「あまいねえ、次期ギルド長どのは」

 クリスチーナの屋敷から魔道士ギルドに戻ると、ブラッドに捕まった。  好奇心がうずいて研究に集中できなかった、と、うるさく騒ぐものだから、しぶしぶ事の次第を説明した。魔道士には守秘義務がある。だから問題ないと見極めながら、いちお、支部長に与えられた部屋で説明すると、ブラッドは開口一番、そう云った。

「なぜ、そこでお嬢さんの今後について考えてしまうかね。ぶっちゃけ、世間知らずなご令嬢がどう感じようと、魔道士ギルドには関係ない。そうじゃないか?」

 だから依頼を断っておしまいにしたらよかったのに、と云われたが、ぎりぎりなところで、キーラにだって、云い分がある。たぶん説得はできないだろうな、と考えながら主張は忘れない。沈黙は金なり、でも、雄弁は銀なり、なのだ。

「まったく関係ない、とは、あたしには思えなかったの」

 紅茶を淹れるためにポットを温めながら、ちょっと強い口調で云い返した。

「クリスチーナ嬢は、貴族の令嬢よ。たぶん愚行はご両親が許さないだろうけど、それなりに人脈もあれば人を動かす力もある。だから依頼を断れることによって、思いつめて変な行動に出られたら、厄介だなあと感じたの。たとえば、魔道士殺しの犯人を見つけてきた人に賞金を渡す、という方法も選べるのよ、あの人。そうなれば関係ない人を突きだすような事件が多く発生しそうだし、万が一にも、マティアスが引っ掛かったら厄介でしょう。なにより、王子さまの式典を控えているいま、どんなに小さくても厄介事の芽はつんでおきたい。だから、クリスチーナ嬢を管理するために、依頼を引き受けたの」
「そのあたりはわかるがね、親御さんの思惑まで管理できると思ってるのか?」

 鋭い問いかけだったが、キーラはすぐに答えなかった。

 ポットのなかのお湯を捨てて、ティースプーンで紅茶葉をすくって、ポットに入れる。もう一度沸かしたお湯を注ぐ。そう鍛えてくれたアリアを思い出しながら、慎重に答えた。

「出来ないと思う。クリスチーナ嬢のご両親の思惑だけではなくて、魔道士ギルドへ興味を持った貴族たちを管理しようなんて、無理な話よ。相手は策略の塊なんですからね」
「だったら」
「だから気づいたの。いずれにしても興味をもたれるなら、付き合いやすそうな貴族から慣れていったほうがいいな、って」

 キーラの答えは想定外だったのか、ブラッドは驚いた様子で「ほう」とつぶやいた。

 そうなのだ。魔道士ギルドは、すでに関心を集めている。

 あの魔道士たちを処罰したかもしれない組織として、というより、アレクセイ次期王と親しい組織としてだ。利にさとい貴族なら、なおさら関心を抱いているだろう。だから今回のように、アレクセイへのつてを求めた依頼は、今後も訪れる可能性がある。そのときのために、クリスチーナの依頼で対応方法を慣れておこうとキーラは考えたのだ。

「意外だね。おまえさんがそこまで先を考えているとは」

 驚きからさめた様子で、ブラッドがにやりと笑った。

「正直に云ってしまってもいいんだぜ? いま、おれの追及をかわすために、帰り道、必死になって云い訳を考えましたってな」
「だれが云うか、んなこと。さあ、紅茶が入ったわよ。さくっと飲んで、研究に戻って」

 今朝は研究員たちに発破をかけるために、五日もある、と云い放ったが、紫衣の魔道士として期限を見極めてもいる。いま、ブラッドをはじめとする紫衣の魔道士たちが研究に加わって、ハナビの魔道はぎりぎり完成するか、と云ったところなのだ。ブラッドたちには頑張ってもらわなければならない。同様に、紫衣の魔道士らしく、そのあたりを悟っているブラッドは「ヘイヘイ」と大人しく応えて、茶器に口をつけた。かと思えば、すぐに口をはなして、紅茶を見直している。先ほどよりも驚いた様子だ。

