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「24時間、料理の注文を承ります。」

公開している創作を大幅に書き直して、2022年11月、文芸社より発行していただきました。

現在、発売中です。

試し読み

あなたのマリナーラ (06)

目次

(6)

歩き始めて三時間が経過している。にもかかわらず、目的地にたどり着いていない。

 ちなみに、わたしたちが住んでいる十六区と、いま、わたしが向かっている八区の間には、それなりの距離がある。でも普通に歩けば、もっと早い時間でたどり着ける距離だ。

 にもかかわらず、いまだ、目的地にたどり着いていない理由はなんなんだろう、と、わたしは途方に暮れて、噴水近くにある階段に腰かけていた。朝食を食べた時間が遅かったから、まだ、お腹はうるさくなっていない。でも三時間、歩きっぱなしだったのだ。そろそろ鳴り始めてもおかしくない。運動したらお腹は減る。鉄則だ。

(ごはんやさんは、あるんだけど……)

 ちらちら、と、視線を向ける。一応、端っことはいえ、八区に入っている。おまけに、お昼時間が近いためか、レストランが開き始めている。なかにはピッツァ専門店もある。マリナーラが食べたいなら、そのなかのひとつに行けばいい。でもだめ、と、座り込んだわたしは、ひざにあごをのせた。わたしが食べたいのは、あの、マリナーラなんだもの。

(……帰ろうかな)

 ちいさく弱気になってつぶやいた。

 そもそも、と疲れて冷静になった頭が、これまでの行動のおかしさを指摘する。
 滅多にない休日なのに、メグのお願いだからって、どうしてわざわざ八区までやってきているんだろう。それもただ、マリナーラが食べたいって理由は、おかしいじゃないか。食べ物は食べられればなんでもいい。いつものように、本屋さんなり公園なりで時間をつぶして、昼どきに帰宅して、メグが用意してくれる、おいしい昼食を食べればよかった。

(それなら、こんなに疲れることもなかったのに……)

 もう帰ろう、と溜息をついて立ち上がったときだ。突然、「ヒッ、ヒィィイッ」と珍妙なうめき声が聞こえた。見れば、ご老人が胸を押さえてうずくまっている。ぱっと意識が切り替わった。マーネに責任がある者として、あわてて老人に駆け寄る。

 うずくまった老人は、びくびく震えている。腹立たしいことに、まわりの誰も、反応しない。ちらちら、と、老人を見る者はいるのだけど、駆け寄ろうとしない。薄情だ。ご老人がぽっくりあの世に旅立たれたらどうしてくれるのだ。まず身元不明な死体になるわけだから、施療院に運び込んで死に顔の肖像画を描かなければならない。次に、その絵を参考にして、行方不明者のリストと照合しなければならない。すごくすごく面倒なのだ。

「大丈夫ですか、おじいさん?」

 懐を探りながら駆け寄ると、「あーあ」と云う声が聞こえた。

「あの子、アドリアーノじいさんのナンパに引っかかってるよ」
「新顔だもんなー。このあたりでは見ない顔だから」
(え?)

 難破? と聞こえてきた単語に首をかしげていると、がし、と老人は思いがけない強さでわたしの腕を握り返してきた。驚いて見下ろすと、とても血色のいい老人だった。どうにも違和感を覚える。困惑しながら首をかしげると、「うっ」とうめいて老人は顔をそらす。

「くうう、るうう、しいいいのおおおっ」
「はあ。お薬、お持ちになっています?」

 つまりは発作だろうか。だから当然の心得として確認したのだけど、老人はうつむいたまま、なにも云わない。もうお亡くなりになったんだろうか。不安になって、とんとん、肩を叩いた。「おじいさん?」、声をかけると、少しの間を置いて、がばあっと迫ってきた。

「いえに、家に忘れてきたんじゃああっ」
「あら大変。とりあえず施療院に行きましょう」
(意外に元気だから、魔道を用いるほどでもないよね)

 わたしはこれでも自警団だから、万が一の事態に備えて、転移魔道の魔道陣を携帯している。だから懐から取り出そうとした魔道陣をしまい直して、グイ、と老人の脇に肩を入れて身体を支える。「お、お、?」、びっくりしたように老人が声をあげる。背が高い老人だ。むしろわたしがぶら下がるような形で、老人を支えるはめになる。これじゃあまり支えにならないなあ、と考えていると、「師匠ーっ」という少年の声が聞こえた。ピクリと反応する。聞いた記憶がある。思わず動きを止めると、老人が首を動かす。

「ラウロ。こぉこじゃ、ここ」
(え?)

 今度こそ驚いて老人を見た。ひょい、と老人はわたしから腕を外し、呑気な様子で手を振っている。やはり、元気そうだ。混乱していると、栗色の髪の少年が走り寄ってきた。

「もう。なにやってるんですか。開店時間、過ぎてるんですよ」
「じゃから、お客さまを誘導しておった。ほれほれ、かわいい娘さんじゃぞ~」
「それ、ナンパですから。詐欺ですから。……って、あれ、おまえ」

 冷ややかな眼差しで老人を見て、栗色の髪の少年はわたしを振り返った。やっぱり、ラウロだった。驚いたように目をみはって、にか、と、ほがらかに笑いかけてくる。

「ひさしぶりだな、元気してたか?」
(ラウロも、元気してた?)

 探し人にようやく会えた嬉しさに、にっこり笑ってそう云おうとしたのだけど。

 ぎゅーうぐるるるーきゅー。

 口より先に、お腹があいさつを返した。なんとも云えない沈黙がおりたから、わたしはさすさす、お腹を撫でた。うん。きっと緊張がほどけたからだろう。我ながら律儀な腹だ。

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