闘技会

    二手に分かれよう、と提案したのはアルセイドだった。
    だがあっさりと了承されて、少々複雑な想いを持て余している。

    セレネにかけられた魔法の期限は刻一刻と迫っている。すなわち死の世界となる刻限は迫っているということだ。ガイアとセレネをつなぐ橋の修復は依頼することが出来た。

    だがこのままのペースであれば、とてもじゃないが、人類すべてをガイアに移動させること、その納得させることが叶わない。かつて滞在した街、竜の存在を知る者たちにすべてを明かしてきたものの、彼らだけに頼るわけにはいかないのだ。

    だからアルセイドはまず、彼個人の名前を挙げることにした。

    その手っ取り早い方法として闘技会を選んだわけだが、彼自身の武力を顧みれば、それは無謀な方法だったと云えないこともない。だが、まるきり勝算がないわけでもない。闘技会で優勝することはなくとも、それなりの強者として、名を知らしめることが出来るかもしれないのだ。

    戦いの戦果ではなく、その戦いぶりによって。

    「好きに使うがいいよ、アルセイド」

    提案した時に魔女は云ってのけたものだ。何をと云えば、自分自身を、という意味らしい。

    「わたしはたしかにおまえを見届けるつもりではある。だが本来は私自身の問題でもあるのだ。その事実を無視して、おまえだけに苦労を背負わせるつもりはない」
    「では、魔法使いとエルフの説得を頼んでもいいか」

    自分が一種族であるのに対し、魔女に対しては二種族への説得を依頼する。不公平な話である。

    だが魔法使いもエルフも、アルセイドは全く知らない。知らない種族を説得できると思うことは傲慢だと気づいた。それならば、ずっと詳しい魔女の方がいいだろう、そう考えたのだ。はたして、魔女は余裕ある態度でゆったりと頷く。

    「まかせるがよい。エルフはともかく、魔法使いはたった一人しかおらぬからのう」
    「ひとり?」
    「そう。ひとり。あれは人類の突然変異と云った方が良いな。強大な魔力を与えられ、だからこそ不老不死の存在となってしまった生き物だ」
    「つまり、おまえと同じか?」
    「わたしは不老不死ではないぞ? ただ長い時間、特殊な空間で眠っていたにすぎぬ。命を授けることは出来るが、魔法使いとは根底的に存在が違うのだ」

    ただひとりの亜種。それが魔法使いという種族なのだ、と云われた時、たまらないほどの寂しさを覚えた。

    それはおまえではないのか、と以前に思ったことがある。だが魔女にとっては、自分以上に孤独な存在を知るからこそ、自らの孤独を否定したのだ、と気付かされた。

    孤独に大小はない。その1人1人に見合った孤独がある。だがそれでも、自らを1人きりと覚悟を決めた生き物の存在が胸に迫るほど切なく感じるのはどういうわけなのだろう。それが絶対的な価値につながらず、強い孤独を感じさせるものになるとは。

    ――闘技会の控室で、そんなことを思い出していると、対戦相手の男がこちらに向かってくる。じろりとアルセイドを見つめ、フンと鼻を鳴らした。闘争心にしても、それ以上のものを感じて顔をあげると、「なにさまなんだよ、おまえ」と云う言葉がふりかけられてきた。

    「何さま、とは、ご覧の通り、ひとりの出場者に過ぎないが?」
    「ああ、ああ。アルセイド・ロナーね。そりゃあ見ればわかるっての。そうじゃなくて、おまえはどこで鍛えてきたのかって云ってんだよ」

    奇妙な言葉だった。思わず眉を寄せていると、相手はぺっとつばを吐く。

    「この闘技会に賭けが行われていること、知っているだろ」
    「ああ」

    その収益金が闘技会を運営する資金になっていることも知っている。
    これからの俺らの試合に。忌々しげに男は云う。

    「全財産、おまえに賭けたって云うやつがいるんだよ!」
    「え――」

    誰に指摘されるでもなく、脳裏に閃いたのは1人の少女の顔だった。他に心当たりはない。

    (何をやっているんだ、あいつ)

