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「24時間、料理の注文を承ります。」

公開している創作を大幅に書き直して、2022年11月、文芸社より発行していただきました。

現在、発売中です。

試し読み

生まれる前

どさどさっ。
夫がやけに大きな紙袋を持って帰宅したから、待ち構えていた妻はもちろん追求した。

最近、どうした次第か、帰りが遅いのだ。今日こそ問い詰めよう、そう思った矢先の出来事だから、少々気が抜けた。どさどさと現れた荷物は主にCDや書籍だった、――胎教の。

だがしかし、理由がわからない。いずれは必要になって欲しいが、少なくとも今は必要ない。同時に、こんなに数多く必要ない。眉をひそめてもじもじしている夫を正座させた。説教の態勢だ。

「ちょっと。これはいったいなに」
「なにって。ええと、改めて訊かれると照れるなあ」

あほか。
そっけなく視線を向けたが、デレデレしている夫は気づきもしない。
ああ、残念。武道の心得があったら踵落とししてやるのに。
物騒なことを考えながら、答えを待つ。ようやく照れをふっ切った夫が口を開いた。

「胎教グッズだよ。CDに書籍、赤ちゃんの心音を聞くグッズまであるよ。これで万端だね」
「へえ、最近は本当にいろいろな種類があるのねえ、って、云うと思ったかあほ!」

必要ないのよこんなもの、と、叫びながら、とんと胎教グッズが並ぶテーブルをぶったたく。
するとムキになったように、夫が抗弁した。

「必要ないなんてことは、ないよ。だって産まれてくる赤ちゃんに出来る限りのことはしてあげたいじゃないか!」
「必要ないのよ! そもそもわたし、妊娠してないもの」

え!? とやけに驚いたように大声を出して身を乗り出すものだから、妻は夫の誤解に気づいた。座っていたソファからずるずる滑り落ちて、ペタンと床に座りこむ。こめかみをぐりぐり指で押さえると、慌てたように夫が訊いた。

「だってこの間、気分が悪いって云ってご飯食べなかったじゃないか!」
「気分悪い日だってあるわよ、わたし、低血圧だもの」
「だいたい生理だって二カ月来てないだろ?」
「なんで知っているのよ!? ……環境の変化に伴うストレスのためよ。そんなこともあるの」
「それにお腹まわりがなんだかふっくらとしてきたし」
「ぶっとばされたいの!?」

意外に夫は妻を見ていた。特にお腹まわりとは何事だお腹まわりとか。
油断できないわねーと明日からのダイエット運動を心に決めながら、妻は疲れた様子で言葉を続ける。

「わたしが妊娠したと思ったのね……?」
「……うん」

答える夫はどこか気まずそうである。
そりゃそうだろう。ふうとため息をついて、妻は夫を眺めた。
うなだれている男は、だから残業引き受けてきたのになあ、と、ぼやいている。

(あほよねえ)

でも。
なんとはなしに、胸が満たされていく心地があった。

あほな男だ。でもかわいい男だ。
子供が生まれることをまっすぐに喜んで、素直に行動している。

まだ生まれてもいないし予定もないけれど、子供が生まれたら間違いなく子煩悩になるんだろうなあと想像がつく。
それはきっと当の子供がいやがるくらい。そのときには「いい男を選んだでしょう」と自慢してやろう。

早とちりに暴走思考、それでも。

(存在してない子供のためにここまで動いてくれる人なの)

そう云ったら呆れられるかしらね、とほのぼのと満たされた想いで彼女はひとりごちた。

010:生まれる前▼
(現代もの 妊娠してない妻と誤解した夫)

む、むずかしかった……! ファンタジー物に逃げようかとか考えましたが、結局、ベタな夫婦現代もの。書きながら「影武者徳川家康」を思い出したり。何故って「女は子供にやさしい男に甘くなる」みたいな文章が書いてあったから。この本は本当に面白いのですよ、おススメです!

2011/07/20

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