MENU
「24時間、料理の注文を承ります。」

公開している創作を大幅に書き直して、2022年11月、文芸社より発行していただきました。

現在、発売中です。

試し読み

茶道部のおもてなし 第四章

目次

(1)

「うわあ」

 思わず乃梨子は歓声をもらしていた。

 海斗が今日、この日に行う茶会のために用意した和菓子を見てしまったのだ。他の部員たちも同じように、海斗が運んできた和菓子に感心している。結衣なんて、興奮したように、ばんばんと海斗の背中を叩いていた。それだけ見事な出来栄えだった。

「もうお店を開いてもやっていけるじゃない!」

 結衣が告げた言葉に、乃梨子もうなずく。

 プラスチックの四角い箱に入った和菓子の銘は、「花菖蒲」とのこと。五月に咲く花をモチーフに選んだのだという。ぷくりとふくらんだ紫色の練り切りは、中心に向かうにつれて白から黄色に変わっていく。まさしく菖蒲に似た和菓子だ。

 その綺麗なグラデーションをどうやって作ったんだろうと首をかしげていると、「しぼり茶巾の応用だから簡単だよ」と海斗が言ってそっぽを向いた。いつも以上にぶっきらぼうな口調は、照れているからだろうか。隼人が笑い、結衣が「かわいくない」とつぶやく。

 ぱんぱんと若菜が手を叩いた。

「さあ、北原くんの和菓子がすごいのはわかったけれど、そろそろ準備を始めないとね。まずはいつもの茶会の準備を始めるよ!」

 部長の呼びかけに、部員たちはいっせいにうなずいた。茶道部の顧問である学園長が、茶会のお客さまを迎えに行っている。皆がやってくる前に準備を済ませなければ。

 茶室として使う部屋の掃除をはじめ、風炉先屏風を広げる。電熱器の風炉にお湯を入れた釜を置く。水を入れた水差しも隣に置いた。床の間にはいつもの掛け軸と用務員さんから分けてもらった菖蒲を飾った。これで茶室の準備はおしまい。

 次に棚から取り出した茶碗を清める。本来ならば、季節に合わせた道具を使うべきなのだが、人数の関係から季節感は無視だ。ただ、この日の正客には藤の絵を描かれた茶碗を用いることになっている。それから抹茶をなつめに入れ、真ん中が山になるように整える。ぬらしてたたんだ茶巾を茶碗に入れ、茶しゃくと茶せんを茶碗にそえる。建水という道具の中央に蓋置を置いて、柄杓をのせる。これらの道具は亭主が茶室に運ぶ。

 それから、茶会のときにいつもお願いしている和菓子屋さんから届いた上生菓子を菓子入れの中に並べた。銘は「松の藤」といって、松を見立てた緑色のきんとんの上に、藤を見たてた薄紫色のきんとんがのせられている。移動させるときに、せっかくのきんとんを崩しそうで緊張した。なんとか綺麗に並べ終えてホッとする。

 そうして準備を終えたころ、障子の外がにぎやかになった。

 お客さまが来たのだ。

 半東の役目を背負った乃梨子が若菜の目配せを受けて、教わった通りの丁寧な動きで障子を開く。両手をついて、「ようこそおこしくださいました」という挨拶を告げて頭を上げれば、ちょっと驚いた様子のお客さまたちが立っている。

 生徒会からは生徒会長と副生徒会長と会計の三人、教師陣からは教頭先生、それから乃梨子と結衣の担任である渡辺先生がお客として来ている。担任の顔を見て、思わず緊張をゆるめそうになったが、あわてて気を引き締めて、乃梨子はゆっくりと立ち上がった。

 障子の先、座卓がある和室は、今日に限って布とひもでしきりを作っている。しきりの向こうで、お客様に見えないようにして、準備を進めているのだ。乃梨子は奥の和室に通じるふすまを開き、お客さまたちを案内した。正客は教頭先生、次客は渡辺、それから生徒会役員の生徒たちが三客、四客、五客となっている。学園長が末席のおつめだ。

 教頭先生が茶室に見立てた部屋の前で一礼して正座のままにじり入る。渡辺先生も同じように続いた。生徒会役員の生徒たちはさすがに緊張した様子で、ぎこちない動きで先生たちの真似をしていた。なにか彼らの緊張をほぐす言葉を言えたらいいのだが、その言葉が思いつかない。乃梨子も緊張でいっぱいいっぱいだ。しきりの向こうに行けば、部員たちが迎えてくれた。これから亭主を行う翔太が、ぽんと軽く乃梨子の肩を叩いてくれた。

