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「24時間、料理の注文を承ります。」

公開している創作を大幅に書き直して、2022年11月、文芸社より発行していただきました。

現在、発売中です。

試し読み

間章(6)

 さらりと頬に触れて流れていく風は、いつのまにか、冷たさを伴うようになっていた。 

 王宮内でも季節の変化を感じ取れる。だがこうして、王宮を降りて街に入れば、その変化はより著しいと感じた。アレクセイは息を深く吸った。胸の深くまで、新鮮な空気が入りこんだような気がする。ふ、と吐き出せば、爽快さが胸に満ちた。 

 再び風が吹く。心地よさに目を細めて、出てきた王宮を振り返った。 

 二階建ての、豪壮とは程遠い、こじんまりとした王宮である。少なくとも、これまで『灰虎』の一員として訪れた諸国の王宮とは比べ物にならない規模である。だが素朴な王宮の地下には広大な地下施設があり、代々、おそろしい災いが閉じ込められてもいたのだ。

「王子さま、こっち」 

 しみじみと感慨にふけっていると、先を歩いていたキーラが振り返る。  アレクセイは苦笑して、キーラの隣に並ぶ。囁くように話しかけた。 

「わたしのことはミハイルと呼んでください。せっかく、姿変えをしているのですからね」 

 いまはまだ、朝と云っても早い時間帯だが、通行人は確実にいるのだ。王子さま、と云う呼びかけはまずい。呼びかけられているアレクセイが、濃褐色の髪と瞳を持つ平凡な若者になっているからこそ、注目を集めるだろう。

 しまった、と云う表情を浮かべたキーラは、さかんにこくこくとうなずく。ぽん、と、背中を叩いて、気にしないようにと伝えた。 

 王宮はこじんまりとしていたが、それでもここ、サルワーティオーは一国の首都である。 

 荷車や馬車の通行に便利なように、道路はきれいに整備されていた。王宮からまっすぐ大通りが続いている。王宮が二階建てだからか、それほど高い建物はない。王宮の真向かいには、花崗岩や煉瓦づくりの瀟洒な建物が並んでいる。静かな街並みだったが、ななめに流れている川にかけられた橋を渡れば、区域の雰囲気が変わった。 

「人がいっぱいですね」 

 ようやく、街に出てきた、と云う実感がこみ上げてキーラに話しかければ、相手はきょろきょろとなにかを探していた。ちいさな肩が通行人にぶつかりそうになったから、腕を回し誘導する。ぎょっとキーラはアレクセイを見上げたが、その動きでお目当てを見つけたらしい。ほっと表情をゆるめ、今度はあっさりとアレクセイの腕をつかんで歩き出した。 

「おはよう、バルトンさん」 

 引っ張られるまま歩けば、食欲を刺激する匂いが湯気と共に漂ってくる。巨体の男が、キーラの呼びかけで振り返り、赤ら顔に笑みを浮かべた。 

「おはよう、今朝はなににするね」 
「そうねえ。クヴァースと、……あ、ミハイルはなにを食べたい?」 

 ようやくアレクセイを思い出してくれたらしい。おや、と云わんばかりに男がアレクセイを見て、つながれたままの手に視線を移した。男の視線に気づかないキーラは、屋台に並んでいる惣菜をひとつひとつ、紹介してくれている。ルークス料理はヴォルフが時々作っていたから、まったく知らないわけではないのだが、厚意はおとなしく受けておく。 

「そうですね。それではわたしは、プロフとボールシィを」 
「あたしはラグマンとシャシルィクね!」 

 すでに半分近く無くなっている炊き込みご飯とあざやかに赤いスープを選べば、キーラはちょっと残念そうな顔をした。だがすぐに、トマトベースのスープパスタと串焼きを選んだ。なかなかのボリュームである。この細い体のどこに入るのやら、と思っている間にも、男は手際よく手を動かして皿を差し出してきた。なにごとか話しかけたそうな雰囲気だったが、キーラは疑問を封じるような笑顔で銅貨四枚を手渡した。後ろに並んでいた客のためにさっさとその場を離れたあと、キーラは道路端の簡易テーブルにアレクセイを導く。慣れた様子で空席をふたつ、確保した。 

「ここのシャシルィクは、他とはマリネ液が違うのよ!」 

 そうして、さっそく食べ始めるかと思えば、キーラが器用に切り離した串肉をアレクセイの皿に移すものだから、ささやかなお返しにと炊き込みご飯を移しておいた。

 たちまち嬉しそうな表情を浮かべたところをみれば、やっぱり炊き込みご飯が食べたかったらしい。かまわず注文したらよかったのに、と考えながら、串肉から食べ始めた。香辛料がふわっと口内に広がる。 

(へえ) 

 濃厚な肉だが、香辛料がさわやかさを添えている。じっくり噛みしめれば噛みしめるほど、豊かな風味が舌に広がる。炊き込みご飯も塩コショウがほどよい加減で、スープはさわやかな酸味が美味しい。 

 おすすめされるわけだ、と考えながらキーラを見れば、しあわせそうな顔でスープパスタを食べていた。ほわん、とでも、うっとり、とでも表現したくなる表情は、以前、船のなかでも見た表情だ。食べることが大好き、と顔いっぱいで表現している。なんとなく微笑ましくなり、なにも云わないまま、アレクセイも料理に戻った。

 青空の下、さわやかな空気を感じ取りながら、キーラと二人で食事。 

 王宮の料理に不服があるわけではないが、こうした食事は格別だと改めて感じる。他の簡易テーブルで食事を取っている人々を眺めながら、くつろいだ気持ちで朝食を終えた。 

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