宝箱集配人は忙しい。
64
僕の名前を呼ぶ声がした。
知っている声のようでいて、知らない声だったようにも思える。もしかしたら、もう、忘れてしまった両親の声かもしれない。遠く近く、僕を呼ぶ声は、僕の意識を叩いた。
「室長!」
ハッと目を開けたとき、すぐ近くに、秘書どのがいた。
いや違う。正確には、秘書どのが僕を抱え込んでいた。ゆっくりと視線を巡らせれば、部下たちが僕と秘書どのを見下ろしている。一様に必死な顔つきをしていたが、僕と眼差しがあったとたん、まったく同じ様子で、泣き出しそうな顔にゆがむ。
(待て待て待て)
そこは安心するところだろう、と言いたくなって、僕は口を開いた。
「僕、大丈夫なんだけど?」
「どこがですか!」
即座に秘書どのが突っ込む。いやまあ、それはそうなんだけど、少なくともいまは、大丈夫だ。だって優秀な僕の部下たちが、治癒の術式を使ってくれたようだからね。
僕の口を覆っていた術具は、もうはめられていない。
神殿の衛兵たちに捕縛された僕は、あれからまもなくして意識を失った。まあ、信義を標榜する輩から、いろんな尋問を受けたんだから、凡人にすぎない僕だって意識を失う。
秘書どのの腕の中から、ゆっくりと身体を起こした。あれほど僕を苛んでいた痛みは、どこからも感じない。僕は手を伸ばして、部下たちの頭を撫でていった。えらいえらい。そういう意味だったんだけど、部下たちはますますうつむくから、ちょいと困った。
「……今度こそ、あなたを失うかと思いました」
最後に秘書どのの頭を撫でようとしたら、ひょいと避けられた上に、恨みがましい眼差しで言われた。僕は苦笑する。感情のまま、ごく自然な形で表情を動かせられたから、自由っていいな、と思った。尋問を受けてるときには、……もう思い出したくないかな。
「まあ、僕も、やべえな、と思ったよ」
でも、しかたなかった、という言葉は封じて、そのまま立ち上がる。
乱れていた襟元をぴっと正してから、「現在の状況は?」と訊ねた。
神殿に拘束されていた僕が、こうして命がある状態で部下たちに救い出されている。となると、ある程度までの状況は読めるけれど、思い込みで事態を判断してはいけない。
ましてや、こんな非常時だ。
僕が意識を取り戻したときから、この牢獄の外から、喧騒の気配が響いている。
素朴な信仰の場である神殿には、似つかわしくない気配だ。誰が騒いでるんだと訊ねれば、秘書どのから想定外の答えが返って来た。
「神殿の衛兵たちですよ。どうやら魔王の襲撃があったようですね」
「魔王の襲撃?」
そんなバカな、と思った僕の顔を見て、秘書どのと部下たちが吹き出す。
わけがわからなくて、僕がパチパチと目を瞬いてると、部下たちが言う。
「意外です。室長にも予想できないことがあったんですね」
「同感。そうしていると、年相応に見えますよ室長」
「こらこらおまえたち。いくら安心したからと言って、室長をからかったらダメだろう」
秘書どのまでも軽口を叩いているから、僕はむう、と唇を結んだ。
少し離れた場所で、重苦しい雰囲気をまとっている勇者一行に視線を向ける。
「申し訳ありませんね、あまり緊迫感がない部下たちで」
僕がそういうと、勇者は控えめに「いえ」と言ったが、半目になった魔法使いが言う。
「さすがはおまえの部下、と言ったところだな。この状況下でよくもふざけていられる」
「あはは。そんなに褒められたら、照れるしかありませんね」
「褒めてなどいない」
こめかみを抑えながら、魔法使いが続ける。
「本当に状況がわかっているのか。真実、魔王の尖兵たるドラゴンの襲撃なんだぞ」
(ドラゴン)
僕は目を見開き、口元から笑みを消した。
