(8)

 なにしろ格好がすごい。紫色の下衣と薄紅色の上衣をあわせ、きらきらした金細工の飾りがあちこちについている。手入れの行き届いた金髪をふぁさっとかきあげた。わたしの感性で云うと、笑うしかない存在なのだけど、男はわたしの反応なんてお構いなしだ。

「アドリアーノの店に行ってきたのかな、お嬢さんは」
「……そうだけど、」

 それがどうかした、と続けようとしたときだ。「ああ!」と男はおおげさによろめく。
 くたあっ、と道路に積み上げていた煉瓦に手をついて、手早く取り出したハンカチで目元をおおう。どこかで見たことがある仕草だなあ、と記憶を探って、ああ、と閃いた。

 あれだ。ルドヴィカの芝居だ。悲劇と喜劇を得意とする劇作家の芝居を思い出して、わたしはまじまじと男を見つめた。あれに出てくる女優の仕草にそっくりだ。男としてどうなんだろうそれ、と考えていると、「嘆かわしいよ!」と男がおおげさに声をはりあげた。

「嘆かわしい、嘆かわしい。きみはどうして、あのような店に向かったんだい。もう少し歩けば、コンモツィオーネという、素晴らしいピッツァ専門店があったというのに!」
「へえ」

 そりゃあ、このあたりは食事処がたくさんあるんだから、他にもピッツァ専門店はあっただろうなあ、と考えながら応えた。他に云いようがないんだけど、なぜだか男にはとんでもない反応だったらしく、がくん、と、肩を落とした。そのまま沈黙しているから、もういいかな、と見極めて歩き出した。なんだったんだろうこの男、と考えていると、がっしと腕をつかまれたから、しぶしぶ振り返った。男はどうやら、まだ用事があるらしい。

「なにか用なの?」
「なにか用なの、じゃない! きみ、いろいろな意味で間違っているだろう! ここまでわかりやすく勧誘しているのに、なぜきみはコンモツィオーネについて訊かないんだい!」
(いろいろな意味で間違えているのは、そっちだと思うけど)

 そう考えながらも、そうか、と、納得した。この男はわたしを勧誘したかったのか。それにしても最近の勧誘は愉快だなあ、と考える。寸劇まがいの仕草までやって、わざわざわたし一人を勧誘するなんて、非効率にもほどがある。ともあれ、わたしには勧誘されるつもりはない。素晴らしいピッツァ専門店なら、ラウロの店で充分だ。そう云ってやろうかと口を開いたとき、「おい!」と呼びかけてくるラウロの声が聞こえた。

「忘れものだ。おまえ、……カットゥロ! なにやってんだよ!」

 わたしのハンカチを持ったラウロが階段を下りてきて、男を見たラウロがそう続ける。

 知り合いなのか、と、首を左右に動かして見ると、カットゥロ、と呼ばれた男が「ふん」と胸を張った。またまた、ふぁさっと髪をかきあげ、「愚かだな、ラウロ」と云い放つ。

「見てわからないかい、わたしはお嬢さんに素晴らしいピッツァ専門店の場所を訊ねられたから教えようとしただけさ。そう、我が素晴らしきコンモツィオーネについてね!」

 頼んでないし。

 平坦な気持ちでカットゥロを眺めていると、がりがり、と頭をかいたラウロが云う。

「おまえなあ、……いい加減にしろよ、師匠につっかかるの。意味ないだろ」
「意味など、大いにある! いいか、ラウロ。弟弟子であるおまえにあえて云ってやるが、いまの師匠は堕落の象徴だ。敗北者の象徴だ。師匠がああである限り、わたしはなっ」
「あ、これ、忘れもの。気をつけろよおまえ、ええと……」
「カールーシャ。ありがとう、ごめんね」
「話を聞けええええっ」

 ラウロからハンカチを受け取りながらお礼を云っていると、カットゥロが爆発した。
 愉快だけどうるさい人だなあ、と考えながら、ラウロと二人で見ると、ようやく満足したように「ふふん」とポーズをつける。しばらく眺めていたけれど、カットゥロはポーズをつけ続けたままなにも云わないから、ラウロに向き合った。ラウロもわたしを見下ろす。

「あのね。忘れてたんだけど、お持ち帰りはしてないの?」
「あー、そうだな、してない。なんだよ、まだ食べ足りないのか?」

 くしゃ、と笑いながら、ラウロはわたしの頭を撫でまわす。リュシーに整えてもらった髪がぐしゃぐしゃになる、と考えながら、わたしはなにも云えないでいた。だってなんだか、あったかいんだもの。大きな手のひらが、わたしの頭を撫でる。なんだか嬉しくて、へにゃりと笑っていると、ラウロは苦笑しながら手を放して、ぴん、と額をはじいてきた。

(なぜに)

 むうと唇を結んで額を抑えると、「こらそこぉっ」とカットゥロが叫ぶ。

「わたしが、わたしが崇高なる思念を伝えてやろうとしているときに、なんだおまえたちは! あはんうふんいやんばかね、と云わんばかりの桃色やり取りをしていいと思っているのか! よくはない、よくはないだろうっ。ええい、妬ましいぞこんちくしょうっ」

 してないし。

 わたしはラウロを見あげて、ラウロもわたしを見下ろした。うん、とうなずき合って、

「じゃあ、わたし、帰るから。次は妹たちも連れてくるね」
「ありがとな。じゃ、気をつけて帰れよ」
「だ、か、ら! どうしておまえたちはわたしを無視するっ」

 ふう、と息をついて、わたしとラウロはカットゥロを見た。

「うざいし」
「邪魔だし」

 それぞれ短く告げると、カットゥロはおおげさによろめく。がーん、と自分で擬音をつけるものだから、まだまだ余裕だな、と考えていると、「若ー」「若ー」という可愛らしい声が聞こえた。視線を向けると、同じ意匠の服を着た少年少女がぱたぱたと駆け寄る。

