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「24時間、料理の注文を承ります。」

公開している創作を大幅に書き直して、2022年11月、文芸社より発行していただきました。

現在、発売中です。

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茶道部のおもてなし 第二章

目次

(5)

 結衣と別れて帰宅したところ、まだ母親は帰っていなかった。

(今日も残業なのかな)

 台所には味噌汁が作ってあったし、タイマーがセットされた炊飯器ではほかほかのごはんが炊き上がっている。冷蔵庫を開けば、ラップをされた豚の生姜焼きがある。取り出して電子レンジで温めている間に、自室に通学カバンを置いて制服を着替えた。

 正直にいえば、そんなにお腹は空いていないが、用意されている夕食を食べなかったら母親が心配するだろう。温まったごはんをテーブルに移動させ、一人で食べ始める。

 沈黙がちょっとつらくなって、テレビをつけてみた。

「では、次のニュースです。このたび、中学生が何者かに襲われる事件が」

 でも始まったテレビ番組は、ニュース番組だから眉をしかめてしまった。

 おまけに中学生が襲われる事件だなんて、あまり聞きたくない。さっさとテレビを消して、食べ終えた食器を洗い始めた。母親はまだ帰宅してない。

 宿題をしなくちゃ、と思ったけれど、なんだかやる気が出ない。いっそお風呂に入ろうか、と思ったところで、鍵を開ける音がして、「ただいまあ」という声が続いた。

 ちょっとホッとした。バタバタと廊下を歩く音がする。母親が帰ってきたのだ。

「おかえりなさい。夕ごはん、もう食べちゃったよ」
「あ、ちゃんと食べてたのね、えらいえらい。そんな乃梨子ちゃんにご褒美があります」

 そう言いながら、母親が手に持ってたビニール袋を「ジャーン」と言いながら掲げた。

「なに?」
「抹茶と上生菓子! 食後のおやつに買ってきたのよ~。もうね、乃梨子から話を聞いてからずっと、和菓子を食べたかったのよねえ。だから茶道具セット、探してきて」
「それ、おかあさんが食べたかっただけなんじゃ」
「い・い・か・ら! 探してきて。その間に、夕食を食べておくから」

 そう言った母親は、いそいそとビニール袋から和菓子の入った紙箱を取り出す。

 こうなったらもう、母親は乃梨子の話を聞かないだろう。ため息をついて、二階にあがる。自室の隣にある和室に入った。荷物が片隅にまとめられているが、そのあたりにはないだろう。むしろこっちかな、と考えて、押し入れを開く。古ぼけた段ボール箱がいくつも積み上げられていて、このなかから探すのか、と、ちょっとうんざりした。

 まあ、でも、疲れてるはずの母親が楽しみにしてるのだ。

 頑張ってみよう、と気合を入れた。ひとつひとつの箱を押入れから取り出して、上フタを開いて行く。いろいろなものがあった。使い道がわからないようなものもあった。これじゃない、あれじゃない、と探している途中で、段ボール箱にマジックペンで中身が書いてある事実に気づく。パパパッと段ボール箱を見てまわって、茶道具、と書かれてる箱を見つけた。フタを開けば、木製の箱がいくつも入っている。

 そうして見つけた。茶せんと茶しゃくとなつめを。

(大丈夫かなあ)

 今日、茶道部で使った道具と比較すると、ちょっと汚れているように見える。まあ、洗えば使えるだろう、と考えて、両手に抱えた。一階に下りれば、母親がテレビを見ながらごはんを食べている。「見つけたよー」と言えば、「気をつけなさいよ」と言う。

「なにを?」
「なんか、中学生が襲われる事件があったそうよ。ちょうど学校帰りのルートと重なるんじゃないかしら。夜、帰りが遅くならないように気をつけてね」

 そう言ってから、ごはんをパクりと口に運んだ母親は、乃梨子が持つ茶道具に気づいた。ぱあっと表情を輝かせて、もぐもぐ口を動かした後、ごくんと飲み込む。

「あったのね。やー、さすがわたしの記憶力。あ、久々に使うんだから洗っておいて」
「人使い荒いなあ」

 そう言いながら乃梨子は台所に向かい、丁寧に茶道具を水で洗った。

 ふきんをしいた上に並べて、乾かしてから気づく。茶碗がない。

「ねえ、茶碗がないけど」

 まだテレビを見ながら食事をしている母親は、ひょいと眉毛を上げた。

「同じところに入ってなかった? 木箱に入ってるはずだけど」
「ああ……あれだったのか。とってくる」
「なかったらないでいいわよ? ごはん茶碗を使いましょ。うどん茶碗でもいいけど」
(いや、さすがにうどん茶碗はどうかな)

