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「24時間、料理の注文を承ります。」

公開している創作を大幅に書き直して、2022年11月、文芸社より発行していただきました。

現在、発売中です。

試し読み

時計

覚醒は突然だった。
開いたそのまぶたに映るのは、漠然とした薄闇だった。はっきりと見分けられるものはない。少女はぼんやりと空を見つめる。その瞳には、まだ明確な意志は表れていない。白く長い髪を、同じく白い裸体に、ただ、まとわりつかせている。

やがて、またたく。ひとつ、ふたつ。

その瞳にゆるゆると意思が芽生えていく。今度のまたたきは力強く、律動的なそれだった。白い掌が、がつ、と、気密容器のふちをつかんだ。その手を支えとして、少女は起き上がろうとする。

だが、ぐらりと大きくよろめいた。せまくはない容器の中で、彼女は再び倒れこむ羽目となる。今度はもう片方の手を身体の傍らに置いた。それでも起き上がることが出来ない。やわらかな床に倒れこんだまま、少女は大きく呼吸する。固くつるりとした容器に反し、その床はやわらかく心地よさそうだ。その感触に浸るかのように、まぶたをひとたび閉じて。

「エターナル」

ひと声呼びかけると、ぽぉん、とかすかな音が響いた。
同時にオレンジ色の灯りがともる。

少女が横たわる場所から離れた位置にともった灯りは丸い形をしている。ところが純粋な光、というわけではない。容器と同じ、固くつるりとした素材の球体が、ぽっと灯りをともらせただけなのだ。

「お目覚めでございますか、マスター」

その女の声は、明らかにそのオレンジ色の球体から発せられていた。
高くもなく、低くもない。心地よい声といえるだろう。
だが少女の声とは明らかに違う響きがある。
横たわったままの少女は片手を額に乗せ、うめくように告げた。

「エターナル、来て」
「かしこまりまして」

ぽぉん。軽やかな音を立てながら、弾むようにその球体は近づき、少女を照らした。

うつくしい少女だった。

年の頃は十五、六か。頬は優しいカーブを描き、唇は甘やかな淡紅色をしている。
華と艶をあわせもった印象があるのは、ひとえに翠がかった金色の瞳によるものだろう。ただ珍しい色をしているだけではない、くっきりとした意志の強さをうかがわせる形をしている。華奢な首筋からはらはらと白い髪がこぼれおち、やわらかなふくらみから腹、まろやかな尻まで身体全体をおおっていた。球体のオレンジ色の光が、そのうつくしさにさらなる華を添えている。

少女は腕を伸ばし、エターナルと呼びかけた球体を引き寄せた。そして寄りかかるように上体を起こそうとする。ずいぶんゆっくりな動きだったが、ようよう起こしきることに成功した。体勢を落ち着かせるなり体にかかっていた布を手繰り寄せ、幾分慌てたそぶりで胸元まで引き寄せる。ほうっと息を吐き出し、まとわりつく髪をかきあげた。

「塩酸メタンフェタシンを注入されますか」
「いい子だね、エターナル。でもそれよりカフェインが欲しいかな」
「安息香酸ナトリウムカフェイン剤でございますか」
「いや、単純にコーヒーにして」
「かしこまりました」

と、答えたものの、エターナルは動き出さない。ただ、その球体の中で作動音を響かせた。
しばらくのち、エターナルはその一部を開き、アームのようなものでカップを差し出す。ふわりと立ち上る香りに少女はうっとりと眼を細め、微笑みながら受け取ったカップを唇につける。ひと口、黒い液体を飲み、くつろいだ様子で息と共に言葉を吐き出した。

「どれだけの時が経とうとも――、やはり目覚めた時はコーヒーがいい。わかる? エターナル」
「非合理な判断です。その飲料のカフェイン含有量は必要量より少量で、マスターに有益ではないと判じます」
「いいんだよ、エターナル」

細い指で球体の表面をなでる。ゆっくりと、やわらかく。
――まるで、名残を惜しむかのように。

「いいのだよ、これで」

微笑むように口端を持ち上げ、黒い液体を飲みほした。飲み干した容器は、球体の中に収める。今度はなめらかに動き、そして少女は立ち上がった。白い布だけが、細い体を覆っている。だが気にした様子もなく、素足のまま気密容器を出た少女は、凛と顔をあげたまま言葉を発した。

「いま、ここから見ることが出来るセレネを映してくれ、エターナル」

すると薄闇の空間の様子が変わる。
まるで曙光のような、穏やかな変化だった。ゆっくりゆっくりと明るくなっていく。漆黒から濃紺へ、群青から瑠璃へ。
明度を強めていく空間は、そうして少女たちのまわりに様々な気配が通り過ぎていくことに気付かせる。魚影だ。小さくきらめく稚魚の群れから、ゆったりと進んでいく海獣まで。それぞれの生態を守りながら移動している姿を、その空間では見ることが出来た。

