自由市場

「グレイ?」

不思議と聞き馴染みのある声に呼びかけられ、ミカドは店先で検分していた果物から振り返った。
顔色を変える。そこにいたのは数か月前まで彼の副官をしていたシーナだ。

にっこりと嬉しそうに微笑みかけられ、持っていた果物を取り上げられる。シーナはその果物を2人分のジュースにするように、店主に云いつけた。確かにそうしようと考えていたのだが、なによりも言葉を失ったミカドはなにも動けない。ジュースを受け取り、シーナはミカドの腕を掴む。

仕方なくミカドは歩き出した。細い腕が移動し、がっちりと組まれた。仕方なく口を開く。

「あれからどうしていたんだ?」
「気になりますか?」

楽しそうに顔をのぞきこまれ、ミカドは口ごもった。

くすりと笑ったシーナはジュースをひとつ押し付け、そして残るひとつを飲み始める。傍から見たらカップルのように見えるだろう。苦笑しながら、ミカドもジュースを飲み始める。爽やかな味が口内に広がった。

ミカドの腕を組んできたシーナは、人通りを避けて、高台に出ようとしているようだった。話したいことがあるのだろう。大人しくミカドは引かれるままに歩いていった。そのくらいの恨み事を訊かなければならないと思っていた。ましてや、じきに将軍職を解かれる彼ならばなおのこと。

――2人の兄の到着は、すでに数日後に迫っている。
それに先んじて、イストールからの将軍職解任の知らせが届いていた。

冗談ではなかった。それではこのまま、アルテミシアを独りで破滅の道に行かせるのか。自分はセイブル侯爵家の後継として安全な場所に守られたままで。だが、同時に、レジスタンスに加わった第一皇子第一皇女の声明を聞いて、一刻も早くアルテミシアのところに戻らなければ、とも感じた。あの声明を聞けば、きっと傷つくだろう。それでも成したいことを成せばいい、そうと伝えるために、将軍職解任はちょうどよかった。

高台に出た。午後の光は赤みを帯びて、夕方に差し掛かろうという頃合いだった。ミカドの腕を解放して、シーナは心地よさそうに風を感じている。豊かな髪が風にたなびいていた。

目を細めて、さて、と心に構えていた。シーナは決して優しいだけの女ではない。はたして、くるりと振り返った彼女は厳しい断罪の眼差しをしている。

「あなたはなにをしてらっしゃるのですか、ミカド将軍」

見ての通り、侵略行為を。
そう応えても、シーナは満足しないことが分かっていた。

沈黙したままでいると、かつかつと目の前にまでやってきたシーナが襟元をひっつかんで、ばしんとミカドの頬を張り飛ばしてきた。その眼差しには、悔し涙だろう、涙が浮かんでいる。

「かつてのあなたはおっしゃった。皇帝陛下の苛烈な命令をそのまま聞く必要などないと。そうして侵略した先の人間たちをもすくい上げるようなことをなさっていた。だからこそ、わたしたちもあなたについていった。それなのに、いまのあなたは何なのです!?」

容赦ない弾劾だった。
つい先日も、ミカドはレジスタンスのメンバーを処刑させている。

自由市場にグレイとして現れていたのもそのためだ。帝国軍への憎しみがまとまりつつあるのかどうか、それを確認するためなのだ。思い通りの結果になりつつある。だがそれは、シーナには決して云えぬことだった。だが続く言葉に息を呑む羽目になる。

「アルテミシアさまのためですか。スティグマの和を成すため、人類の憎しみを一か所に集めるための?」
「シーナ……!」
「莫迦にしないでください。世界はあなた方の思い通りには動きません。わたくしはあなたの副官だった女ですよ? 情報を集め、あなたの考えを追っていれば、何が原因なのか、そのくらい推察することは出来ます。シュナール老もアイルも、です。わたくしたちは、あなたの腹心の部下だったのですから」

絆。
ミカドが築いていたシーナたちとの絆が、ミカドを追い詰める。頼りなく口を開いたのは何のためだったのか。少なくとも弁明のためではなかった。それでは嘆願のためか。それも違う。同志であった女に乞うべきものを彼は持っていない。

「なにより、ミカド将軍。それが本当にアルテミシアさまのためになることだとお思いですか」
「!」

痛いところをつかれた。アルテミシアの意思、ミカドの意思。唯一、ぴたりと一致していない箇所だ。
アルテミシアは自らを滅ぼそうとしている。だがミカドは、どんな汚名を得てもアルテミシアに生き延びてほしいと思っている。

だが、アルテミシアは弱い娘だ。自らが決めた罰が与えられないと知って、それでもなお、生きていくことを選択するだろうか。

「罰を」
「え?」
「赦しを拒絶し、罰を求める娘に、何を与えればいい? そうしなければ生きていけないと独りで決めてしまった妹に」

妹と云うには、アルテミシアに向ける感情は、純度が高すぎるのかもしれない。ただの乳兄妹が向けるには強すぎる感情をミカドはアルテミシアに向けている。

男女の愛と云うわけではなかった。ただ、幸せであれ、と祈りにも似た想いだった。その娘がいいように利用され、そして罪を犯していくさまを押し留められなかったミカドは、他にどのような手段をとればよかったのだろう。

どんな時でもミカドを支えてきた副官は、常に見せていた控えめな様子を捨てて、凛然とした様子を崩さずに問いに応えた。

「罰とは、自分が定めるものではないと思います。ましてや、罪が犯した者自身が定めた罰は自己満足に過ぎない」
「……きついな」
「これはあなたがおっしゃったことですよ。赦しも罰も、本人以外が与えるべきだと。そうでなければ、不毛な状態が続くだけだと。それなのになぜ、アルテミシアさまにだけ、特別扱いするのですか。乳兄弟だからですか、それとも愛してらっしゃるから?」
「ちがう」
「ならば、なぜ」

頼りになる副官だ。――シーナの眼差しを見つめていて、ふいにミカドは強くそう思った。
鏡のように、ミカドの意思を映し出す。

「アルテミシアは生き続けなければならない。批難ばかりが続く生であっても、過ちを続けるのではなく、成した結果を見届けて」
「はい」
「――アルテミシア陛下には、退位していただくのがいちばんだな」

ふっとシーナは満足そうに笑った。腕を伸ばして襟首をつかむ。求めるものを察して、ミカドは首を傾けた。
温かな吐息が、わずかに混じり合う。ただ触れるだけの口付けを二度三度繰り返して、シーナはミカドから手を放した。

「手切れ金代わりです。わたくしの想いを察していらしたくせに、一度も応えてくださらなかった薄情なあなたへの」
「どこへ行く?」
「お知らせしません。でもガイアで生きつづけます。そして今度は、乳兄妹など胸に宿していないわたくしだけの男を見つけますわ」

さようなら、と晴れやかな顔でシーナは告げた。これが今生の別れになるのだ、と察して痛む心がある。
だが面に出すべきではかった。痛みなど感じていない様子で、幸せにな、と告げた。
綺麗に、綺麗に微笑んで女は立ち去る。

辺りは夕暮れの、黄金色に染まろうとしていた。

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