間章(12)
憔悴したロジオンをヘルムートが引きずっていく様を見送り、アレクセイは留守を任せた文官が残した書類を眺めた。必要最低限の書類しか処理していない事実、判断の理由をぎっしりと細かく用紙に書いており、律儀な性格がうかがえる。
苦笑しながら見直し終えたころ、執務室の扉が叩かれる。許可を与えれば、かしこまった様子で侍従長が入ってきた。希望しておいた茶の用意を始める侍従長を眺めながら、さりげない様子で口を開いた。たしか、あのユーリーと云う文官は侍従長の血縁にあたる。
「留守を預かってくれて、感謝していますよ」
いえ、と控えめに返事をする侍従長は、唇に微笑みを浮かべた。
「殿下は毎日、根を詰めてらっしゃいましたから……。気分転換になりましたか」
「ええ、とても。ユーリーも頼れる存在になってくれたようです」
「それはよろしゅうございました」
和やかな空気が二人の間をつなぐ。その隙を狙って、アレクセイは切り込んだ。 「彼は、わたしの従弟にあたるのですね?」
じっと見つめるアレクセイの視界で、欠片なりとも侍従長は動揺を見せなかった。
だが、ゆっくりと顔をあげてアレクセイを見つめる。唇には苦笑をたたえている。「なんのことでしょう」、そこまでは予想通りの答えだったが、「あなたの血縁者など、ルークス王国にはいないはずですが」と続けた。
(そうきたか)
今度、苦笑をたたえるのはアレクセイの番だった。いま、侍従長は、あなたは本物のアレクセイ王子ではない、と伝えている。紳士然とした笑みは警戒を含んでいるのか、それとも揶揄を含んでいるのか。穏やかな物腰は、品位に彩られていて真意を探らせない。
「ええ、その通りです」
だから真意を探る行為は諦めて、すっぱりと偽物だと認めた。違いを思い知らせるためにも、本来の自分らしく、ぞんざいな言葉遣いで相対してやろうかとも考えたが、いささかわざとらしい。だから亡き親友を真似た口調で、会話を続けることにした。
「では云いかえることにいたしましょう。ユーリーは、アレクセイ王子の従弟なのですね?」
「王位継承権は持ち合わせておりませんが、その通りでございます」
侍従長はそう云って優雅に一礼し、用意した茶を差し出してきたが、アレクセイはかすかに眉を寄せる。
「王位継承権がない? おかしいですね、いざというとき、王位を継承するために、あなたがたの血筋は存在しているはずですが?」
「ユーリーが話しましたか、あるいは、マトヴェイが?」
マトヴェイとは、影を統括する、黒衣の男の名前である。そしてここしばらく観察したところ、かの文官、ユーリーは自らの血筋についてまったく知らない。だから問いかけのすぐ後に、侍従長は答えを得て、意外そうにつぶやいた。「マトヴェイがそこまで話すとは」
正直に云えば、アレクセイも意外なのである。
そもそも、影がなぜ、侍従長に従っていたのか、と云う理由を知りたいためにマトヴェイに訊ねたのだった。彼はただ、「我々はルークス王族に従うのみ」と答えるばかりだったが、それがすなわち答である。侍従長は、れっきとしたルークス王族だったというわけだ。
ただ、役割が違うのだ、とマトヴェイに教えられた。
ルークス王族とは、統一帝国時代、精霊たちから受け継いだこの国を管理し、継承した災いを監視する役目を背負った一族だった。ふたつの役割のうち、アレクセイ王子につながる一族が国を管理し、侍従長につながる一族が監視する役目を背負ってきたと云う。そしてどちらかの一族が絶えるとき、もう一方の一族が役目を引き継ぐ仕組みなのだとか。
その仕組みを教えられたとき、アレクセイは心の底から、侍従長の考えが分からなくなった。いま、まさに王位を継承する一族が絶えようとしている。なのに、傍観者としての立場を崩そうとしないのだ。王族に仕える、と云う立ち位置から踏み出そうとしない。