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「24時間、料理の注文を承ります。」

公開している創作を大幅に書き直して、2022年11月、文芸社より発行していただきました。

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茶道部のおもてなし 第三章

目次

(5)

 それから茶道部の部活動の日が、いっきに増えた。

 ましろさまが来ない日も、部員たちが自主練習を始めるようになったのだ。もっとも剣道部と掛け持ちしている海斗や、サッカークラブにも参加している隼人は毎日参加できない。それでもできる限り時間を作って、茶道部に集まっている。

 たまに学園長も顔を見せて、指導してくれた。

 なんでも学園長は茶道の師範としての資格を持ってるらしい。学園長はましろさまのカモフラージュするだけの人ではなかったのだ。乃梨子も学園長に容赦なくビシバシ指導してもらうことによって、なんとか、畳の上でも堂々と振る舞えるようになってきた。

 ただ、それで半東として振る舞えるかどうか、それは別問題だ。学校の行き帰り、乃梨子は半東マニュアルを読んで、必死に覚えようとしている。少し前まで、そんな乃梨子を他人事として眺めていた結衣も、いまは必死にお点前の練習を繰り返している。

「いっそ、ゴールデンウィークも部活動をしたいと言ったら迷惑かなあ?」

 帰宅途中、席に座る結衣がそう言うと、向かい側に立つ海斗が呆れた様子で口を開く。

「なにバカなこと言ってるんだ。箱根に家族旅行するんだろ」
「だから一人だけ仮病して残るとか。だめ?」
「ダメに決まってるだろ。んなことしてみろ、おれがおばさんにチクるからな」
「うー、海斗のいじわる」

 二人のやりとりを聞いてさすがに苦笑した乃梨子は、ぽんぽんと結衣の肩を叩いた。

「気持ちはわかるけど、そんなことをしたら家族がかわいそうだよ。一人だけ家に残したら、せっかくの旅行が楽しめなくなっちゃうし。そもそも一人だけのつもりでも、『じゃあ旅行を取りやめましょう』ということになっちゃうかもしれないよ?」
「だよね。うう、ゴールデンウィークで全部忘れそうで怖いっ」

 結衣がそう言ったところで、電車は二人の最寄駅に着いた。降りていく二人を、乃梨子は見送った。今日から学校は一週間ほどの休みに入る。しばらく二人とも会えない。

 ゴールデンウィークで教わった茶道をすべて忘れそうで怖い。結衣が言っていた言葉は、そのまま乃梨子にも当てはまる。連休中、部活動をしたい気持ちは乃梨子にもあるし、事実、いくつかの部活動は連休中でも活動するのだ。茉奈の吹奏楽部や海斗の剣道部だってこの連休には活動するのだから、茶道部だって活動してもいいじゃないか、と考えてしまう乃梨子の気持ちには、少しだけの八つ当たりも入っている。

 なぜならこの連休、乃梨子は離婚した父親に会うことになっているからだ。

 母親に父親から連絡があったと教えられたとき、「どうしていまさら」という気持ちになった。自分たちではなく、他の女性を選んで別の家庭を作っている人。もはや父親は乃梨子にとってそういう存在だ。いまさら会いたいなんて思わない。

「でもね、そうは言っても、あの人は乃梨子のお父さんだから」
(お父さんってなに)

 母親が口にしたなじみ深い言葉が、大人にとって都合のいい言葉に置き換えられたような気持ちがして、乃梨子は口を閉じた。もうお父さんじゃないのに、という気持ちは残っていたけれど、母親の疲れたような顔を見たら、それ以上なにも言えなかった。

 茶道部の部活があればよかったのに。そうしたら父親に会わなくてもすんだのに、と、乃梨子は考えながら、最寄駅よりひとつ手前の電停で電車から降りた。

 このごろ、母親に代わって食事の支度をするようになったから、帰り道にスーパーへ寄り道しているのだ。学校の家庭科で教わった、簡単な料理しか作れないけれど、母親が「助かるわ~」と喜んでくれるから、やりがいがある。

(今日はカレーにしようかな)

