皇太子殿下の指示によって男爵夫妻が連行されたのち、呆然としていたわたしが、ふと気づけば、アンドレアスはカウェン公爵家の居間から姿を消していた。
そういえば、アンドレアスは謎解きの最中から、様子がおかしかった、と気づく。
どこが、と訊ねられても、はっきり応えられない。事実、従兄弟である皇太子殿下はお気づきではないようだし、気のせいではないかと言われたら、そんな気持ちにもなる。
ただ、わたしはこのとき、この小さな違和感を無視してはならないと感じたのだ。
だから、公爵家の使用人に訊ねながら探せば、アンドレアスは公爵家の庭園にいた。うつむき加減に顔を伏せ、なにごとかを考えこんでいる。わたしは驚いた。
なぜならいま、アンドレアスは事件を解決したばかりなのだ。
男爵夫妻の悪事を暴き、行方不明となっていたカウェン公爵令嬢を見つけ出し、……それなのに、なにを考え込む必要があるというのだろう。わたしと同じ煩悶を抱いているとは思えない。だが、万が一という可能性もあるかと声をかけようとしたとき。
アンドレアスは苛立たしげに息を吐き出したのだ。続いて、父君ゆずりの見事な黒髪がばさばさとかき回される。そうかと思えば、ぴたりと手を止めて、再び沈思の状態だ。
このままじっと見守っていてもよかったのだが、なにやら懊悩を抱えているようだと感じたので、わたしはためらいを振り捨てて、アンドレアスを呼んだ。
アンドレアスは、わたしが近づいていた事実に気づいていなかったらしい。はっと振り返り、目を見開いた姿を珍しく感じながら、わたしはさらにことばを続けた。
「なにか、あったのかい。ずっと考え込んでいたようだったが」
するとアンドレアスは苦笑した。
もっとも、愉快な気分などまったく伝わってこない微笑だった。だからなのか、アンドレアスはすぐに微笑みを消す。とっさに口端を持ち上げて呼びかけに応じたものの、表情が笑顔になってしまった事実を後悔するような、そんなそぶりだと感じた。
「アンドレアス?」
「……きみは、わたしの行いが、正しかったと思うか」
重ねて呼びかけ、そうして返ってきたことばは、彼にしては弱気な発言だった。
なにを言っているのか、と、今度はわたしが目を丸くした。彼の行い、それはすなわち、事件を解決したことだろうか。もちろんというべきところだが、ためらいを覚えた。
今回、事件を解決したことによって、不幸になっていく存在がいる。
男爵夫妻の希望ともいえる令嬢だ。明朗な彼女が事件には関与していないと明らかになった。
だが両親は罪に問われ、彼女も貴族ではいられなくなる。そう考えると、暗澹たる心地になった。あの、麗しくあざやかなひとが育んできたすべてを失うのだ。
それでも、我が友アンドレアスは、揺るぎない信念を持って犯罪を追求している。
だからこそ皇位継承権を放棄し、我が帝国でほとんど唯一、と言っても差し支えのない、探偵という職業に従事しているのだ。いまさら、ここで足を止めるはずがない。
しかし。
「……きみも男爵夫妻の今後を気にしているのか」
「わたしがそんなお人好しだと考えていたのか?」
「ごまかすな。いまのきみはおかしい。わかるだろう」
するとアンドレアスは、苦い表情を浮かべて、「わかっている」と答えた。沈黙ののち、
「……学院時代の後輩に言われたことばがある。それを思い出しただけだ」
そう応えたアンドレアスはいまでこそ皇族だが、成人するまではちがった。
一般帝民となられたご両親のもと、帝立学院に通ったと聞く。
開明主義で知られる、エクレーシア帝立学院は、さまざまな身分の生徒が通うと聞いているが、さて、どんな後輩だったのだろう。
わたしは自然と興味をかき立てられた。アンドレアスと共に暮らすようになって二年、これまで彼の交友関係を聞いた事実がなかったからだ。
「ああ」と答えたアンドレアスは、今度こそ本物の微笑を浮かべる。つい、唇がゆるんだという印象を受けた。温かな追憶がアンドレアスを微笑ませたのだろうか。
「珍種だよ、あれは。————れっきとした貴族でありながら、身分を重要視することもなく。ドレスにも宝石にも興味を示さず、好奇心の赴くまま本を読みあさり、平民の友人を引き連れて裏街探検するような、そんな闊達極まりない後輩だった」
「それは、」
驚いたわたしは、半端にことばを切った。
アンドレアスの様子にも、告げられたことばにも驚いたのだ。後輩とやらは貴族令嬢なのだろう。だが、当世の貴族令嬢像を覆すような人物像には、驚くしかない。
「フィオナは言った。罪を暴く行為こそが、次なる罪を招くかもしれない、と」
『令嬢の朗読を妨げる男爵(帝歴一八八七年発行)』 終より