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「24時間、料理の注文を承ります。」

公開している創作を大幅に書き直して、2022年11月、文芸社より発行していただきました。

現在、発売中です。

試し読み

あなたのマリナーラ (25)

目次

(25)

 なにしろレオはディーノに抑え込まれていたから、避けようがなかった。
 見事に平手を受け止め、痛みよりも驚きを込めた眼差しでリーチャを見返している。びしょ濡れになったラウロとカットゥロが、顔を合わせて苦笑する。男たちのとぼけた反応が気に喰わなかったのか、リーチャは再び手を振りかぶった。

 ぱっちーん。二度目がヒットしてようやく、レオは反応した。でも怒るわけではなく、後ろめたそうに目をそらしただけだ。それが、リーチャの怒りをさらに招いたらしい。「ばか」、吐き捨てるように云う。

「云われてしまったなあ、レオ?」

 カットゥロが笑いながら、レオに話しかける。かすかに頭を動かしたレオは、のろのろとリーチャを見て「ごめん」と告げたのだけど、リーチャはつんと顔を背けたままだった。

(ま、当然かもね)

 そう考えながら、わたしはレオに近づいて、ぱちんぱちんと手錠をはめた。和やかな空気に咎める気持ちがあったけど、でも、明日、ピッツァフェストに出場するラウロを想えば、さっさと事務所に引き上げたほうがいいと考えたのだ。やるべきことをやっている。

 なのに、ラウロを見ることができない。

 わたしはうつむいたまま、くるりと脇に控えていたサンタマリア孤児院の院長たちに声をかけた。ディーノにも声をかけて出て行こうとしたとき、大きな手のひらが視界をよぎった。ラウロだ。温かい手は、レオの肩をつかんだ。振り向くレオにラウロが話しかける。

「師匠は、おまえを待つために、店をカットゥロに売却したんだ。おれはおやじの屋台を継ぎたがっていたから。だから、ちゃんと師匠の元に帰れよ。師匠なりに地道に身体を直そうとしてる」
「たしかにわたしは店を買い取ったが、店を閉めたままにしたくないという師匠の意志を汲んだからだ。いまはわたしがあの店を預かる。悔しいと思うのならば、わたしたちが納得する程度の技術を身につけろ。戻ってきて師匠の後継者にふさわしくなれば返してやる」

 ラウロに続いて、カットゥロもレオに話しかける。

 なんてお人好しなやつらなんだろ、と感じながらわたしはちらと笑って、同様に、しかたなさそうに笑っているレオを見た。そのとき、いいな、と、レオをうらやむ想いはどうして芽生えたのか。ただ、途方に暮れるしかないほどの強さで、わたしは思ったのだ。

(いいな。ラウロと強いつながりがあって)

 友達と云う関係、幼馴染と云う絆をラウロとつないでいるレオをうらやましく感じた。

 わたしとラウロは、友達ではない。ただの知人だ。

 たったひとつ、後ろめたさを抱いてしまえば距離を置けてしまう、そんな、頼りない関係でしかないのだ。わたしはどうしようもなく寂しく感じたけれど、いま、この場で何かを云えるわけもない。だからディーノと示し合わせて、孤児院を出て行こうとした。

 そのときだ。

 視界から消えようとした大きな手のひらが、わたしの肩もつかんだ。温かな手のひらが意外なほど強い感触でわたしの意識を引き寄せる。驚いて見上げた先、ラウロはまじめな表情を浮かべて、まっすぐにわたしを見ていた。

「カールーシャ」

 呼びかけて、ラウロはちらっと笑う。でも少しこわばった微笑みだった。

「おまえも、妙な遠慮なんかするな。おれたちは、おれは気にしない。おまえがレオを捕まえたこと、気にしていないんだから、またマリナーラを食べに来い」
「……気づいてたの?」

 わたしが気まずさを覚えてラウロを避けていた、とは云わないまま、あいまいに訊ねれば、ラウロはくしゃりと笑う。そうして肩に置いた手のひらを移動させて、くしゃくしゃとわたしの髪をかき混ぜた。「ばーか」、合間に聞こえる言葉が、なぜだろう、手のひらと同様、とても温かく感じる。

 まずい。視界がどうしようもないほど、ぼやけてくる。慌ててわたしはうつむいて、でも返事をしなくちゃとも考えて、必死でうなずいた。何度もうなずいた。温かい手のひらはわたしの頭から離れない。そっとそっと撫でてくれる。安心した。とてもとてもうれしかったのだ。これからもラウロに会える。ラウロのマリナーラを食べることができる。
 だから、

「明日はピッツァフェストだから、明後日、食べに行く」
「ああ」
「明々後日も、その次も、その次の次の日も、ずっと、ずーっとよ」
「極端だよなあ、おまえ。ま、いいけど」

 思い切って顔をあげて、ラウロの顔を見つめたのだ。

 ラウロはカラッと晴れやかに、少しばかり呆れたように、笑っている。

 それはまるで、レオに向けていた笑顔のようで、わたしはますます嬉しくなる。ああ、受け入れてもらっている。心からこみあげる感情のまま、満面に笑顔を浮かべて、率直に告げた。

「だって好きなんだもの。我慢なんてしないでいいんでしょう?」

 ぴたりと頭を撫でる手のひらが動きを止めた。ひゅう、と高らかに口笛を吹いたのはカットゥロか。リーチャは先ほどまで漂わせていた怒りを消して瞳を輝かせている。レオは唖然として、ディーノは溜息をついた。院長たちは、……まあいいか。そうして、ラウロは。

 目を真ん丸にして、わたしの大好きなマリナーラのように、頬を赤く染めたのだ。

(あれ、)

 いぶかしく感じて、わたしの告げた言葉の意味に、改めて気づいた。

 ああ、そうか。そういう意味になっていたのか。気づいたけど、否定しようとは思わなかった。料理を作るのは人間よ。キーラの言葉を思い出す。うん、と素直にうなずきたい。

 わたしはこの世でたった一つ、こだわりたい食べ物が出来た。それはね、ラウロ、あなたの作るマリナーラだ。大好きなあなたが作るからトクベツ。そういうことなんだよ。

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