 玉ねぎ、にんじん、じゃがいも、豚こま肉、カレールー。それからサラダを作るために、レタスときゅうりとミニトマト、それからツナ缶を購入した。ドレッシングはまだ和風ドレッシングが冷蔵庫にあったから、それを使おう。うん、なかなか立派な献立だ。

 素材をつめこんだ買い物袋を肩から下げ、自宅までの距離を歩く。

 このあたりはむかしから存在する住宅街だから、実は空き家が多い。なかには古い家を壊して新しい家に建て替えている家もあるが、ほとんどがまだ古めかしい家だ。

 空き家の庭には野良猫が住み着いているらしく、町内の掲示板には「猫にえさをやらないでください」というチラシが貼られていた。はじめ、そのチラシを見たとき、かわいそうだな、と思ったけれど、地域猫活動とやらでこのあたりの猫にはきちんと面倒を見ている人がいるらしい。ルールを決めて、ごはんもあげているのだとか。ちょっとだけ安心した。

「あら、中村さん?」

 自宅まであとわずか、というところまで帰ってきたところで、ふいに声をかけられた。

 見れば、自転車を押して歩いている老婦人がいる。お隣の尾崎夫人だ。七十歳を超えたこの人は、祖父母が生きていたときからの隣人で、母ともども引っ越してきたときから、なにかと親切にしてくれている。思わず笑顔になって「こんにちは」と挨拶した。

「はい、こんにちは。えらいわねえ、今日も夕食の買い出し?」
「はい。今日はカレーを作ろうかと思ってます」
「ああ、いいわね。うちもそうしようかしら。お父さん、カレー好きなのよ」

 そう言いながら、尾崎夫人は自宅の駐車場に自転車を停めた。「そうそう、きいたわよ中村さん」と言葉を続けるから、首をかしげて乃梨子は尾崎夫人の言葉を待った。

「中学校の茶道部に入ったんですって?」
「あ、はい。友達が茶道部に入ってて」
「そう、お友達と一緒なの。それはいいわねえ」

 そう言いながら、なにごとかを思い出したようにふふふと笑う。

「実はね、中村さん。あなたのおばあちゃんが茶道を教わってたことを知ってるかしら」
「ああ。家に茶道具がありました」
「そう。でね、おうちにお呼ばれしたときに、お茶をごちそうになったのよ。ちょうどわたしがぼたもちを持っていったから、一服立ててくださったのね。そのとき、不思議なことをおっしゃっていたのよ」
「不思議なこと?」
「この茶碗は狐から買ったんだって」
「ええ?」

 尾崎夫人が告げた、突拍子のない言葉に、乃梨子は驚きの声をあげた。

 茶碗とは、乃梨子が見つけたあの高価そうな茶碗だろうか。尾崎夫人にもおてなしで出したのなら、たしかにその可能性はある。けれど、狐から買った茶碗だなんて。

(まさか、ましろさまが関係してるってことはないよね)

 さすがにありえないと思う。でも唐突に出現した「狐」という単語が乃梨子を平常心ではいさせない。動揺を隠せない乃梨子を見て、ふふふ、と尾崎夫人が笑う。

「てっきり騙されて高いものを買わされたとか、そういう意味かと思ったの。でもちがうようでね。あなたのおばあちゃんは楽しそうに笑うばかりで、それ以上、くわしいことを教えてくれなかったのだけど、なにかわかったら教えてちょうだいね」

 そう言って尾崎夫人は自宅の中に入って行った。ぺこりと頭を下げて、乃梨子も隣の自宅に入っていく。このままカレーを作ろうと思ったが、ちょっとその前に、茶碗だ。

 バタバタと二階に上がって、祖父母の遺品を探り始める。

 前と同じ、茶道具が入ってた段ボール箱を押入れから引っ張り出して、茶碗が入っている木箱を取り出した。全部で三つ。相変わらず高価そうな茶碗だ。でもどれが「狐から買った」茶碗なのか、わからない。まあ、わかるはずもない。

 立派な茶碗ではあるけれど、それだけに見えるのだ。普通の人が丹精込めて作った茶碗に見える。まちがってもあやかしが関わっているような、そんな不可思議なものには思えないから、乃梨子は追求を諦めてカレーを作ることにした。

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