MENU
「24時間、料理の注文を承ります。」

公開している創作を大幅に書き直して、2022年11月、文芸社より発行していただきました。

現在、発売中です。

試し読み

ゴーサイン。

事態が動く時ってあっという間なんだなあ、と実感した日です。

目次

小説を書きたい。

今日は訪問看護と急きょ予定に入れた診察がある日です。どちらも就労支援について相談しようと考えています。ただ、約束の時間まで時間があったから、いつも通りに家事を済ませて、猫と戯れながら読書をしました。

読んだ本は「小説家になって億を稼ごう」----ずいぶん昔にiBookで購入していた本です。なかなか刺激的なタイトルです。え、小説家って億を稼げる職業なの!? と驚いた記憶があります。二部構成に分かれてて、それぞれ、創作術と仕事術が書かれています。

今回、こちらの本を読み始めた理由は、第一部の創作術のハウツーを読み返したくなったから。「想造」という独特の単語を用いて説明される創作術を読んで、現在、頭の便秘状態になっている創作の、突破口をなんとか開きたかったのです。

いざ物語を書き始める前に約束の時間になってしまいましたが、でもずいぶん助けられたなあ、という感覚になっています。そうか、そういうふうに考えたらいいんだ。購入した昔にも抱いた感想ですが、今回もまた同じ感想を抱きました。

そうして考えたことは、わたし、まだまだ想造が足りなかったんだわ、ということ。もっともっと遊ぼう。思考を巡らせよう、と考えましたよ。楽しみます。

看護婦さん「いいと思いますよ」

いつも通りの時間にいらした看護婦さんに、さっそく就労支援に関する相談をいたしました。先週まで全く気配がなかった話ですから(とはいえ、相談するという話はしていた)ちょっと驚かれたようですけれど、賛成してくださいました。

むしろ、賛成されたことで、わたしはたじろいだのです。

そんな気持ちも正直に申し上げますと、理解を示していただきました。事態が動き出す時は急なことが多いものだと。でもその時に抱くおそれはみんな一緒だから、という言葉とともに、個人情報に触れない範囲で、同じ病気を患い同じ年代で同じように働いている方々が存在していると教えてくださいました。この地元に同じような人がいる。知らされた事実はわたしをずいぶん勇気づけてくれました。

他は、他愛ない話をいたしましたね。その他愛なさが、わたしから緊張を奪い去ってくれたようにも感じられます。今の時点では何もわかりません。今回の選択が良い結果に結びつくのか、悪い結果に結びつくのか、誰にもわからないのです。

それでも動き出せた事実を安心しても良いように感じられて、ホッとしました。

主治医「無理はしないように」

訪問看護が終わったあとの時間帯に、急きょ、診察の予定を入れました。看護婦さんと同じように、お医者さまとも就労支援の相談をしたかったから。予約した時間は夕方です。読書の続きをしながら時間を潰し、いそいそと出かけてきました。

そうしてお話ししたところ、「いいと思いますよ〜」との返答をいただきました。

「深谷さんはちゃんと治療もされてますからね。ただし無理をしないように」と、注意事項付きではありますが、許可がもらえました。

----まあ、実は訪問看護の看護婦さんの様子から、予想できた反応でもあります。自分でも考えていました。最近は規則正しく生活できているし、十中八九、許可はもらえると考えていたのです。でも想定以上に、あっさりでしたね。

ゴーサインは出てしまった。

というわけで、就労支援を利用することに関して、ゴーサインが出ました。

だからあとはサービスを利用する手続きを始めて、就労訓練を始めるだけです。とってもドキドキしています。やっぱり病気に対する不安が大きいような、でも実際に動き出せることにワクワクするような。

統合失調症と付き合うようになって、長い年月が過ぎました。わたしはもう働かない。そう考えていました。ただ、それは「働けない」事実を知っていたから。

何度か職場を変えて、そのたびに病気を悪化させてきた事実を踏まえて、「働かないほうがいい」と考えていたのです。働いても最終的には病気を悪化させて、まわりに迷惑をかけて、信頼と入院費を失う羽目になるのだから、と考えていました。

でもやっぱり、わたしは働きたかったのです。

働かない毎日のなかで、自分が死ぬ状況を何度も思い描きました。天涯孤独で仕事もしてないから、死後数日経ってから発見されるんだろうな、とか、そうしたら飼っている猫も餓死してしまうんだろうか、とか、明るくない想像ばかりしました。

その想像は今も変わりません。就労してもわたしの状況は変わりません。

ただ、命を失う間際に想うだろうことに対する想像が、ちょっとだけ変わります。病気に振り回されるだけの人生だった、と末期には考えるんだろうなという想像が、病気に振り回されながら仕事も頑張った、と考えるようになるのではないかな、という想像が芽生えたのです。そうなってほしいな、という希望も出てきました。

----もっと率直に言えば、人生の最期には「作家になれて嬉しかったな」と考えられるような人生を過ごしたいなあ、とも希望しているのですが、ね。

目次