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「24時間、料理の注文を承ります。」

公開している創作を大幅に書き直して、2022年11月、文芸社より発行していただきました。

現在、発売中です。

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あなたのマリナーラ (16)

目次

(16)

せっかくだからコンモツィオーネで食事したかった、とは、店を出て歩き出したディーノの言葉だ。そう云われて初めて、もう、お昼の時間になっていると気づく。お腹の空き具合にも気づいたわたしは、にんまり笑顔を浮かべてディーノを見あげた。

「だったらピッツァを食べに行こう。とっておきのマリナーラがあるの」

 さいわい、ラウロの屋台はここから遠くない。今日は仕事で八区を訪れているんだけど、せっかくなんだ。顔をゆるめながら提案すると、にやっとディーノは笑う。

「ラウロ・ブルネッティの屋台だな?」

 うんそう、と、ご機嫌に応える。次の調査対象であるリーチャは昼間、ラウロの屋台を手伝っていない。だから意味はないんだけど、やっぱりマリナーラを食べる機会を逃したくないじゃないか。それに、このくらいの寄り道は許容範囲だと思う。

「屋台のピッツァねえ。あまり期待できそうにないな」
「どうして」

 仕事中だからいいけどな、と、続けたディーノに、ちょっと反発を覚える。
 どうして頭から、美味しくないと決めつけるんだ。
 そんな気持ちで短く問いかければ、「侮辱したわけじゃねえぜ?」と云いながら頭を撫でようとするから、ひょいと頭をふって避けた。

 ご機嫌取りはしなくてもいい、それより、期待できないという理由をサッサと云わないか。
 むーんと半目で見上げれば、ディーノはやれやれと云いたげに肩をすくめながら、「屋台なら」と独断の理由を打ち明ける。

「窯で焼くわけじゃないだろ? だとしたら焼き上がりが、な」

 なんだ、そんな理由か。

「窯、あったけど?」
「……は?」
「だから窯、あったってば。ちいさいけど、屋台の後ろに石窯があった。あれで焼いてたから、焼き上がりはたいして変わらないと思うんだけど」

 昨夜の記憶を探りながら応える。うん、簡易な受付の後ろに、ちいさな窯があったよね。傍には薪が置いてあって、ごうごうと火が燃えてた。他の屋台には無かったから、あれはもしかしたら特注の石窯なんだろうか。使い込んだ石窯だったように思うのだけど。

「なんというか、規格外な屋台だなー」
「そう? 美味しいからいいじゃない」
「……たしかにそうだけどさ」

 そんなことを話しているうちに、ラウロの屋台が見えてきた。
 ああ、盛況だ。他の屋台にも人は並んでいるんだけど、オレンジ色の幕の前に、もっと長い行列がずらっとできている。ラウロ一人で切り盛りするのは大変そうだなあと考えている間に、ディーノが動いて屋台の裏側に回った。あれ、と驚いて、急いで後を追う。

「よお、大変そうだな。手伝ってやろうか」

 唐突に話しかけられたラウロは驚いたようだった。まじまじとディーノを見つめ、それからディーノの隣に駆け寄ったわたしを見つけた。茶褐色の瞳がふっとゆるむ。

「じゃ、おれはピッツァを焼くから、注文を頼む。メニューはマリナーラとマルゲリータの二種、それぞれ100コッラーナな。面倒だろうけど、注文票も書いてくれ」
「わかった」

 そう云うなり、ディーノはてきぱきと動き始める。ラウロも次々と窯でピッツェッタを焼き上げる。初めて会った者同士なのに、連携が完璧に出来ていて、わたしの入りこむ隙間はない。せいぜい、行列が他の屋台の迷惑にならないよう誘導したり、ピッツェッタの包み紙を回収したりだ。それでも一生懸命、動いてる間に、お昼時間は過ぎていった。