すぐに秘書どのに視線を向ける。秘書どのも笑みを消した。静かな眼差しで僕を見つめながら、「彼女からの伝言です」と言う。
「迷宮の最下層に到達している者に、いまこそ、自分は全力をもって戦いを挑む、と」
意味がわからなかった。
僕はそんなに長く迷宮から離れていただろうか。いやあり得ない。秘書どのや部下たちの様子から見ても、僕が神殿で拘束されてからそんなに時間は経ってない。つまり、そんな短時間で、あの迷宮の最下層に到達できた者なんて、いるはずもない。
秘書どのが僕を見下ろして、ふ、とやわらかく誇らしげに笑う。
「いいえ、いらっしゃいますよ。お一人だけ、ドラゴンの望みを叶えられる人が、ね」
そう言いながら、秘書どのの長い指が、僕の胸元を指差す。
その指を見下ろして、一拍の間を置いたあと、僕は息を呑んだ。
「僕?」
「そうです。いま、この世に生きる者のなかで、迷宮の最下層に出入りできる者は、あなたをおいて他にはいません」
秘書どのの言葉を聞いて、勇者一行たちから息を呑む気配がした。
だが、そちらにかまける余裕は僕にはない。秘書どのの言葉に困惑し、でも、という言葉は、口から出てこない。
ドラゴンのいる迷宮の最下層、確かに僕は出入りしている。
でもそれは、宝箱管理室の室長だからだ。言い換えるなら、僕たちはドラゴンの共犯者だから、最下層に出入りすることが許されているわけでーー。
そのとき、思考が飛んだ。
(そうだ)
ドラゴンの創造主が、魔王であると告げたとき、ドラゴンはなんと言った?
仲間と共に、明日、訪れよ、と返してきた。
奇妙な言葉だと思った。でもあのとき、すでに、彼女の心は決まっていたとしたら。
僕はぎゅっと拳を握った。
強く、強く、瞳を閉じた。
ドラゴンの思惑は、僕にはわからない。それでもわかることがある。
彼女は、僕を選んだんだ。
いつか遠い未来に現れただろう、迷宮の踏破者ではなくて、いま、この瞬間に生きている僕を、自身の後継者として。
さまざまに揺れていた想いが、すぅっと鎮まっていく感触がある。
それなのに、どうしてかな。瞼の裏があつい。
あつい雫が瞼の裏に生成され、するりと、まなじりからこぼれ落ちる。
(ドラゴン)
あなたは、僕を、選ぶのか。
だったら、僕も、あなたを選ぼう。
ふ、と、笑って僕は目を開けた。こぼれ落ちた雫を、親指でピンと払い。
「フェリックス」
目の前に立つ秘書どのの名前を呼んだ。麗しの秘書どのはにこやかに微笑む。
「はい」
「ミーナ」
「はいっ」
「カイル」
「は!」
この場にいる部下たちの名前を呼ぶ。この場にいない部下たちだってきっと、それぞれの居場所で、自分たちの仕事をしているんだろう。
だったら、僕も自分の仕事をしなくちゃね。
「行こう。大幅に予定変更だけど、僕たち宝箱管理室の最終目標を果たすために」
「室長さん!」
勇者の呼び声が、僕を振り返らせる。
見返した勇者は、僕の眼差しに息を呑んだようだった。口を開けて、閉じて。
やがて、諦めたように、どこか痛みをはらんだ表情で僕に笑いかける。
「ご武運を。無事のご帰還を祈っています」
勇者がたむけてくれた、せいいっぱいの言葉に、僕は満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう。いってきます」
そう言うと、意外そうに、驚いたように、勇者は目を丸くしたが、僕はそのまま走り出した。後に続いた部下が、「わたし、」と半目になりながら、言う。
「室長の、そういうところ、本当にどうかと思っています」
「え、なにが?」
走りながら後ろを振り返ったら、あれ、どうしたんだろ。
僕の部下たちがみんな、半目で僕を見ている。でもそれ以上なにも言わないから、僕もそのまま、首をひねりながら牢獄から駆け出た。
