「ふざけるな!」

 大音声が響いた。びくり、と肩を揺らして、キーラは声をあげたセルゲイを見た。
 いつも無口無愛想なセルゲイが、珍しく感情をあらわにしている。剣の柄から手を放しさえして、スキターリェツにつかみかかろうとしている。兵士たちがざっと動いて、スキターリェツを護るように囲んだ。こちらでもヘルムートが動き、セルゲイの肩を押さえる。

「セルゲイ」

「いまさら協力してくれだと? だったらなぜ、初めからそう云わなかった。傭兵おれたちを襲撃しておいて、アリョーシャの命を奪っておいて、なぜ、いまさら。……アリョーシャを失ったいまになって、協力してくれ、などとほざく!」
「セルゲイ!」

 ヘルムートはさらに、肩を押さえた手に力を込めたようだ。冷徹な眼差しで続ける。

「いま、おまえに発言権はない。気持ちはわかるが、黙っていろ」

 高圧的な物云いだったが、セルゲイは反発せず、苦いものを飲みこむように顔をゆがめた。
 しばらく呼吸を繰り返し、やがてちいさく頷く。そうしてセルゲイは沈黙したが、『灰虎』の面々は似た思考を抱いたらしい。スキターリェツに向かう眼差しには鋭さが増している。

 いや、はっきりと睨んでいる。これだけ剣呑な雰囲気をまといながら、沈黙を続ける団員たちの自制心に感心して、キーラはアレクセイを見た。発言権なら、彼のもとにある。

「災いはいま、どういう状態なのですか」

 アレクセイはすでに動揺を消し去り、いつも通りに冷静な声音で問いかけた。

 だが宝石のような緑の瞳が、感情を抑えきれずに、厳しく引き締まっている。荒れ狂う感情を無理矢理押さえ込んでいるのだ、と、察した。思わず、ロジオンを見ていた。同じ感覚を抱いたらしいロジオンもキーラを見つめ返して、二人は眼差しだけで、互いの危惧を示し合った。

 団員たちの気持ちはわかる。彼らの怒りを同調したい気持ちも、キーラの裡にある。

 だが、災いに喰われる経験を追体験したキーラは、あるいは、スキターリェツの能力を知るキーラには、スキターリェツの申し出で勝算が高まると計算している部分がある。おそらく、ロジオンも同じなのだ。災いを確実に消滅させるためには、スキターリェツの申し出を受けたほうがいい。そう考えているとキーラにはわかった。

 あらかじめ、災いと対決する可能性についても、アレクセイたちと話し合っておいた。ただ、勝算は低いという結論に達していた。なにせ災いとは、永続魔法をかけられた竜族の肉体である。さらに、すでに意志がないからこそ、簡単に滅ぼせないと予測できていた。最強と名高い傭兵集団『灰虎』でも、紫衣の魔道士二人いたとしても、勝算はやはり低い。

「王宮の地下施設で、半覚醒状態、ってところだね。こちらも手を打っているけど、いつまでおとなしくしていてくれるか、わからない」
「手を打っている、とは?」

 スキターリェツは、ただ、静かに笑った。ぞくり、と背筋が冷えるような微笑だった。

「存在するために、わざわざ異世界からの生贄を必要とするような存在なんだ。おとなしくさせるための方法なんて、だれにだって想像つくだろ」

 キーラは最初、云われた内容の意味が分からなかった。なぜなら、生贄であるスキターリェツはここにいる。五体満足のありさまで、廃人にもなっていない。

 だが、それでも充分だった。少しの間をおいて、理解した。

 スキターリェツは、災いをおとなしくさせるため、魔道の力を持つだれかを犠牲にしている、と告げているのだ。だれかの、つばを飲み込む音が大きく響いた。

「おめえは、」

 嫌悪をあらわにし、なにかを云おうとしたアーヴィングに、無機質な眼差しを向けて。

「きみたちの云い分はわかっているよ。ひとを犠牲にするなんて、人道的にどうなんだ、って云いたいんだろ? でも僕には、僕の云い分がある。そもそも、災いはきみたちの、この世界の問題だ。なのに、まったくかかわりのない異世界人をわざわざ召喚して、生贄として捧げるきみたちはどうなんだってね」