 せっかくなんだから、と、乃梨子は再び二階に上がった。

 そうして出しっぱなしにしていた段ボール箱から木箱を取り出した。古ぼけた紐で結ばれた箱を開けば、ツヤツヤと輝く茶碗がある。なんだか立派そうな気配を感じて、乃梨子はためらった。

 なんというか、いまからお茶を点てて飲むために、使っていいような茶碗じゃないような気がする。うっかり壊したら後悔しそうな、そんな気配が漂っているのだ。他にも木箱があるから、開けば、こちらも同様に、なんとも立派な気配を漂わせている茶碗だった。

(おばあちゃん、これ、もしかしなくても高いお茶碗だったりしませんか)

 思わず心の中でつぶやいて、乃梨子は茶碗を元の場所に戻した。

 とたとたと一階に降りて、「お茶碗、高そうなのしかなかった」と言えば、食事を終えた母親はあっさり「じゃ、ごはん茶碗にしましょ」と応じる。このあたり、話が早くて助かる。ざっと洗い物を終えた母親は、電気ポットでお湯を沸かした。パックに入っている抹茶をなつめに移動させる。ためらいのない動きに、乃梨子は確信した。

「お母さん、茶道、習ってたんだね」
「大学時代にね」

 軽く微笑んだ母親はそれ以上語ろうとしない。そう言えば、と思い出した。両親が出会った場所は、大学だったはずだ。だから乃梨子もそれ以上は追求せずに、黙って母親の動きを見守っていた。沸かしたお湯でごはん茶碗を温める。お湯を捨てる。茶しゃくで抹茶の粉をすくう。お湯を注ぐ。茶せんを持って、スナップを効かせた動きで茶を点てる。

 なめらかな動きだ。

 乃梨子も動いて、食器棚からケーキ用のフォークを取り出した。和菓子の紙箱を開けば、ピンク色のかわいい花形の和菓子が並んでいた。

「『吉野山』ですって。季節よねえ」
「どうして吉野山? 桜でしょこれ」
「吉野山といえば桜の名所じゃない。知らないの? 百人一首にもあるでしょう」

 知らない、といえば「不勉強ねえ」と笑われる。二人分の抹茶を点てて、スマホを取り上げた母親は、軽く操作して画面を見せてくれた。筆文字で「いにしえの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に におひぬるかな」と書かれている、どこかのサイトの画面だ。

「伊勢大輔の歌よ。平安時代に、奈良から献上された八重桜を受け取るときに詠ったらしいわ。とにかくむかしから、天皇に献上されるほど、奈良の桜は有名なのよ」
「へえ」
「いつか行けたらいいわね。じゃ、食べましょう」

 そう言って、母親はケーキフォークで吉野山を切り分けた。パクりと食べて、うっとりしている。乃梨子も食べた。さらりとした甘さが、口の中に広がる。

 美味しい。美味しいと感じた自分にびっくりした。

「驚いた」
「なにが?」
「茶道部でお菓子を食べたときにも感じたんだけどね、むかし、法事で食べた和菓子って甘いだけで美味しいって感じなかったの。でも最近、和菓子を美味しいって感じるんだ」

 ああ、と母親は笑う。

「味覚って育つものなのよ。まあ、子供時代が味覚の発達のピークだって言われてるけど、経験によって味覚は育つの。むかしは飲めなかったコーヒーをブラックで飲めるようになったりね」

(なるほど)

 てっきり、ましろさまの眷属が作った和菓子が、それだけ美味しいからだと思っていたが、ちがうのか。乃梨子の味覚が知らぬ間に発達していたからなのか。不思議な感覚になりながら、紀子は吉野山を食べ終えた。それから母親が点てた抹茶を飲む。

「母さん」
「なに」

 うっとりと抹茶を楽しんでいる母親に、乃梨子はジト目で言った。

「この抹茶、ダマになってるんだけど」

 にっこり母親は笑った。

「細かいことを気にしてたら、立派な大人になれないわよ」

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