    確か魔法使いの住む塔だか、エルフの住まう場所に向かうと云っていたはずだ。
    それなのになぜ、この闘技会にいるのだろう。

    アルセイドはそんなことを考えようとした。
    だが自覚している。それはゆるみそうな顔を引き締めるための必死の思考だと。

    自然に右手で顔を覆い、顔をそむけた。けっと男が鼻で笑う。

    「まあ、そいつも見る目がないよな。おまえみたいな優男、俺様にかかったらちょろいもんよ」
    「それは、――どうかな?」

    顔から手を外して、ゆったりと微笑んだ。意識せずとも挑発的な微笑になっていた、と自覚している。

    「戦いなんてものは、戦ってみるまで分からない。それに、」

    スッと表情を引き締め、突き刺すように相手を見た。

    「そこまで俺を買ってくれている人がいるなら、ぜひともおまえに勝たなければと思うね」

    そう、アルセイドは成すべきこと、成したいことがある。

    選んだ方法は間違っているのかもしれない。だがすでに、選択したのだ。この程度の障害で挫けてなどいられない。ましてやあの魔女が、自らを信じる、すべてをかける、というかつての言葉を実践していてくれると云うのであれば。

    なおさら勝たなければならない。なおさら成し遂げなければならない。

    おそらく負けて全財産を失っても魔女は自分を受け止めてくれるのだろうが、そんな自分をアルセイド自身が許容できない。なによりも彼女の期待には全力で応え続けていたいのだ。

    「へっ。あとで吠え面をかくんじゃねえぞ」

    そんな捨て台詞と共に、男は立ち去った。すると拍手の音が不似合いに響く。

    「みごとな心構えじゃのう。いや、あっぱれじゃ」
    「あなたは?」

    そこにいたのは白いひげの老人と、彼に従う男だった。
    に、と、老人は笑う。奇妙な既視感を覚えて、アルセイドは内心首をかしげた。

    「わしはシュナール。シュナール・ロイエ。剣聖シュナールと名乗った方がわかりやすいかのう?」
    「あなたが……!」

    座っていた椅子から立ち上がり、一礼した。剣を握るものならば、シュナール老の名を知らぬものはいない。
    だが同時に冷汗をかいていた。シュナール老が出場するのならば、勝ち目はない。たらりと額を流れるものを知覚していると、笑い声が大きく響く。

    「安心せい。わしはただの審査員じゃよ。であるからこそ、弟子も出場は出来ぬ」

    だがな、と、鋭く言葉を続ける。

    「それで慢心するでないぞ。油断するでないぞ。なによりおぬしには、全財産を賭けるほど期待している人がおるのじゃ」

    凛と顔をあげて、アルセイドは告げた。

    「あいつの期待に背く自分でありたくありません。優勝するつもりで、戦います」
    「ほほ。大言じゃの。だがそんなところが、わしの愛弟子の1人を思い出させるわい」

    励めよ、と云い残して剣聖は去った。ぶるりと武者ぶるいをし、試合が開始される銅鑼の音を聞いた。
    アルセイドは深呼吸して、戦い場に歩きだす。どっと迎える声援、負けるな、という声と、やられちまえ、という声が同時に聞こえる。

    (……善き魔女)

    この圧倒的な観客の中に彼女もいるのだ。

    そう思うと、自然に唇がほころんでいた。不敵な微笑と取ったか、ざわめくものもいる。

    (お前には決して損をさせない)

    顔をあげて、先ほどの男が待つ場にアルセイドは向かった。
    損はさせない。そして無様な戦いぶりも決して見せたりもしない。

    様々な目的がある。スティグマの和を成すこと、帝国皇帝の侵略を止めること、人類にガイアへの移住を承知させること。だが何よりも成すべきことは、この自分に期待し続けてくれる存在を決して裏切らないこと。

    それが最優先だった。

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