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「24時間、料理の注文を承ります。」

公開している創作を大幅に書き直して、2022年11月、文芸社より発行していただきました。

現在、発売中です。

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茶道部のおもてなし 第四章

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 たぶん、いまの乃梨子を表現するなら、「ふにゃふにゃ」という言葉が当てはまるだろう。そのくらい、疲れきった様子で乃梨子は和室の座卓に倒れ込んでいた。

 すぐそばに、翔太が足を伸ばして座っている。涼やかにこなしていたように見えたが、やはり疲れていたのだろうか。のろのろと顔をあげて、乃梨子は口を開いた。

「翔太先輩、おつかれさまです」

 天井にむけて顔をあげていた翔太は、乃梨子に視線を移して微笑んだ。

「中村さんも、おつかれさま。がんばってたね」
「まだまだだって、よくわかりました。失敗しまくってたって、先輩気づいてますよね」
「まあ、だれもが通る道だから」

 それはフォローになっていない。そう思いながらも、乃梨子は笑った。

 なんでだろう。失敗しまくった事実は落ち込みの材料になっているのに、なぜだか心の中は晴れやかなのだ。達成感があると言ってもいい。そうしてその達成感が素直に次に向かわせる。

 もっと上手になりたい。もっと堂々と振る舞えるようになりたい。そんな気持ち、強い向上心がふつふつとわきあがってきている。そんな気持ちになるのはひさしぶりで、なんだかとても嬉しい。ウキウキしている気持ちのまま、口をひらく。

「半東を極めるまでどのくらいかかるでしょうか」

 乃梨子がそういうと「なに言ってるの」と翔太は軽く笑う。

「半東なんて途中経過だよ。次は亭主を目指さなくちゃ」
「翔太先輩のように、さらさらっとお茶を点てられるようになれるとは思えません……」
「さっきも言ったけど、だれもが通る道だよ。文化祭ではみんな、亭主になるんだし」

 ひい、ふう、みい。指を折って文化祭までの月数を数える。

「半年ですか」
「途中の夏休み期間は数に入れないように。休みの間は部活動しないからね?」

 苦笑した翔太に笑い返して、乃梨子がぼんやりと半年後を想像していたときだ。ガラリと障子が開いて、お客さまたちを見送っていた若菜が姿を見せる。くるりと和室を見渡して、ダラダラしている翔太と乃梨子を見つけて、半目になる。

「こらあっ、そこの二人。いつまでだらけてるの。次の茶会に向けてさくさく動く!」

 その声が響くと、奥の間から海斗が顔を見せて、笑った。

「若菜先輩。二人とも疲れてるんでしょうから、そのあたりで」
「そうはいうけど、他のみんなが準備してるところなんでしょ? って」

 言いながら気づいた若菜は、半端に言葉を止めた。座卓の上に広がっている、清められて準備が終わった状態の茶器に気づいたらしい。「あちゃー」と若菜は額に手を当てた。

「逆か。もう準備が終わってるから、二人ともまったりしてたのか。ということは結果的に、わたしが準備をサボっちゃったことになる?」

 ごめん! と手を合わせて若菜は謝るから、乃梨子と翔太は顔を見合わせて笑った。

「いいんですよ。学園長とお話ししてたんですよね」
「なにか、渡したいものがあるということだったけど、学園長はなんだって?」

 翔太が訊ねると、若菜は持っていた紙袋から包みを取り出した。

 風呂敷に包まれたそれを開けば、丸い漆器が出てきた。藤の蒔絵が描かれている。

「香合よ。中に白檀の香木が入ってる。せっかくましろさまをお招きするなら、こちらも飾っては、と貸してくださったの。そもそもお茶会では炉でお香を炊くんですって」

 紙袋の中から紙束を取り出しながら若菜がいえば、翔太も納得したようにいう。

「ああ。そういえば本で読んだことがあるよ。茶道では手前を行う前に、空間を清めるとともに、茶室に香りをつけるためにお香を用いるって。風炉の炭の上に香木を置くらしいけど、茶道部の風炉は電熱器だからお香は炊けないんじゃない?」
「うん、だからね。床の間に飾っておきなさいって。この紙釜敷きを置いて、その上に香合を飾るんだって教わったわ。場所は、ええと、掛け軸を挟んだ、花瓶の反対側」

 そう言いながら若菜は奥の和室に入っていく。ぴたりと足を止めた。

「なんか、並々ならぬ気迫が伝わってくるわね……」

 若菜がたじろいだ様子で、そう言うのも無理はない。

 奥の間では、結菜と隼人が最後の練習をしているところなのだ。実際に抹茶と水を使わず、動きをなぞっているだけ。だが、結衣は乃梨子がはじめて見るほど、真剣な表情で動きをなぞっていた。同じように、半東としての動きを練習している隼人が、ふすまのそばに立つ若菜を振り返って、手に持つ香合に目を止めた。

「なんだ、それ」

 若菜は苦笑して、いま、乃梨子たちにした説明を繰り返した。隼人は真剣な眼差しで香合を見つめ、手に取り、観察している。ふたを開け、中の香木の匂いもかいでいた。

 そんな隼人を見て、乃梨子は気持ちがわかる気がした。半東として、いろんな状況を考えているのだ。お客さまたちにくつろいでもらうためにどんな言葉を使うか、また、どんなささいな問いでも答えられるように、頭の中でシミュレートしているのだ。グッと乃梨子はこぶしを握って、「隼人先輩っ」と話しかけた。「ん?」と隼人が振り向く。

「わたし、応援してますからっ。後学のためにしっかり、隼人先輩の動きをうかがっておきますから、がんばってくださいねっ!」

「お、おう」

 隼人がたじろいだ様子でうなずく。翔太が「あちゃあ」とつぶやき、若菜が苦笑した。

「とんだプレッシャーだわね、隼人」

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