 冷ややかですらない、ごく淡々とした調子で、スキターリェツは糾弾した。
 空気が変わりつつある。スキターリェツに向かっていた剣呑な空気は薄らいで、なんとも半端な空気が漂う。アーヴィングは苦い顔をして黙り込んだ。

「ま、きみたちは関係ない人間だから、これ以上は、僕もなにも云わないけど」

 ふ、とスキターリェツはやわらかく微笑んだ。いくどか、見たことがある微笑だ。のほほんとした、ちょっと気が抜ける笑顔を見て、奇妙に、キーラは泣きたくなった。

(だれが悪いの?)

 心の片隅で、感情的に訴える自分がいる。だれがあたしの夢を奪ったの。大切に、楽しみに待っていた、あの子との再会が叶えられなくなったのは、だれのせいなの。

 落ち着け、と、キーラは云い聞かせた。すでにひととき、感情におぼれる時間を過ごした。ロジオンの記憶を追体験したあと、レジーナだけを傍らに置いて、充分に自分を憐れんだ。嘆いた。そうして立ち上がって決意を固めたのだから、いまさら揺らぐ理由がない。

 ――――あの約束が大切だったの、と駄々をこねる自分の云い分など、もう、聞かない。

 深く呼吸を繰り返していると、きっぱりした響きでアレクセイが告げた。

「わかりました。いまは、あなたに協力しましょう」

 緑色の瞳は凪いでいて、いつもの落ち着きを漂わせていた。息をつく気配が、あちらこちらから漂う。ところがスキターリェツは面白がるように、口角を上げた。

いまは(・・・)?」

 くい、と、アレクセイも口角を上げた。初めて見る、挑発的な微笑に驚いた。

「おまえにはおまえの云い分があるんだろうさ。だが、それが免罪符になるとでも?」

 王子としての口調を崩して、アレクセイは真っ向からスキターリェツに相対する。

「最初にセルゲイが云ったはずだ。ならばなぜ、アリョーシャの命が失われたいまになって、協力を求めるのかってな。おまえはやつの、おれたち(・・・・)の訴えに対して、はっきりと応えていない。いま、自分の境遇が同情すべきものだと訴えてくれたが、最初に協力を求める手間を省いた理由を説明していない。このまま誤魔化せると思ったのか?」

 朗々と響く声はどこまでも揺らぎなく、なにより、力強かった。

「おまえは、ただ、かわいそうなだけの異世界人じゃない。十年前はそうでも、いまはちがう。れっきとした王宮の狸を利用し、一国を奪おうとしている、油断ならない異世界人だ。だからおれは、手加減などしない。私怨だと罵られようと、知ったことか。災いを消滅させたあと、おれはおまえを殺す。必ずだ (・・・)
「……おもしろいね。さすが、アレクセイのやつが信頼したトモダチだ」

 微笑んだまま、スキターリェツはけろりとした様子で続けた。

「僕は死にたくない。だから返り討ちにさせてもらうよ。きみも、覚悟しておくんだね」

 そう云って、スキターリェツは踵を返して歩き出した。こちらを警戒しながら、兵士がそのあとに続く。木立に彼らの姿が消えたあと、キーラはつめていた息を吐き出した。
 いつもの微笑みを浮かべながら、アレクセイはそんなキーラを振り返る。

「――――というわけです。もちろん協力してくれますね、キーラ?」
(災いと戦ったあとに、あの、スキターリェツと戦うわけ……)

 脳裏に浮かぶ記憶は、決して忘れられない場面、スキターリェツが指ひとつ鳴らしてキーラが集めた力を奪った記憶だ。げっそりした。だが、いつもの腹黒そうな微笑を見て、いつのまにか苦笑していた。

 ――――なぜならキーラは、この偽物王子に協力する、とすでに決めているのだから。

「……骨は拾ってもらうわよ」
「あいにくですが、出来ない約束はしない主義です」

 どこまでも清々しく、かつ、頼もしい即答に、苦笑は深まった。
 キーラが死ぬときは、自分も死んでいる。婉曲的な言葉と朗らかな表情で伝えられたアレクセイの意思は、こういう状況でなかったら、愛情の表れと受け取るところだった。