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「24時間、料理の注文を承ります。」

公開している創作を大幅に書き直して、2022年11月、文芸社より発行していただきました。

現在、発売中です。

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茶道部のおもてなし 第二章

目次

(3)

まもなくふすまが開いて、ましろさまが現れた。

 今日も羽織姿で、なぜか菜の花の束を抱えてきている。ゆるりと微笑んだ。

「待たせてすまぬ。菜の花が盛りだったからな、持ってきた。今日はこの花を飾ろう」

 乃梨子はさわやかな黄色に惹かれて、ましろさまに近づき、菜の花をのぞき込んだ。

「立派に咲いてますね。ここに来る途中に菜の花畑があるんですか?」
「いいや、これはわたしの館に咲いているものだ」

 乃梨子が訊ねると、ましろさまはどこか嬉しそうに言う。

 ましろさまの館がどこにあるのか、乃梨子は知らないけれど、こういう物言いをするということは、少なくともこの学園がある山にあるわけではないのだろう。そもそもあやかしの住む館なのだ、どこか特別な、それこそ漫画に登場するような異界にある館なのかもしれない。

 そう考えつくと、乃梨子は少しだけ、ときめいた。

 ましろさまが住む館に咲く菜の花畑を、ちょっと見てみたいなあ、とすら思ってしまう。

 結衣が動いて、棚から花瓶を取り出す。若菜がましろさまから菜の花を受け取って、花瓶にいけて、奥の部屋にある床の間に飾った。いっきに和室が明るく、華やかになる。

「それから校内を一通り回ってみたが、わたしを視認する者はいなかった」

 ましろさまがそう言い添えると、若菜はちょっとゆううつそうに「そうですか」と言った。よくわからなくて首をかしげると、結衣がこそっと教えてくれた。

 つまり、新入生が増えるこの時期に、ましろさまはあえて校内を歩き回るのだそうだ。そうしてましろさまを見ることができる一年生を探しているのだが、資格ある一年生はなかなか見当たらないらしい。そう聞くと心配になって、乃梨子はきき返した。

「ちなみに新入部員が見つからないときってどうなるの?」
「休部になるんじゃないかなあ。もったいないよね、お菓子もお茶も美味しいのに」

 二人でこそこそと話していると、ましろさまが笑う。

「まあ、まだ四月も上旬なのだ。焦ることもあるまいよ。……さて、今日は乃梨子の稽古をするのだったか?」

 ましろさまに唐突に名前を呼ばれるものだから、ピャッと背筋が伸びてしまった。

 若菜がおかしそうに乃梨子を見て、ましろさまを見て、うなずいた。

「和室の入りかたと畳の歩きかたですね。わたしがお手本として動きますから、ご指導ください。最後にわたしがお茶を点てます」
「あいわかった」

 若菜がそういうと、ましろさまは奥の和室に移動する。

 同時に若菜が動いて、開いたままのふすまをそっと閉じる。「中村さん、わたしの動きをよく見ててね」と言われるから、若菜の近くに座る。ふすまの正面に座っている若菜は、ふすまと自分の間に、閉じたままの扇子を置いた。

「まず、引き手の近くにある手を引き手にかけ、ちょっとだけ開けます。そうしたら引き手にかけた手をふすまによりそう形で落として、半分まで開きます。今度は逆の手をふすまにかけて、最後まで静かに開きます」

 若菜はそう説明しながら、ふすまをゆっくりと開ける。

 そうしておじぎをして、扇子を奥の和室に置く。両拳を畳につけて、そのままぐいとひざをすべらせる。かと思えば、身体をふすまに向けて、開いたときとは逆の動きでふすまを閉じる。「中本さん、いまやったようにふすまを開けてみて」と言われたから、あわててふすまの前に移動した。

(ええと)

 若菜の動きを思い出しながら、なんとかふすまを開けてみる。ピシャンと音を立てたから、ちょっとあわてたけれど、開いたふすまの向こうで、ましろさまと若菜が微笑みながらこちらを見つめている。今度はましろさまが口をひらく。

