MENU
「24時間、料理の注文を承ります。」

公開している創作を大幅に書き直して、2022年11月、文芸社より発行していただきました。

現在、発売中です。

試し読み

自分にしか。

友人が主催するセミナーの手伝いをしてきました。

だから自動的にそのセミナーの内容も聞いたのです。スピーカーさんの話をうかがって、素直にすごいなあと感じました。どんな分野でも第一線を突っ走ってる人には独特の論理があると思うんです。その論理を聞くことができたのだから、なかなか実りの多い一日だったかも。

「自分でやると決めたらやるだけ」
「人生には落ち込んでいる暇なんてない」
「自分の人生は自分しかわからない」
「得意分野だけやればいい」
「本当になるんだ、と信じきってほしい」

印象的な言葉はいくつもあったけれど、メモっていた言葉はこの言葉です。とてもシンプルな言葉だと感じました。特にね、「自分の人生は自分しかわからない」という言葉は、ずしんと響いたかな。

そうなんだよね、と帰宅の途につきながら考えました。

例えばいま、わたしは就労支援を受けながら執筆を頑張っているけれど、そんな自分をよしとして行動しているけれど、失った家族が生きていたら咎められるだろうなあ、と考えて落ち込む時もあるのです。もう若いと言えないんだから、もう少し年齢相応というものを考えたら、と言われるだろうなあと想像することがあります。

実際のところ、家族がどういうのか、それは永遠にわかりません。わたしはただでさえ、統合失調症という大きな障害を抱えて生きています。だから生きてくれるだけでいいと家族は考えたかもしれません。----でも家族が生きていた時に言ってきた言葉を思い出せば、無条件で今のわたしを受け入れてくれたとは、どうしても思えないんだよなあ。だから、落ち込む。

でもね。

それでもわたしはわたしなりに考えて行動しているわけじゃないですか。他の人なら、この状況からでも導ける、もっと素敵な生き方があるのかもしれないけれど、この人生を引き受けているのは、このわたし。わたしだから感じる気持ちがさまざまにあるのですよ。その気持ちを昇華しながら行った選択に、家族といえど、自分以外の人間が口出す余地ってほとんどないんですよね。もちろん一緒に生きていく人なんだから、できうる限り配慮したいと思うけれど、家族は家族で、その人の人生を歩んでる。

だから、自分の人生は本当に、自分しかわからない。

そしてそんな自分を大切にできるのも、本当の意味でも大切にできる人も、わたししかいない。わたしが、大切にしないといけない。あらためて、そう感じました。さらにね、決めてしまったら他人の目を気にしていられない、とも感じました。そんな余裕なんて、人生のどこにもない。

それでも友達に嫌われたくないと感じるから、他人の目を気にしてしまうときもあるけれど、でも、自分を大切にするために決めた決断に意を唱える人は、多くはないでしょう。むしろ他人の目を気にするということは、その他人に、人生の責任を負わせることにもなるのかもしれません。家族でもない、友達にねえ、そんな大役を背負わせるのはどうなのかなあ、と個人的には考えましたね。

目次