一人旅

    森に入り、寝場所になりそうな場所を見つける。ほど良い距離を保っている樹木を見つけ、その間にロープを張った。防水仕様の布をその間にかける。これで簡単なテントの出来上がりだ。やわらかな草が生えている場所を選んだから、荷物を枕にすればよい。

    要は雨風をしのげれば良いのだ、と魔女は出来あがったマントに満足げな眼差しを向けた。最後に盗賊よけのまじないをかける。まじないと云っても竜族の長に教わったものだ。これまでの実績からも、充分に頼ることができるものだ。アルセイドが見たら怒るかもしれないな。くすりと笑って、テントの中に潜り込む。

    一度仲間とみなした者に対してはそうでもないが、やはり、基本的に人間と接することは苦手な魔女だった。

    自分が魔女だと云うことを知られなければいい。そうすれば迫害はされない。そうとわかっているのだが、自らの異端はどこからか漏れてしまうように感じて、やはり怯えてしまうのだ。

    加えて、この顔である。厄介なことに美貌である魔女は、その容貌によりトラブルにも多く巻き込まれることが多かった。だからますます人を避けるようになってしまうのだ。本当に平気だったのは、長針であるアルセイドと共にあったこの数カ月だけだ。その彼をひとときとはいえ失い、ひとりで旅するようになって、魔女は心細さを抑えきれないでいる。

    しんと静まった夜は、心に穏やかな静寂をもたらすもののはずだった。
    だがどうにも落ち着かないくて眠れない。

    枕にしていた荷物が、ゴロゴロとしていることも原因かもしれなかった。ともあれ魔女は起き上がり、とろ火にしているたき火で茶を沸かすことにした。火をかき混ぜ、石を放り込む。カップに汲んでおいた水を汲む。そして茶の葉を入れて焼いた石を放り込んだ。ちゃんとした方法で淹れた茶から当然味は落ちるが、だが精神安定にはちょうどよい。石を取り出して、ふうふうと息を拭きかけた。ひと口呑む。

    (そういえば、独りになるのは久しぶりか)

    そんなことを考える魔女だった。

    永い眠りから目覚めて、この世界の基礎知識を入手してから、長針を探しに向かった。その時以来だ。

    その間も人がおそろしくて、こうして野外で旅をしていたものだった。それまでの空間とは格段に落ちる寝心地の悪さだったが、それでも人間が経営する宿に泊まるよりはましだった。だからこそ、長針であるアルセイドを見つけた時には、心の底から安心できていた。ふと、ここで魔女は不思議に思う。

    (そういえば、どうしてわたしはアルセイドに対してはあんなにも心を開いていたのだろう)

    心を開いていた、というには、語弊があるかもしれない。
    だが他の人間に働く警戒心が少しも働かなかった。

    夫たる竜族の長から、人間であっても長針には心を赦すように、と諭されていたからだろうか。
    少し考えて、ちがう、と、頭を振った。

    そして思ったことは、アルセイドが、魔女を見ようとしなかったからだ、と、いうことだった。
    少なくとも最初のアルセイドは、魔女を顧みようとはしなかった。まるで動物か何かを見るかのような、少なくとも魔女の容貌に興味を持つこともなく、また、下心も持たなかったからだ。

    そして彼自身の大切な物のために動いていた。だから魔女は安心することが出来たのだ。そしてその様子に、信用をすることも出来た。ふふ、と唇が笑みを浮かべる。

    最後に見たアルセイドの姿を思い出す。
    見事な戦いぶりだった。全財産をアルセイドに賭けていた魔女は充分に潤った。

    しかしまさか、優勝まで果たしてしまうとは思わなかった。帝国兵との戦いでつわものたちが減っているからだろうか、とひねくれた解釈をしてみたが、そうではないことを彼女は察していた。

    それは次第に賞賛の声に変っていった群衆の反応を見れば明らかだ。彼は真摯に戦った。そしてその結果が、優勝という事実に結び付いた。その事実が、財布が潤ったことよりもずっと嬉しい。

    あの闘技会に優勝することで、アルセイドはふたつ名を得た。
    “疾風“がそれだ。疾風のアルセイド。審査員としてその場にいた剣聖が授けたのだ。

    剣聖がふたつ名を授けることは珍しいらしい。おかげで、アルセイドの名声は高まった。

    あれならば、帝国兵からもレジスタンス側からも注目されるだろう。アルセイドは帝国兵に加わらず、レジスタンスに参加するつもりだと云っていた。そうしてレジスタンスから説得を始める。悠長なやり方かもしれないが、帝国が魔女討伐を訴えているだけに物には云いようがあると云っていた。ならば何とかするのだろう。

    だから後は、魔女が魔法使いとエルフの種族を説得すればいい。
    さいわいにも、住処はドワーフの長老に聞くことが出来た。成すべきことには迷いはない。そう、だから今は精神を落ち着かせて、明日のために眠るのだ。その通りなのだけれど――。

    呼吸音が足りない。気配が足りない。アルセイドが足りない。

    手の中のお茶は、すでに冷めていた。
    それでもこくりこくりと呑んでいると、ぽろりと涙が一粒、瞳からこぼれおちた。

    ああ、自分はさびしがっているのだ。
    その事実に苦笑しながら、魔女は冷めたお茶を飲み続ける。

    「――とはいえ、誰でも良いから傍にいてくれ、とは思わぬぞ」

    細めた瞳と共に、外を伺う。人の気配があった。
    大方、アルセイドの優勝に寄って稼いだ金が目当ての人間どもだろう。

    だが、すぐに悲鳴が届いた。まじないが聞いたのだ。カップを草の上に置いて、テントの上に出てみた。
    くるりとテントのまわりの囲むように、オオカミが姿を現している。オオカミに見えて、実はそうではないことを魔女は悟っている。

    「すまないな」
    (少々うかつではあるぞ、奥方)

    このセレネに生きる動物は、すべて竜族に従う。すでに新しい長は決定したとはいえ、魔女はいまだ竜族の1人として認められているのだ。その事実が嬉しく、そして頼もしかった。

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