「ここにいたー」
「ここにいたー」
「お客さま多いのー」
「帰ってほしいのー」

 かわいいんだか、面倒くさいんだか、よくわからない口調でカットゥロに云う。だがカットゥロは気にならないようで、「そうかっ」と復活した。ぴんと伸ばしたてのひらを額の前に掲げて、ふ、と笑う。この人、と考える。鏡の前でポージングの練習をしてそうだな。

「すまないな、ラウロ。思い返せばわたしも罪な人間だ……。あまりにも才能があるがゆえに、あっというまにアドリアーノを超えてしまった。いまやマーネ一のピッツァイオーロと云えば、このわたし! カットゥロ・アッバティーニをおいて他にあるまい」

 陶酔してる。はあ、とラウロは溜息をついた。ちらりとわたしを見たけど、すぐにカットゥロに向き直って「いい加減にしろよ」と呆れたように云った。

「おまえのピッツァづくり、そもそも基本を教えてくれたのは師匠だろ。ただ、独立した店が繁盛しているからって、調子に乗るなよ。恩を忘れるな。師匠はいまでこそああだけど、ピッツァフェストで八連続優勝したピッツァイオーロだ。師匠を軽んじるんじゃない」
「ならばわたしは九連続優勝してみせよう。そうしたらおまえ、わたしの店に来るな?」

 ふ、と、カットゥロは勝ち誇ったように告げる。
 たいした自信だなあ、と感じながら、ピッツァフェストがなにか、記憶を探った。
 たしかピッツァフェストとは、マーネで行われる、覆面コンテストの名前だったと思う。だれが作ったピッツァか公表しないまま、ピッツァの焼き加減の優劣を競うコンテスト。昨年に優勝した人物は、と、さらに記憶を探って顔をしかめた。

 たしか昨年の優勝者は、……まだ二十代の青年だったように記憶している。

 そう、目の前のカットゥロと同年代だったはずだ。まさかこのひとがその優勝者なんだろうか、と胡乱な眼差しで見つめていると、きっぱりとラウロは云い放った。

「しつこいぞ、カットゥロ。おれはまだまだなんだ。師匠の店で学びたい技術が、山のようにある。師匠に教わりたい。だからおまえの店には移らない」
「……ばかめ。後悔しても、知らないからなっ」

 まるで駄々っ子のような捨て台詞を吐いて、カットゥロは少年少女を引き連れて去った。

 なんだったんだ、と考えながら見送っていると、どさ、と、ラウロが地面に座り込んだ。やけに疲れた様子だから心配した。いまの会話から判断するに、すごく濃い人物と兄弟子弟弟子の間柄みたいだし、精神的にひどく疲れるだろう、と感じたから、ひょい、とうつむいたラウロの顔をのぞきこんだ。腕で目を隠したラウロは、ちら、と口元だけで笑う。

「なんだよ。のぞきこんでも、送ってやらねえぞ。おれは忙しい」
「だいじょうぶ?」

 なにやらたわごとが聞こえたけれど、スルーするくらいの器量はわたしにもある。
 だから率直に訊ねたのだけど、ラウロは沈黙を返すばかりだった。まあ、たしかにあれとの会話は疲れるよなあ、と考えていると、「師匠は、」と、小さな声が聞こえた。

「本当に、すげえひとなんだ。カットゥロのやつが、簡単に乗り越えられるひとじゃない」

 そう云われたから、わたしはアドリアーノご老人を思い出した。食前酒を飲んで、るるるん、と鼻歌を歌っていたご老人。仮病でわたしの同情を買い、店に誘導しようとしたご老人は、たしかにスゲエ人だと感じるけど、たぶん、ラウロは別の意味で云っている。

 ちょっとわたしは困ってしまって、ちょい、と首をかしげて本音を伝えた。

「わたしにとって、すげえピッツァイオーロというのは、ラウロのことよ?」

 するとラウロは驚いたように、顔をあげてわたしを見つめた。
 まじまじと見つめてくる理由は、わたしの言葉を疑っているからだろうか。そうだとしたら悲しいなと感じながら、言葉を重ねる。

「わたしの妹は料理上手なの。でもあの子が作るマリナーラより、ラウロが作るマリナーラのほうがずっと美味しいわ。それこそ、お休みを一日つぶして、食べに来ちゃうくらい。だから、わたしにとっていちばん、すげえピッツァイオーロは、ラウロよ」
「……なんだよ、それ」

 呆然としたようにつぶやいて、ラウロは口を閉じた。ふい、と横を向いた顔に、なにやら複雑な感情が、通り過ぎていく。なにを考えたのか、さっぱりわからないけれど、とりあえず云いたいところを云ってすっきりしたわたしは、しゃがみこんだ体勢から立ち上がる。ぱんぱんと衣をはたいて、見あげてくるラウロに、にっこり笑いかけた。

「だからまた、食べにくるね。よろしく」
「ああ、……」

 反射のように応えて、ラウロははっと我に返ったようだ。
 ぱっと立ち上がって、わたしの名前を呼びかける。少し待ったけど、奇妙に口ごもるばかりだから、わたしは首をかしげた。ちらちら横目でわたしを見て、ふ、と、息を吐いた。

「――――ありがとうな。また、来いよ」

 くすぐったくなるような、温かな声音にわたしはうなずいて、踵を返して歩き出した。
 うん。また、近いうちに来よう。

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