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「24時間、料理の注文を承ります。」

公開している創作を大幅に書き直して、2022年11月、文芸社より発行していただきました。

現在、発売中です。

試し読み

持病と向き合う時間。

先日、天気が崩れるという予報がありましたが、見事なほどカラッと晴れていました。だから今日も晴れてくれないかなあ、という期待は裏切られ、しっかりとした雨模様です。

うーん。資源ごみをたくさん出したかった日なのに、と残念に思いながら出かけてきました。今日は月に一度の定期受診がある日なのです。妙に甘えん坊になっている飼い猫を振り切って出かけてきましたよ〜。ええ、毎度のお薬も打ってもらってきました。

毎月のことですけれど、なかなかツラい。ご褒美にデザートを食べたくなるほどです。でもダイエット中ですから、我慢して帰宅。いまはコーヒーだけでまったりしてます。

目次

持病を悪化させないために気をつけてること。

今回も、お医者さまから「大丈夫だね」という言葉をいただきました。少なくとも持病である統合失調症がひどくなっている様子はない。お医者さまが下したそんな判断に、わたしも安心しました。

そういえば先日、友人と電話で話していたときに言われたのですよ。「みどりちゃんは調子が悪い時は1月くらいから調子崩しているけど、今年は安定しているね」と。

そういえばそうだ、と、気づいたわたしは、今年、持病が安定している理由を考えてみました。そうして思いついた理由を列挙してみますと、こうなります。

・禁酒禁煙を守って、規則正しい生活を送っている。
・毎月、かかりつけの病院で受診し、薬物治療を受けている。
・毎週、訪問看護を受け、話を聞いてもらっている。
・ほぼ毎日、5000歩以上、ウォーキングをしている。
・2021年内の半年をかけて、10kg〜のダイエットを成功させた。

医療機関を頼ることは当たり前ですが、それ以外の理由は地味すぎるかもしれません。でもわたし自身はなかなか侮れない理由だと考えています。本当に地味なんですけれども。

統合失調症に罹ってから、いわゆる精神につながるものに対する印象が変わりました。

なぜなら精神の領分だと考えていた、不安や興奮といった症状は薬の作用によって抑えられるようになるんですもの。不安も興奮も、他人には触れられない領域に発生するものだと考えていたから。それらが薬という物質によって抑えられてしまう経験をしたから、人の精神って物質が作用できるものなんだと、わたしは認識するようになったのですよ。

もちろん限界があるという事実も知っています。事実、鎮静剤や睡眠薬を飲んでも、肉体が眠っている状態になっても、落ち着かない、眠れないという経験も体験してますから。

と、ともかくですね、楽しいとか悲しいといった感情は、神経細胞の集合体である脳で生み出されるものなんですよね。外部情報を神経細胞がリレーすることで、感情が生み出される。精神が正常に保たれる。だから脳を含めた物質的な肉体が健やかであること、それが持病悪化を防ぐ手立てにもなってくれるんじゃないかなあ、と考えるようになったんです。他に、最終的に薬を飲まなくてもいい状態になりたかったから、薬が働きかける肉体への作用を、他の具体的な行為(努力)で補うことはできないか、とも考えていましたね。

わたしは医師ではありません。だからこの考えには医学的根拠はありません。

ただ、積み重ねてきた実体験があるだけです。毎日、いろいろな出来事が発生します。不安になることもあるし恨みがましいことも考えます。妄想を育ててしまうときもある。でもそういう気持ちって、眠るだけで消えることも多いんですよ。どんな理屈も言葉も通じない精神状態になったのに、単純に、身体を労わるだけで落ち着く。明るくなる。

だから肉体のケアって大切だなあと考えたのですよ。

むかしから抱えてた考えなのですけれど、今年のわたしが安定している理由は、昨年にパーソナルジムに通うことで、肉体を大切にする正しい方法が教わったからだと思います。

それまでのわたしは肉体を大切にするとは、無理をしない、我慢をしない、だと考えていたんです。だから疲れるほどの運動もしなかったし、空腹を感じたら間食を食べていた。それが肉体を大切にすることだと思っていたんですが、ジムに通うようになって、ダイエット方法を教わるようになって、勘違いに気づきました。