 ぐーるるるるきゅきゅきゅーう。

 熱烈なおねだり音に、お腹をさすった。切ない気持ちが押し寄せる。ごはん、食べたいなあ、と考えていると、「ちょっと」と云って屋台から離れたラウロが、飲み物とサラダを差し出してくれた。他の屋台で販売しているものだ。会計していたディーノが笑う。

「ありがとさん。わざわざ買ってきてくれたのか」
「手伝ってくれた礼。いつもはもっとお客さんを待たせていたから、助かったよ」

 それから本命の、マリナーラを焼いてくれる。ラウロは焼き上げたマリナーラを半分に切って、くるくる巻いて包み紙で包む。そうすることによって、手で持って食べられるようになるのだ。はぐはぐと噛みついて、口の中に広がるトマトソースに顔がゆるんだ。ちなみにディーノはマルゲリータをリクエストして、グーンとのびるチーズを楽しんでいる。

「ところで、あんた、何者?」

 ラウロがそう切り出したのは、無言でお昼をがっつき終えた後だった。

「わたしの仕事仲間。ディーノよ」
「自警団に所属している。会えてうれしいよ、ラウロ・ブルネッティ?」

 するとラウロは顔をしかめて、「なるほどね」とつぶやいた。

「あんた、でくのぼうの仲間か。ピッツァフェストまでおれを護衛するってやつの」
「でくのぼうとはひどいな」
「どこが。護衛してくれるのはありがたいけど、傍でずっと立っていられたら、軽い営業妨害だ。目障りだから、どっかに行っちまえ、と云ったけど」
(なるほど)

 ちらりと一角のはずれに佇んでいる仲間たちを見直した。護衛対象の傍じゃなくて、離れた場所にいる理由は、そう云う事情があったのか。なんだか恨みがましい視線を向けられている。うん、……ラウロにお願いして、仲間たちの分も焼いてもらおう。護衛作業は面倒だと云うのに、待遇がなんとなくあわれだ。

「じゃあ、おれのように手伝うなら、傍にいてもいいかな?」

 ディーノの言葉は思いがけない提案だったみたいだけど、やがてラウロはうなずいた。
 ちらりとディーノの視線がわたしに向かう。護衛をサポートする魔道具を用意しろと云うことだな。了解、とうなずき返して、ラウロがじっとわたしを見ている事実に気づいた。すぐさま首をかしげて問いかける。

「なに?」
「……おまえも、自警団に所属しているんだな」

 なんとも複雑そうな、本当は云いたくない言葉をしぶしぶ押し出すような声音だった。
 そういえば、云ってなかったんだっけ。そう気づくと同時に、そもそもの、ラウロとの出会いを思い出して、いたたまれない気持ちになった。

 ええと、なんとなく云い出しづらくて、と、言い訳してもいいんだろうか。

 もごもごと沈黙しているうちに、苦笑したラウロがぽんと頭に手をのせてくる。くしゃくしゃとかき混ぜる動きは、わたしを見透かしているようで、すっと気持ちが落ち着いた。

 ほとんど無意識に微笑んで、はっとディーノの視線に気づく。ほほうと笑みを浮かべているやつの思惑は明らかだ。ごほんと咳払いをし、ラウロの手から逃れて口を開いた。

「あっ、あのね。リーチャってこの時間、どこにいるかな?」
「サンタマリアにいるけど?」

 サンタマリアとはマーネにある孤児院だ。八区と隣接している七区にある。
 ちょっと歩かなくちゃいけないなあと考えながらディーノを見ると、なぜかディーノがペンと額を叩いてた。ラウロはいぶかしそうに眉間にしわを作っていた。

「リーチャに何の用。あいつ、仕事中なんだけど」
(あ、)

 失敗した、と気づいたのはこのときだ。どうして、ラウロにリーチャの予定を訊ねてしまったのか。じっとりした眼差しを向けてくるラウロの背後で、ディーノは首を振っていた。あきらめろ、と云わんばかりの仕草に、わたしはがっくり肩を落とした。

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