「ふすまを開けるときに、ちょっと力がこもってしまったな。あせらなくてもいいし、まちがえるかもしれないと考える必要もないぞ。もう一度、今度はふすまを閉めるところからやってごらん」

 穏やかながらも、ましろさまの指導は容赦がない。乃梨子は深呼吸して、先ほどとは逆の動きを意識しながら、ゆっくりゆっくり動いた。最後まで気を抜かずに動けば、今度は静かにふすまが閉まる。「もう一度」と若菜の声が響く。ふうと吐き出す息がふるえた。

「乃梨子ちゃん、がんばって!」

 こそりと結衣が声援を送ってくれるから、うなずいて、今度こそ慎重にふすまを開けた。結衣が貸してくれた扇子を正面に置いて、若菜がしていたようにおじぎをする。「よろしい」というましろさまの言葉を聞いて、座ったまま奥の和室に移動する。ほっと肩から力を抜いたところで、「今度はふすまを閉める」と若菜の声が飛ぶ。

(え、ここからどう動けばいいの)

 なにしろ、乃梨子の体の向きは、奥に座るましろさまたちを向いたままなのだ。ふすまは背中側にある。ハッと閃いた。そうだ、移動するときと同じだ。両拳を両脇に置いて、ぐいとひざを動かしてみる。一度ではむずかしいから、二度、三度とひざを動かした。

 無言が続く。

 まちがってないよね、大丈夫だよね、と考えながら、ふすまを閉める。閉める直前、ぐっと親指を立てている結衣が見えた。ちょっと笑ってしまいながら、また、両拳に先導させて、ひざを動かした。ましろさまと若菜の方向に向き直ると、ましろさまが低く笑う。

「まちがってないぞ、大丈夫だ。よくやったな、乃梨子」
「ありがとうございます……」

 なんだかこれだけで疲れてしまった。

 でもここからどう動けばいいのか、と思ったときに、また、若菜が動いた。

 正座をしたまま、ちょっと身体を前にかたむける。かかとを浮かせてお尻を上げて、スッと立ち上がる。とてもなめらかできれいな動きだ。そのまま、すっすと足を動かして、乃梨子の隣に立った。「同じように立ち上がってみて」とささやかれる。こくりと喉を動かして、ゆっくりと動く。なんとか立ち上がった。若菜と並び立つ。

「歩くときは、すり足で歩く。歩幅をあまり大きくしないで、畳の縁を踏まないように」
「畳の縁って、この黒い部分ですよね。踏んだらダメなんですか」

 いままで畳を歩くとき、意識してなかったことを言われてしまった。動揺して訊ねると、口ごもった若菜の代わりにましろさまが答える。

「むかし、畳の縁に家紋を織り込んでいたからな。その家紋を踏むということは、その家の家人や先祖を踏むということになるだろう? その家の相手を敬うためにも縁は踏まない、という考えにつながったのだよ」
(な、なるほど)

 本当に、本当にこまやかな心遣いが世の中にはあるんだなあ、と、乃梨子は感心した。

 そうして若菜がゆっくりと歩き始める様子を見た。すっすという動きで、足を動かしている。たしかに歩幅は大きくない。たった一枚の畳を四歩くらいで歩いている。そうしてましろさまの隣に移動した若菜は、ゆっくりと腰を落とした。

 それから若菜はちょいちょいと自分の隣を指さしたから、乃梨子もゆっくり移動する。歩幅を大きくしないように、足と足を近づけるように歩いて、若菜の隣に座る。

 ほうっと息を吐いた。

 肩を落としそうになったが、あわてて意識を引き締めて背筋を伸ばす。でも、と隣を見た。若菜もましろさまも背筋が伸びているが、乃梨子のように力が入っている様子はない。ごく自然に背筋が伸びていて、それがとてもきれいだな、と感じた。

「乃梨子は飲み込みがいいな。いまは頭であれこれ考えてしまうから、難しく感じるだろうが、なに、くりかえすことで身につくようになる。案じる必要はどこにもないぞ」

 ましろさまがそう言ってくれたから、乃梨子はようやく肩から力を抜くことができた。

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