使わない筋肉は必要ないから退化していくし、栄養過多になるほど食べてたら胃腸が疲れてしまう。以前のわたしは、身体を大切にしているつもりでも、実質的には身体を損なっていたんだなあと気づきました。そうして教わった方法で身体をケアしているから、成果が出てくれたんじゃないかなあ、と、病院から帰りながら考えました。

本当はやっぱり薬とおさらばしたい。

そんなふうに考えているわたしの、率直な希望はやっぱり減薬です。

や、最盛期と比べたら、薬はかなり減っています。いま、服用している薬は一種類だけ。エビリファイという薬だけなんです。飲み忘れを防ぐために筋肉注射で打たれています。

必要だから我慢していますが、やっぱり注射って抵抗があるんですよね。

それに副作用もあります。HPで調べてみたら、わたし自身が困っている、いくつかの特徴が注意事項に書かれているんですよね。だから出来れば、エビリファイという薬を服用しないで済むようになりたいです。他の薬に変えるという手段もありますが、その場合、今以上に激しい副作用が出る可能性もありますから、他の薬に変える提案は怖くて出来ません。

----薬を飲まなかったら、統合失調症は再発の可能性が高まります。

三年前、わたしが入院するほど持病を悪化させた理由は、薬を服用しないでいたからです。実母が亡くなるという出来事もありましたが、いちばんの理由は薬を服用しなかったから。結果、たくさんの人に迷惑をかけました。いくつかの信用も失いました。当時を思い出すと、叫び出したいくらいに苦しくなります。

だから、もう絶対に、そんな状況になりたくないから、服用しないでいる状態を絶対に発生させないために、注射による服用を選んだんです。希望したのはわたしで、選んだのもわたしです。だから薬の服用に伴う不調や不満なんて自分で処理するしかありません。

そうするしかないんだけど、小さな不調に振り回されることもあるから。それに三年も経過しているから、あの当時の心境を忘れて、不調に振り回される不便さにため息ついてしまうんですよね。時には自己嫌悪にもなる不調だから、無くしてしまいたかったのだけど。

いま、今日の考えを振り返りながら、こうしてブログに書いていて、当時の焦燥を思い出しました。それでも入院するほど持病を悪化させるよりマシな状況なんだと思い出しました。

三歩進んで、二歩下がる。

ここまで文章を書いてきて、読み直して、感じました。

わたしの人生って、「三歩進んで二歩下がる」だなあ、と。この言葉は水前寺清子さんが歌われた曲の言葉ですよね。曲名は「三百六十五歩のマーチ」だったかな。前向きに生きよう、少しずつでも進んでいこうという前向きな言葉なんですけれど、ちと自虐的な意味でこの言葉を思い出しました。

時間は容赦ないから、どんどこ人生は流れていくんですけれど、わたしの人生もそれなりに歳月を重ねてきたんですけれど、同世代の人と比べたとき、常識とか配慮とか、いろいろと足りない気がしてます。前進できたと思えば後退してる。もっと進みたいのに、結果を出したい、と願っているのに、手前で力尽きる。病気に足を引っ張られる。

こんな病気になりたくなかった。ただ、あたりまえに健康でいられたらよかったのに。

と思うこともあります。でもそんなことを思っても、持病を抱えているという現実は変わりません。持病があるから薬を服用していて、その副作用的な不調に振り回されてる現実はまったく変わらないのです。だから、もしもを考えるなんて意味がない。夢想は妄想でしかない。人生を満喫したいなら、妄想は足手まといにしかなりません。現実を見つめて、自分を糾して、可能な範囲を見極めて、行動していこう、と思いました。とりあえず、自分を大切にする行為は、いま、このままのわたしでもできることですしね。

それにそろそろ、同世代の人だって、健康に気をつけなくちゃいけないお年頃です。メタボとか糖尿病とか、いろいろ! そう考えたら、わたし以外の人間にとっても、まったく当たり前の健康って、得難いものになってるのかも。

あら。そう考えつくと、悲観する必要なんて、まったく、全然、ない気がしてきますね。

と、気づいたところでブログを終えようと思います。長文、お付き合いいただき、ありがとうございました!

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