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「24時間、料理の注文を承ります。」

公開している創作を大幅に書き直して、2022年11月、文芸社より発行していただきました。

現在、発売中です。

試し読み

資格が職探しに役立ちますか? (9)

 ひと口、飲み込んだ紅茶は、信じられないほど豊かな薫りを放っていた。
 貴重な氷と共に透明なグラスに入っている、冷たい水出し紅茶なのだ。水出し紅茶というものは初めて飲む。薫りは温かな紅茶より格段に劣るはず。これまでそう考えていたキーラは、ひと口大の焼き菓子と共に提供されたこの紅茶を、最初、軽く見ていた。

 ところが喉を潤そうとグラスを唇に近付けた瞬間から、自分の料簡が狭いことに気づいた。グラスに唇をつけた瞬間から、ふわりと立ち昇る果物に似た薫り。喉を通っていく涼やかな感触、――たまらない。キーラは頭の中のメモ帳を開いた。将来、カフェを開くときにはぜひ水出し紅茶を提供しよう。暑い季節の限定メニューにしたら素敵ではないか。

 また、焼き菓子も美味しい。木の実が入っていて、サクサクしている。特殊な乳製品を用いているのだろうか。これほどサクサクした感触はこれまでに味わったことはない。

(レシピ、教えてもらえないかなあ)

 思わずそんなことを考えてしまった。
 緊張感がないと云われればその通りだろう。いま、キーラがいるのは、マーネ市長の接客室だ。淡い生成りの壁紙に、焦げ茶色の家具、と云う組み合わせが上品である。部屋の中央に三人掛けのソファがふたつ、向かい合うように配置されていた。

 そのひとつにキーラは座っている。アレクセイと共に、マーネ市長を待っているのだ。セルゲイは扉付近で待機している。奇妙なトライアングル配置に落ち着かない。

(いや~な配置よね)

 なぜ自分がルークス王国の王子と共に座っているのだろう。キーラはグラスを持ったまま考える。おそらくこれから行われるのは、マーネ市長とルークス王国王子の話し合いだ。一般市民であるキーラが呼び出されるのはもちろん、こうして座らされることもおかしい。この際、セルゲイの隣に立たされても文句は云わない。いいや、そうしたい、ぜひに。

 こつこつこつ、と、扉が叩かれた。
 セルゲイが応え、扉を開いた。銀髪をまとめた壮年の男が現れる。マーネ市長、ベルナルドだ。仕立てのよい長衣に身を包み、灰色の瞳をまず、アレクセイに向けた。

「お待たせしましたな、申し訳ない」
「いいえ。無理を申しあげたのはこちらです。お気になさらず」

 立ちあがったアレクセイが微笑みながら応える。ささいな譲り合いが発生して、皆がソファに座る。ここで改めて、違和感を強く抱いた。アレクセイと同様に、ベルナルドと正面から向かい合っているのだ。おかしい。明らかにどう考えても、これはおかしい!

 いまからでも移動を提案しようか。そんなことまで考えていると、ベルナルドは微笑んでキーラに話しかけてきた。かつて守護を依頼されたこともあり、顔見知りなのだ。

「ひさしぶりだな、キーラ。なかなか会えないから心配していたが、元気そうだ」
「一般市民が気安く市長に会えるわけないじゃない。でも、ありがとう」

 なんだか妙な感覚だが、とりあえず心遣いには、素直に感謝を返しておく。隣でアレクセイが笑った。キーラとベルナルドを見比べて、会話に参加してくる。

「なるほど、お二人は既知の仲なのですね」
「彼女がマーネに引っ越して来た時からの付き合いになりますな。もう、四年になるでしょうか。ちょうど紫衣の魔道士になったばかりで、いま以上に頑固な娘でした」

 楽しげに二人は笑う。キーラは眉を寄せた。なぜ自分が、二人の会話のダシにされなければならないのだろう。そう感じたのだが、沈黙したまま、紅茶を飲んだ。余計な口出しは、これ以上のダシになる展開を引き寄せるだけである。

