考えているだけなのです。

目次