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「24時間、料理の注文を承ります。」

公開している創作を大幅に書き直して、2022年11月、文芸社より発行していただきました。

現在、発売中です。

試し読み

「長生きすれば、恥多し」

今日は月に一度の受診日でした。

とりあえず今回も特に困った症状は出ていません。幻聴も妄想もなし。だからいつも通り、筋肉注射してもらって帰宅しました。お昼ごはんは昨日のハンバーグね。美味しかった。

昼食の後に訪問看護を受け、そちらでも問題なしと判断されてます。むしろ今は、以前にも書きましたが、調子がいいほうなのではないかしら。気圧の関係で少々のだるさと食欲の不安定が現れてますが、許容範囲でしょう。前回、入院した時の症状と比べたら、マシと判断しようとしたところで、そのときのひどい症状の詳細を思い出してしまいました。

統合失調症を患って、その症状が激しくなった時の自分は、ひどく困った行動をします。

時には命に関わる行動もしました。だから入院措置を取られたんですけれど、症状が落ち着いてしまえば、「なんでそんなことをしたんだろ」と後悔します。それらの行動に関する記憶がなくなることもありますが、わたしの場合、それらの困った行動を覚えていることが多いのです。そうして後で苦しむ。常識や良識を忘れてしまったとしか思えない行動をした、自分に対する羞恥心や後悔がたびたび、毎日の生活で襲いかかってくるのです。

その度に「もう忘れる!」と言い聞かせているのですが、むしろわたしはそう言うたびに、困った行動に関する記憶を余計に深く、刻み込んでいるような気持ちになります。

つまり、忘れられない。

「長生きすれば恥多し」と言いますが、わたしの場合は少々たがの外れた恥ではないかなあと感じます。まわりの関係者が「病気だったんだからしかたないよ」と言ってくれるだけに、心底そう思っていることが伝わってくるだけに、余計に居た堪れない。恥ずかしい。

や、わたしも他人に対してならそう言えます。事実、同じ病気を患ってる人の困った行動に対して、心の底から偽りなく「それは病気がさせた、本人でもどうしようもない行動だ」と感じますし、困らされたとしてもじきに忘れます。他人よりも自分ごとで手一杯なんですもの。いくら迷惑行為でも他人の行動をいつまでも覚えていられません。だからこれまでに迷惑をかけてきた他の人だって、わたしの迷惑行為を同じように扱ってくれるんだろうな、忘れてくれるんだろうな、と理解できます。

でもなぜか、自分だけが、自分のやらかした行動を忘れられないんですよね。やらかした行動を許容できないし、忘れられない。それだけならいいんですけれど、例えば人と接する時、「この人に対してあんな行動をしてしまったのだから、この人はもう、わたしを変な人だと思い続けるんだろうな」と考えてしまって、萎縮するのです。相手が屈託なく付き合ってくれるだけに、不自然に萎縮してしまう事実が申し訳なくて、とても苦しい。

だから本当に「もう、忘れる!」ことができたらいいなあ、と考えます。でも同時に、本当に忘れてしまって、同じ行動を繰り返してしまったらどうなる、という恐れがあるのです。それに迷惑かけた当人が、許されたからと言って迷惑をかけた事実まで忘れてしまうのってどうなんだ、とわたしは感じるから、やらかした行動を忘れられない状況を受け入れるしかないんですが、苦しいなあと感じる瞬間は多くて、たまにしんどいです。

----まあ、でもこれらのしんどさも、生きているからこそ。

わたしが生きている間だけ、わたしだけが感じるしんどさなんですから、もう共存するしかないのでしょう。そして同じような想いをしている人はきっと、わたしが思っている以上に多いのでしょう。それはきっと、「長生きすれば恥多し」という諺が残ってしまうほど--状況は違えど、理由は違えど、失敗しない人間、迷惑をかけない人間はいないのですから。

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