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「24時間、料理の注文を承ります。」

公開している創作を大幅に書き直して、2022年11月、文芸社より発行していただきました。

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茶道部のおもてなし 第三章

目次

(6)

 その日は朝からいい天気だった。天気予報でも終日晴れるでしょう、と言っている。

(雨が降っちゃえばよかったのに)

 そう考えながら、乃梨子は父親との待ち合わせ場所に向かった。新幹線口のある駅にはショッピングセンターが併設されている。その噴水前で待ち合わせになっていた。

「乃梨子」

 待ち合わせ時間より早くに着いたというのに、父親はもう待ち合わせ場所にいた。休日なのに、きっちりとしたスーツを着ている。そういえば出張でこちらにきていたんだっけ。相変わらず仕事人間なんだなあ、と考えながら、乃梨子はぺこりと頭を下げた。

 ちょっと痩せたようにも見える父親は、あいまいに微笑んで「ごはんにするか」と言ってきた。物慣れない様子で左右に首を動かすから、「こっち」と乃梨子はレストラン街に案内する。並んで歩いていると、「元気か」と訊ねてくる。「うん」と答えた。

「学校はどうだ。私立の学校に転入したときいたが」
「楽しいよ。友達もできて、茶道部に入ったの」

 ポツポツと会話をしながら、レストランの案内板に父親を案内する。いくつも並んでいる店舗の看板をぐるりと見回して、「どこで食べたい」と訊ねてきたから、乃梨子も案内板を眺めて「ハンバーグがいいな」と洋食屋の看板を示した。「そうか、ハンバーグ、好きだものな」と嬉しそうにいう。「うん」とあいまいにうなずいて、洋食屋に向かった。

 まだお昼どきには早い時間だからか、スムーズに洋食屋に入ることができた。テーブル席に向かい合わせに座る。水を飲んだところで「茶道部か」と父親がつぶやいた。

「ずいぶん変わったクラブを選んだんだな。誘われたのか」
「うん。決め手はお茶もお菓子もおいしかったことだけどね」
「そうか。……楽しんでるんだな」

 そう言って、父親は水を飲んだ。沈黙が生まれる。乃梨子も沈黙を選んで、水を飲んだ。むかしとは違って、居心地の悪い沈黙だ。こういう時間ははじめてだから、どうしたらいいのか、戸惑う。父親との会話が弾まなくて沈黙することはあったけれど、居心地が悪いなんて思ったこともないのに、と考えて、乃梨子は考えた。もう、むかしとは違う。

 父親はどうして乃梨子に会いにきたのだろう。

 昨夜もなかなか寝付けなくて、同じことを考えた。まさかいまさら、一緒に暮らそうとでも言うつもりなんだろうか。でも父親にはもう新しい家庭がある。父親と女の人と、その人の子供。そんな家庭のなかに、まさか乃梨子が入り込めると思っているんだろうか。

 もし父親が、いまからでもいいからうちの子になりなさいと言ってきたら、きっぱり断ろうと考えていた。もう、乃梨子は父親の家の子供じゃない。母親の家の子供だ。そもそも自分たち母子を捨てたのは父親じゃないか。そう言ってやろうと考えていた。

 でも実際に会ってみたら、父親はひとこともそんなことを言わない。

 ただ、乃梨子の近況を訊ねただけだ。なにをしにきたんだろう、と困惑もするし、どうしたらいいのか、つくづくと困る。やがてハンバーグがやってきた。乃梨子はデミグラスハンバーグを選び、父親は大根おろしがたっぷりのっている和風ハンバーグを選んだ。

「美味しいな」
「うん」

 それだけを話して、二人ともハンバーグを食べた。

 次、母親とこの店に来ることができたら、和風ハンバーグを選ぼう。そのくらい、父親が食べるハンバーグは美味しそうに見えた。そうして食べ終えたとき、父親が名刺を差し出してきた。父親の名前と会社名、それから携帯の電話番号が書かれている名刺だ。

「父さん」
「なにかあれば、連絡しなさい。……お父さんはまだ、乃梨子のお父さんだから」

 そう言った父親は、支払伝票を持って立ち上がった。「新幹線の時間が迫ってるから、もう行くな」と言った。あっけない別れだ。父親はなにをしにきたんだろう。乃梨子は改めて、強く思った。でも父親から渡された名刺を握りしめて、こう言った。

「ごちそうさまでした、父さん」
「ああ」

 そう言って父親は去っていった。

 きっとこれから新幹線に乗って、自宅に戻るのだろう。そりゃそうだ。父親には新しい家庭がある。その家庭を守るために、父親は乃梨子たちと別れた。

(父さんってば、なにしにきたんだろうね)

 乃梨子を迎えにきたわけでもなく、ただ、なにかあれば連絡するように、と言って、この名刺を手渡した。椅子に座ったまま、乃梨子は名刺を破ろうかと考えた。母親との新しい生活に、父親の連絡先なんて必要ない。でも、あいまいに微笑んでいた父親を思い出せば、名刺を破るなんてことをしてはいけないような気もした。

(帰ろう)

 まだ早い時間だけれども、母親と暮らすあの家に帰ろう。庭の雑草はしぶといから、雑草取りをしてもいい。タブレットで茶道の動画を見てもいい。そもそも茶会が終わったころには中間テストだってあるのだ。勉強しなくちゃいけない、気は進まないけど。

 そうだ。和菓子を買って、母親にお茶を点てよう。

 せっかくだから、祖母の茶碗も使ってしまえ。尾崎夫人が教えてくれた、祖母は狐から茶碗を購入したのだというどこか不思議なエピソードを話しながら、母親とお茶の時間を楽しもう。もしかしたら母親は亡くなった祖母から詳細を聞いてるかもしれない。

 世間ではゴールデンウィークなのだ、母親だって仕事を休んでいる。いまも家でゆっくりしている母親は、大学時代に茶道部にいたのだもの。乃梨子のお点前を見て、きっと指導もしてくれるだろう。そう考えながら、ショッピングセンターを出た。葉桜のすきまからまばゆい太陽の光が差し込んでいて、これからさらに今日は暑くなりそうだ。

 ああ、と乃梨子は思った。

(晴れてて、よかったな)

 乃梨子はそう思えたことに、ちょっとだけ満足した。

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