ただ、どうしたわけか。少女とエターナルのまわりに近寄ることは決してない。保障された空間において、慕わしげに少女は首を巡らせる。意思の疎通など不可能な生き物たち。それでも嬉しそうに見つめ、そして次の言葉を発した。

「では、次はガイアの様子だ、エターナル」

あたりの情景は、たちまち一変した。
海中から地上に。その違いはあれど、暖かさのかけらもない極寒が彼女たちを取り巻く。
ただ、先ほどと同じように、少女たちにはいかなる変化ももたらさなかった。震えた様子もなく、少女はゆっくりと慎重にその情景を見まわし、最後に空を見つめる。やがて、ああ、と歓びの声をあげた。

「太陽が出ている」

確かに厚く雪が積もる地ではあっても、灰色の空の合間から輝かしい太陽の光が覗いていた。か細い、あまりにもか細い光ではある。
今度こそ少女の唇はやわらかくほころんでいた。

「推定するに、」

呟きかけて、ところが少女は黙り込む。球体は反応しない。ぶるり、と初めて細い肩が震えた。自らを抱きしめるように腕を組み合わせ、沈黙し続けた。長い沈黙の果てに、ぽつりとした言葉を吐き出す。

「……だから、わたしが目覚めることが出来たんだ」

その言葉にもエターナルと呼ばれた球体は反応しなかった。少女の顔が切なそうに歪む。涙はこぼれない。唇を開いて、大きく息を吸い込んで、頬がふくらませる勢いで吐き出した。一度だけ瞑目し、唇に笑みをたたえたまま、まぶたをひらいた。こぼれおちそうな滴は、もうその瞳にはない。球体は反応しないままだ。

少女は身をひるがえして、空間と同化している片隅に向かった。ぽんと壁を叩いて、浮かび上がるように形づいた扉を開く。
たくさんの衣服が掛けられた収納棚だ。手早い動作ですべてに目を通す。そうしながら問いかけの言葉を発した。

「エターナル。いまのセレネの季節はなんだろう?」

ぽぉん。ようやく弾んだ球体は少女に近づき、丁重な響きで応えた。

「冬から春に移り変わろうとしております」
「世界情勢は?」
「昨年の雨量が響いて収穫は必要量を上回っております。ですが小競り合いが発生し、収穫物の偏りが発生しております」
「小競り合い?」

言葉を交わしながら、目にとめた衣服を床に放り出していた少女は初めて眉を寄せた。
球体を見下ろして問いかける。

「どの程度の規模のものなの」
「最新の小競り合いでは1000人ほど亡くなりました」
「……それは戦争、と云うんだよ」

溜息をついて、床に放り出した衣服を改めて見直した。いくつか拾い上げて、もとの棚にしまいこむ。厚手の衣服ではあるが、あまり目立たない色合いのものを床に放り出したままにしておいた。さらに棚を探り、少女はハサミを探しだした。足元にまで流れる豊かな髪を無造作につかみ、思い切りよく切り落とす。

ざくり、ざくり。白い毛がとぐろを巻くように足元にたまっていく。肩につくかつかないほどの長さにまで髪を切り落とした少女は布を滑り落とさせ、床に落とした衣服を身にまとった。他の衣服は小さな鞄に詰め込んでいく。衣服だけではなかった、棚の中に用意されていただろう様々な道具を詰め込んでいく。小さなくせに、鞄はすべてを受け入れた。

要領の良いことに、その間に片づけをさせる。先程のアームを動かし、毛を集めて捨てる。身支度を整え終えても、少女は沈黙したままその様子を眺めていた。わずかに首をかしげ、ふしぎな表情を浮かべている。哀しみに似ている、と、人ならば云うかもしれない。だが、ここに他に人はいない。

やがて片づけを終え、エターナルはアームをしまい、もとの球体に戻った。オレンジ色の、温かな光を放っている球体を見つめて、少女は唇を開いて、エターナル、と呼びかける。

「時は満ち、地の利は整った。あとは人の和を待つだけ」
「はい」
「『わたしは長針を探しに行くよ』」

少女がそう告げた途端、エターナルからオレンジ色の輝きが消えた。確固たる動きも消え失せたように、ころりと力なく、か細く転がる。少女は動き、そっとエターナルを持ち上げた。気密容器まで歩き、その中に球体を置いた。黙って見下ろす。唇は不思議なカーブを描いていた。

ありがとう、エターナル。
小さな唇がそう動いて、少女は気密容器のふたを閉じた。

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