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「24時間、料理の注文を承ります。」

公開している創作を大幅に書き直して、2022年11月、文芸社より発行していただきました。

現在、発売中です。

試し読み

いつまで。

いつまでわたしは、生きていられるだろう?

最近のわたしは、そんな疑問について考える瞬間が増えました。きっかけは、昨年11月に受けた血液検査の結果です。中性脂肪の数値が高く、生活改善の指導を受けたのですね。現在改善すべく努力しているところです。一ヶ月後の血液検査の結果で、薬を処方されるかどうか、決まります。

糖尿病ではありませんし、急性膵炎でもありません。

ただ、揺らがないと考えていた健康が思ったよりも脆いものだとぼんやり感じたのですよ。思い起こせば、わたしよりもよほど健康に気を遣っていた実父は59歳で亡くなっています。実母も60代で亡くなりました。

まだ40代のわたしには死を遠い先のように考えていましたが、この十年間を思い出せば、あっという間に老後を迎えるのかもしれません。だから以前にもまして、規則正しい生活を意識するようになり、また、人生の残りについて考えるようになりました。

そうして思うことは、少なくともトラブルに関わってる暇はないなあ、ということです。

さらに、マイナス感情に囚われたり、余計な考えで足踏みしている余裕もないなあ、とも感じました。

いちお、小説を書き上げて自費出版で本を発行しています。夢は叶っています。でもわたしはまだまだ、頭の中にとどまっている小説を書き上げたいですし、少なくともあと10年は盛り上がり続けるだろうゲームだって楽しみたい。

そしてなにより、愛する猫ちゃんたちを最期まで見守りたい。

だから自分からトラブルやストレスのもとに近づくべきではない、と考えるようになりました。わたしにとって大切だと感じることは、自分の人生を全うすること。人生をおろそかにしても、他の誰も責任を取れません。最期の瞬間に後悔しても、自分以外の誰にもどうしようもないでしょう。責任なんてとってくれません。

わたし以外に自分の人生を決めることはできないのです。いろんな主義主張があり、しておいたほうがいいとされること、すべきではないとされることも数多くあります。それらのどれを選ぶのかは、自分以外が決めてはならんのです。

--本当のところを書くと、自分のことでも決めることはとてもおそろしいように感じます。

決めなくてもいい。そういう考えもありますね。ただ、わたしは、自分で決めるべきだと感じました。だから自分以外に決めてはならんという主張を持つようになったのです。だけど、自分で決めることはおそろしい。決めるということは、何かを選ぶこと、選ばなかった何かを切り捨てること。その結果に後悔したら、どうしよう、と感じてしまうからです。後悔して、泣き喚くことになったら嫌だと感じるからです。

それでもわたしは、わたしの道をゆくのでしょうけれど。

わたしはいつまで生きていられるのか。わたしが死んでも、残るものはない。今住んでいる家も壊され、お世話している樹木も撤去されるのでしょう。ご先祖さまから受け継いだものは、すべて、わたしで終わる。そう思うと、申し訳ない気持ちになるのですけれど、同時に、わたしはわたしなりの考えで必死に生きてきたのだから、許して欲しいという気持ちになる。

そんな感じの内容をね、最近はぐるぐると抱えているのでした。

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