「大丈夫。ちゃんとできてるよ」
「ありがとうございます」

 でもこれから、本番が始まるのだ。

 ましろさまや学園長に教わった内容を頭のなかで思い返しながら、ゆっくりと動く。畳の縁は踏まないように、両手は太ももの前でそろえるように。

 菓子入れを運び、翔太と共に茶室に入室し、正客に向けて一礼する。

「本日はわたくしども、私立苑樹学園茶道部の、初夏を楽しむお茶会にお越しいただき、ありがとうございます」

 一呼吸をおけば、教頭先生が「お招きいただき、ありがとうございます」と言う。あらかじめシミュレートした通りの答えに、ちょっと安心しながら次の言葉を告げた。

「本日、亭主を務めますのは、三年B組高橋翔太。半東はわたくし二年A組中村乃梨子でございます。短い時間ではございますが、おくつろぎいただけたらさいわいでございます」

 微妙に声は震えていたが、なんとか言い終えた。

 ゆっくり身体を起こし、お客さまを見て、翔太を見た。

 落ち着いた動き、どころか、どこかくつろいでいるような、余裕のある動きで、翔太はお点前を続けている。不自然につっかえたりもしない。

 乃梨子はその動きにみとれそうになったが、翔太が茶しゃくを拭き始めたときに、チラリと視線をよこしてくれた。はっと我に返って、ふたたび一礼をして、「どうぞお菓子をお取り回しください」と告げる。その言葉で教頭先生が動き始める。「お先に失礼いたします」と告げて、菓子入れから「松の藤」を取り分ける。

 渡辺先生が菓子を見てほっこり微笑む。生徒たちもだ。控えめながらも「へえ」とか「食べるの、もったいない」という言葉が聞こえてきて、ちょっと緊張がほぐれた。

 うん、和菓子はきれいだから、菓子切りを入れるなんてもったいなく思える。

 でもこれほど、抹茶に合う、美味しいお菓子は他にはないんだ。

 乃梨子はそう考えながら、お客さまたちが菓子を食べる様子を見守っていた。

「今日のお菓子の銘は何かな」

 やがて菓子を食べ終えた先生が、にっこりと訊ねてくるから「松の藤です」と答えた。

「いつもお世話になってる、松川屋さんが作ってくださいました」
「松の藤か。うんうん、藤はいまが盛りだものねえ」

 そう言われて、乃梨子はついつい、学校の外庭に植えられている藤を思い出す。確かに、いま、きれいな紫色の花が咲いている。ただ、落ちた葉っぱや花弁の掃除も大変だという事実まで思い出してしまって、ちょっと苦笑してしまった。

「でもどうして松の藤なんでしょう。松って冬のイメージがありますけど」

 生徒の一人が言えば、「こほん」と渡辺先生が咳払いをする。

「古来から、藤と松は関係が深いのよ。藤は蔓性の植物でしょう。必ずなにかに絡まって成長するのね。たとえば近くに松があれば、松に絡まって育ちます。だから藤を詠んだ歌には、松が多く登場するのよ。『夏にこそ 咲きかかりけれ 藤の花 松にとのみも 思ひけるかな』という歌が、拾遺和歌集に掲載されているわ」

 さすがは国語の先生だ。乃梨子も知らなかった解説をされ、思わず感心する。ここが茶席でなければ、拍手していたところだ。にっこりと渡辺先生が乃梨子に笑いかける。と思いきや、しゃかしゃかと茶を点てる音が聞こえてきたから、冷や汗をかくような気持ちで、乃梨子は気持ちを引き締めた。まだまだ、半東としての務めが待っている。

 翔太が点てたお茶を、正客である教頭先生の前に運ぶ。

 それから定位置に戻って、教頭先生の「頂戴いたします」という言葉を翔太と共に受けて、お辞儀をする。同時に、ふすまが開いて、若菜たちが生徒たちのためのお茶を運び始めた。本日は三客以降は控え室で点てたお茶をお渡しするのだ。渡辺先生を飛び越えて、お茶をもらってしまった生徒たちが戸惑ったように視線を合わせている。学園長が「いただいていいのよ」と言って、ようやくお茶を飲み始めた。

 失敗した、と乃梨子は考えた。こういうときこそ、半東が気遣いを見せるべきなのに。でもそう考えた乃梨子をなだめるかのように、学園長が優しい微笑みをむけてくれた。なんとか気を取り直して、そのあとに集中する。もう失敗しない。その一心でがんばる。

 そうしてなんとか、生徒会役員たちを招いて行う、初夏を楽しむ茶会は終わった。

目次