 どうやらその判断は正しかったようだ。まもなく二人は死亡した魔道士について話し始めた。すでに探索隊から報告を受け取っていたのだろう。ベルナルドの表情が引き締まる。

「灯台近くで姿を見失い、アルブスで遺体となって発見されるまで、わずか三時間弱。……いささか反応が早いですな」
「おそらくマーネの介入を避けるためでしょう。そもそも今回の襲撃は、実行者の暴走であった可能性もあります。操られていた傭兵たちは?」
「施療院にて治療中です。ただ、残念なことに操られていた間の記憶はない。キーラに絡んだことまでは覚えているものの、魔道士に会った記憶もないようですな。しかしあったとしても、今回の騒動は亡くなった魔道士一人による単独行動でしょう」
「ただ、転移先であるアルブスには仲間がいた。そしておそらく、その仲間がキーラの追跡魔道に気づき、口を封じるために魔道士を殺害した。わたしはそのように考えています」

 二人の会話を聞き、キーラは再び押し寄せてきた、後味の悪さを噛みしめる。
 とはいえ、すでにアルブスで落ち込んだあとなのだ。もうひと口、紅茶を飲んで気持ちを落ち着かせた。本当に美味しい。機会があったら茶葉の生産地も訊こう。

 会話に加わることはせず、一人でまったりしていると、セルゲイと視線が合った。
 気配を消して控えている彼は、どこかキーラを咎めるように見つめてきた。まさか会話に加われ、と云いたいのだろうか。だが仲間でもない身で何を語れというのか。確かにこの場に呼ばれているが、それはキーラとて心外であるわけで――。

(待て)

 どうして自分はこの場に呼ばれているのか。一応、先にも考えた疑問が、なぜだか不意に、妙な重みを伴って迫ってきた。そのときだ。ベルナルドがアレクセイに告げた。

「いまは何もお約束できない立場から率直に申し上げれば、さっさと次に目的地に旅立っていただきたいものですな。いつまでこちらに?」

 さらりとアレクセイは、きらびやかな笑顔を浮かべた。

「それはこちらにいらっしゃる、紫衣の魔道士どののご意向によるでしょうか。我々は何としても、目的のために彼女を雇用しなければなりませんから」
(これか――――っ!)

 ぴたりと硬直して、キーラは心の中で絶叫する。おそらくアレクセイは、この流れを読んでいたのだ。アルブスではあれ以上を求められなかったから、完全に油断していた。というより、敵方の情報が少しだけわかったじゃないか。敵を探索する方法もある程度、想像つくじゃないか。あれじゃだめか。あれだけじゃ足りないのか。

(まずい、まずい!)

 頭の中ではひたすらぐるぐると、同じ言葉が回っている。ベルナルドの眼差しがこちらに向いた。灰色の瞳は、にこやかに笑っている。キーラの口元がひくついた。アレクセイと同種の笑みだと見た途端、直感できていた。

「キーラ。そういえばさきほど、ギルドの長からアウィス便が届いたのだよ」
「……じいさまからですか。そうですか」
(ギルドの登録を抹消してもらえないかなあ)

 うつろに応えながら、キーラは逃避気味に考える。もはやいやな予感を覚えるばかりである。紅茶を飲もうとして、空のグラスに気づいた。

 お代わり要求したらダメかな。さらに逃避しようとしていると、ベルナルドが長衣のかくしから手紙を取り出した。そのまま差し出され、まじまじと見つめた後、しぶしぶ受け取った。面白がるようなアレクセイの視線を、無性に苛立たしく感じた。ごわごわした手紙は、ギルドの長が愛用する特殊な紙だ。まちがいなく、本人からの手紙である。

(ああ、開きたくない)

 いっそ後で読み返すと云って持ち帰り、家で焼却してやろうか。破れかぶれのひらめきが頭によぎったが、無駄なあがきである。ギルドの長は間違いなく、キーラの行動を察するだろう。再び、アウィス便を送ってくるだろう。それでもここで開くよりはましだと感じるのだ。二人の喰えない狸が、自分たちに都合のいい展開を待ち構えている場所よりは。

「わたしにも届いた。同じ内容かもしれないが、アレクセイ王子の件についてだ」

 退路が断たれた。キーラはしぶしぶ、促されるままに、手紙を開く。一読して、力が抜けた指から、はらりと紙が舞い落ちる。

 ――――開いた手紙には、こう書いてあった。

『わしに引退してほしくなければ、アレクセイ王子の依頼を受けるように』

 キーラを後継者に指名している長からの、抗いようのない最終通達だった。

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