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「24時間、料理の注文を承ります。」

公開している創作を大幅に書き直して、2022年11月、文芸社より発行していただきました。

現在、発売中です。

試し読み

亡国の騎士

先帝である父が逝って、もう1年が経つのだ。
舗装された道路を走る馬車の中から、アルテミシアは皇都の街並を眺めていた。

いま、彼女は皇宮を離れ、皇族の陵墓に向かっているところである。代々の皇帝が眠る陵、いずれアルテミシアも眠ることになるだろう。おそらくは最悪の皇帝として、あるいは、最後の皇帝として。

ふ、と、唇が笑みを浮かべる。自棄になったわけではなかった。正直なところを云えば、その日が楽しみで仕方ない。どれほど力を尽くそうとも償おうとも、父の記憶から生まれた亡霊に身体を奪われた過去は消すことは出来ない。まわりのものたちの意識を消すことも出来ない。ならば、この状況が終わると思えば、やはり楽しみになってしまうのだ。

整えられた馬車は、紋章から皇族のものだとわかるようだ。まわりを埋める警備兵の合間から、頭を伏せていく民衆の姿を見ることが出来る。伏せられた表情の下は見えない。その眼差しを見たい、と、無性に思った。だがその想いもむなしく、馬車は都を通り過ぎていく。

――やがて、一行は陵墓に辿り着いた。

きい、と扉が開かれる。イストールがひざまずき、アルテミシアの手を丁寧に取った。

(不思議な男ですね)

丁寧に自らを先導するイストールを見ながら、アルテミシアはそう思う。
彼女ははっきりと彼の希望を断ち切ったつもりだ。それなのにこうして、アルテミシア自身を尊重しているかのような態度をとる。彼の忠誠の対象は知っている。だからこそ不思議なのだ。

ふと悪戯めいた気持になって、アルテミシアは口を開いた。

「父上が」
「はい?」
「父上が最も寵愛されていた妃をご存知ですか、イストール」

皇帝が眠る陵ではなく、ほかの皇族たちが眠る墓を通り過ぎながら問いかけてしまったのは、やはり嘆き続けた母の存在があるだろう。

ちらり、と先を行くイストールは視線をこちらに向けた。
感情のうかがえぬ、薄い色の瞳。答えぬか、と思えば、ポツリ、と呟く。

「先帝陛下が最も寵愛されていた妃は、フィリシア、と云う名前であるようですよ」

アルテミシアは眉を寄せる。知らない名前だった。記憶を探ってもそのような名前は出てこない。
イストールは苦笑して、もっとも、と言葉を続ける。

「先帝陛下の御心はあまりにも広く、わたくしどもでも、父上ですら計り知れなかったと申しますから」
「ああ、では、いまの方のお名前はお父上から伺ったのですね?」
「はい」

イストールは、父皇帝が突然に連れてきた若者の息子であると云う。
どこの国の出身なのか、それは誰も知らない。なぜなら、それを問うた者を父皇帝はあっさりと追放してしまったからだ。それほどまでに認めたのだと行動で以って示した。

事実、先代のイストールも、今代のイストールも、それだけの寵愛をうけるにふさわしい能力を示している。
その忠誠をも。

「魔女、アルテミシア!」

その叫び声は唐突だった。考えに沈んでいたアルテミシアは、はっと顔を上げる。どこに潜んでいたものか、鎧姿の騎士がこちらに突っ込んでくる。警備兵が立ちふさがるも、騎士は隠し持っていた煙幕を使う。

視界が埋まる。アルテミシアは次の行動に迷った。馬車の中に戻るべきか、あるいは。すると、ぐい、と、強く腕を引かれた。イストールだ。抱きしめられるように抱えられ、全身で男から守られる。ふわり、と花の匂いが煙の匂いと混ざり合う。かと思えば、ざっと煙幕を割いて、騎士が姿を現す。

「死ねえ!!」

ぎらりと輝く剣が、振り下ろされる。硬直した身体が動かない。
死の痛みを覚悟してアルテミシアはぎゅっとまぶたをつぶった。

ぎいん、と、金属音が響く。身体を包んでいた温もりが消えた。

そのふたつの動きは前後していたので、正確にはなにが起きたのか分からない。ただおそるおそる瞳を開けた瞬間、飛び込んできた光景は短剣をもって敵の剣を受け止めているイストールの背中だった。わずかに自失して、「お逃げください」と云う言葉に我を取り戻す。

「衛兵!」

逃げるなど論外だった。アルテミシアは凛と声を響かせ、警備兵たちに居場所を知らしめる。イストールは短剣でありながら、敵の長剣をうまくさばいている。けれどいつまでも持つとは思えなかった。そしてアルテミシアは聞いたのだ。彼がもどかしげに、その言葉を叫ぶ声を。

「空刃!」

すると、さあっと空気が動く。煙幕がはれていく。うごめいていた警備兵がようやく、刺客と戦っているイストールに気がつく。次々と加勢して、そしてイストールはほっとしたように短剣を下した。アルテミシアは呆然としながら、その光景を見つめている。鎧姿の男は罵られながら、後ろ手に縛られる。アルテミシアさま。囁くように呼びかけられたが、いまの光景の意味を考えている耳には届かない。

「アルテミシアさま!」

はっと顔をあげた。思いの外、近くにイストールが立っている。ほとんど初めてではないかと思えるほど、気遣わしげな眼差しを向けられている。相手が求める答えを理解し、小さく頷く。

アルテミシアの無事を確認したイストールはその場の采配を振るい、ひとまず父皇帝の陵へ詣でることは延期となった。そのまま馬車に乗り込み、引き替えることとなる。馬車にアルテミシアを送り込んだ、イストールの慎重な眼差しが印象的だった。だからこそあの光景は夢ではなかったのだとアルテミシアは確信していた。

(あれは……)

アルテミシアの身に残る、父の記憶が教える。
あれは魔法だと。精霊という生命体の力を行使した「魔法」であると。

(これが、イストールを重用された理由ですか)

記憶を探ってみても、そのあたりに対する答えはない。馬車の中、ひとり、アルテミシアは自らを抱きしめる。
魔女と呼ばれる存在をすでに知っている。けれど、身近な重臣であるイストールまでが魔法を用いるとは思わなかった。

(やはり、イストールこそが、わたくしの目標の最大の障害となるかもしれない)

ぶるりと体が震える。
唇をかみしめ、こみ上げてくるおそれをアルテミシアは必死になって打ち消そうとしていた。

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