「なに、どうかした?」

 淹れ損なったか、と不安になりながら、キーラも紅茶を飲む。問題ない。ちゃんと美味しく淹れている。ならばなにに驚いているのか、とブラッドを見直すと、思いがけずに真剣な眼差しを向けていた。

「おまえさん、いいのか?」
「なにが」
「これだけ紅茶を淹れる腕を鍛えておいて、本気で夢を捨て去るつもりか」

 そう云われて、キーラは目を見開いた。

 ああ、と、心のなかでつぶやく。忘れていた、そんなこと。

 キーラは苦笑して、どう応えたものか、と考える。なにせ、相手は同僚だ。魔道士ギルドのギルド長に反発し続けてたキーラをよくよく知っている存在である。どう云ったら納得してもらえるのか。考えて、結局、いま感じた心の動きを正直に告げた。

「忘れてたわ、夢のことなんて」
「おい?」
「本当よ。忘れてた。あんなにも大切にしてたのにね……」

 表情の選択に、心の底から困惑する。哀しいわけでもない、かといって、嬉しいわけでもない。通り過ぎた魔道士の言葉を思い出す。夢はいつまで経っても夢なのだよ。

(うん、その通り)
「あのね、ブラッド。伝わるかどうか、わからないけど」

 ためらいながら言葉をつむぐ。キーラの状態に気付いたらしい同僚は、あえて軽妙な気配をまとってくれた。真剣でないほうが話しやすい。そう考えたらしい。

「夢はたしかに大切なのよ。でもね、いまのわたしには、夢を叶えるより、環境を整えるほうが大切なような気がしてる。じいさまやいろんなひとに見守っていてもらっていたって気づいたから、いまはお返ししたいの。だからギルドの仕事をがんばるの。第一、」

 言葉をつむいでいるうちに、ふと、気が向いた。これまでだれにも話さなかった、「あの子」のこと。いま、話してみようか。ブラッドならあっさり流してくれそうな気がする。

「喫茶店を開きたいという夢はね、ある男の子を迎えたかったからなの。次にマーネに行くって云ってた、男の子をびっくりさせたくて、あたしもマーネに行ったに過ぎないのよ」
「は?」

 思いがけない言葉だったのか、ブラッドはぴきと動きを止めてキーラを見た。
 あれ、想定外の反応。意外に感じながら、苦笑しながらさらに話し続ける。

「だからちいさいころに出逢った男の子をびっくりさせるために、喫茶店を開きたかったの。でも、その男の子は亡くなっていたから、夢はもう、叶わなくなったのよ」

 するとブラッドは眉を寄せて黙り込んだ。「そりゃまた」、そう云ったかと思えば、あいまいに言葉を濁す。キーラが紅茶を飲み終えるほどの時間を置いて、ブラッドはようやくいつもの様子を取り戻した。にやっと笑って、「失恋したわけだ、おまえさん」などと云う。

(しつれん)

 云われた言葉が驚きだった。

 あの男の子は、本当のアレクセイ王子は親友をかばって亡くなったのだ。恋愛感情という情愛が入り込む余地はない。でも、そうか、と考える。そういう考え方もあった。

 アレクセイ王子は、キーラとの約束を守るより親友の命を守ることを選んだ。

(うわー、なんだかいやな女ね、あたし)

 親友の命を守るより、自分との約束を守ってほしかった、なんて、女のエゴ丸出しだ。思わず声を立てて笑うと、ぐい、と冷めた紅茶を飲み干したブラッドが立ち上がった。ぽん、と、昔馴染みの気軽さで、キーラの頭を軽く叩く。

「ま、元気出せ。美味しい紅茶、ごちそうさん」

 そう云って支部長室を出て行く。残されたキーラは長椅子にごろんと横になって心のなかでつぶやいた。

 失恋、かあ。なんだか気が軽くなった気がする。だからきっと、それでいい。