誰にでも事実を知る資格はあるのです。 (1)
さしだしたティーカップを、ローザがとりあげてかたむける。
こくりと紅茶を飲み込むさまを、キーラはどきどきと緊張しながら見つめた。淹れた紅茶を飲んでもらう。これまでにも経験してきたはずなのに、そのときとは比べ物にならないくらい、心臓が鼓動を打っている。できる限り丁寧に淹れたけど、と先ほどまでの手順を振り返っていると、ふう、とローザが息を吐いた。ぎくりと顔をあげる。
「だめね。あなたのお茶を店に出すことはできないわ」
「あー……」
半ば予想していた言葉だが、実際に云われてしまうとそれなりにショックだ。
思わずうなだれていると、ローザは立ち上がり、入れ替わりに椅子に座らされる。ローザはカウンターの上に出している道具を使って、お茶を淹れ始めた。おそるおそるキーラは指を伸ばして、淹れたお茶を飲んでみた。口に残る渋味、そしてわずかな風味。マーネで飲んだ風味豊かな水出し紅茶を思い出す。冷温の違いはあれど、比べ物にならない。とほほ、と肩を落としたところで、ローザが淹れたばかりの紅茶を差し出してきた。眼差しでうかがって、そっと口に含んだ。ふわっと広がる豊かな香りにぱちぱちとまたたいた。同じ茶葉を使っているはずだ。なのに、比べ物にならない。
「せめてこれくらいは淹れられるようになってちょうだいな」
微笑みながら云われた言葉に、「はい」と力なく応えてキーラはもう一度お茶を飲んだ。
本当に美味しい。どうしてこの違いが出てくるのだろうと考えていると、扉がからんと開いた。あら、と目線を上げて、ローザはゆったりと微笑む。入ってきたお客を見て、キーラは困惑した。スキターリェツがにこやかに微笑みながら入ってきたのだ。
「やあ、こんにちは」
「いらっしゃい。神殿での仕事はもう終わったの?」
窓際のいつもの席に向かいながら、スキターリェツはローザと会話を交わす。軽くたしなめるようなローザに「まあまあね」と気楽な様子で応えた。「いつもの」と短く注文して、慌てて道具を片づけ始めたキーラを面白がるように見つめる。
「なに、お茶会してたの?」
ええと、と戸惑っているうちに、ローザが微笑んで応える。
「正確にはお茶のテストよ。キーラもお茶を淹れられるようになったほうがいいでしょう? だからまず、試してみたのだけど」
そうして言葉をあいまいに濁しながら、ローザは素早く手を動かす。パンを切って、軽く火であぶる。洗った野菜と果物を切って皿に盛りつける。作りおいたおかずをプレートにのせる。あっという間に準備を整え、「お願い」と云いながらキーラに差し出した。盆にのせて、スキターリェツの席まで運べば、子どものように顔を輝かせて手を合わせる。
「いただきます。うわあ、今日も美味しそうだ」
「……ありがとうございます」
ためらいながら言葉をかければ、気もそぞろな「いえいえ」と云う言葉が返る。さっそくがつがつと食べ始めるスキターリェツをちょっと見つめて、キーラはカウンター近くに戻った。いつも思うことだが、スキターリェツはどこの出身なのだろう。
黒髪黒瞳、黄色味を帯びた肌。年齢不詳な顔立ちは、やはりルークスでも見かけない。それだけではない。たとえば食事習慣も違う。彼は神殿で暮らしている身であるにもかかわらず、食前の祈りをささげない。手を合わせて「いただきます」と云うのだが、一般的な祈りとはやり方が違う。なのに、神殿で敬われる立場にある。不可解な存在だ。
「で、キーラはお茶をうまく淹れたの?」
もぐもぐと飲み込んでから、スキターリェツが訊ねてきた。う、と言葉につまって、逃れられない眼差しに諦めて首を振る。すると彼は人が悪いことに、にやっと笑うのだ。
「へえ? 飲食店の経験は豊富だって豪語してたのにねえ」
「それは! ……おっしゃる通りです」
反射的に云い訳しそうになったが、きゅ、と口をつぐんで、素直に認めた。いよいよスキターリェツは楽しそうに笑って、ローザに視線を向ける。
「ちょうどいいや。食後のお茶はキーラに淹れさせてよ」
驚きに目をみはったローザに、さらに畳み掛けるように云う。
「のんきに構えていても、なかなか上達しないだろうし? こういうのはどんどん練習していくしかないからねー。あ、でもまずかったら飲まないから安心して?」
それならいいだろ、と云って、一方的に話をまとめる。
仕方なさそうに微笑んだローザが、キーラを見てうなずいた。えええ、とたじろぐ心地でいると、わざわざ立ち上がったスキターリェツがカウンター内に身を乗り出して紅茶缶を取り上げた。押し付けるように渡されて、ぎこちないながらもキーラはうなずいた。
それにしてもおかしい。スキターリェツはキーラを見張りに来ているはずなのに。