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「24時間、料理の注文を承ります。」

公開している創作を大幅に書き直して、2022年11月、文芸社より発行していただきました。

現在、発売中です。

試し読み

黒い肌

「して、いまさら何の御用かな。この箱庭の管理を放棄した一族の者よ」

穏やかな響きで突き付けられた言葉は、2人の皇族から言葉を奪った。好々爺の笑みを浮かべ、穏やかな響きで言葉を話す生き物、――しかしその眼差しだけは冷ややかなものであることに気付かされた。ミネルヴァは息をのみ、ロクシアスは気分を引き締める。

「お恥ずかしながら、その言葉の意味すらわからぬのです。古の一族のおひとりよ」
「ほう」

別に失望した様子も見せず、ドワーフはただロクシアスの言葉に相槌を打つ。それは寛大だからというではなく、もはや呆れかえった、という雰囲気を漂わせていた。長いあごひげをゆったりと撫で、細めた瞳でロクシアスを見つめる。

「面白い種族だ。人間というものは。責任ある立場の一族ですら、意思が統一されていない」

当然それは皮肉であろう。ぐっと言葉につまったミネルヴァは拳を握り、対照的に、ロクシアスはさらりとした表情を維持したままだった。彼とて何も感じていないわけではない。だが、冷ややかなドワーフの眼差しを見つめていると、それにふさわしい行動しかしていない自分たちを顧みる気持ちが強いのだ。

そして、それでもなお、現状を望ましいものに変えようとする気持ちがある。

「それでも我は、召還に応じた。人間よ、3つの問いになら応えよう」
「ありがたく、存じます。それでは第一の質問を」
「うむ」
「あなた方ドワーフの総意は、どういうものですか?」
「兄上っ?」

意外そうな響きでミネルヴァが呼んだ。ふ、と、ドワーフはロクシアスを静かに見返す。

「静観。このままであれば、セレネにかけられた魔法はいずれ消える。目障りな人類も滅びる。元の世界を取り戻すことが出来る。ガイアに戻れなくなった人類がじたばたしようとも、それは我らの知ったことではない」
「では、第二の質問を。なぜ、我ら人類は、ガイアに戻れなくなったのでしょう」
「詳細は己が一族に聞くがよかろう。だが管理を放棄したからだ、と我らは見ている。ガイアとセレネをつなぐ道の管理の放棄をな」
「それでは、最後の質問を。ガイアは本当に復活するのでしょうか」
「短針たる魔女が目覚めた。ガイアはそなたらが与えた痛みから回復しつつあるということだ。お主らの歳月にしておよそ500年。我らにもちと長過ぎる歳月であった」

さて、とドワーフは立ち上がる。鈍重そうに見えて、軽々とした動きだった。は、とミネルヴァは腰の剣に手を伸ばす。制止したのはのんびりとした兄の言葉だった。

「いけないよ、ミネルヴァ。古の一族に対する敬意を持たなければ」
「しかし、肝心なことが何も訊けてはいないではありませんか。アルテミシアを救う方法など一つも!」
「それはわたしたちが考えることだ。古の一族の方は知らぬと仰るに決まっているだろう」
「ほ、よくぞ理解しておる。ならばおまけにもうひとつ教えてやろう。我が身は今ここにあるわけではない」

初めてドワーフは笑みを浮かべた。黒い肌がだんだんと薄くなっていく。否、肌ではない、姿丸ごとだ。
ミネルヴァは警戒もあらわに動きを止めた。
痛快そうな笑い声が、巨石を通じて大きく響き渡る。

「我らドワーフがむざむざと人の前に姿を現すと思ったか?」
「それ以前に、同じ体構造の生き物と思ったか」
「そなたらが必要とする空気、我らには不必要なものでしかない。だからこそ、ガイアよりこちらの世界に移った」
「ルナにも希少な鉱石はある故にな」

声は二重三重にもなって響いた。そして完全にそのこだまが消えた頃には、ドワーフの姿も消えている。ふう、とロクシアスは憂鬱そうなため息をついた。きっとミネルヴァがそんな兄を振り返って睨む。

「結局兄上は何をなさりたかったのですか。重要なことがなにひとつ訊けぬままだったではないですか」
「そんなことはないよ。少なくともいちばん気がかりであった情報は聞くことが出来た」
「なんのことです?」

うん、と軽く応えて、ロクシアスは立ち上がる。
青い空に流れていく白い雲をしばし見上げて、呟くように告げた。

「じきにこのセレネは滅びる、ということさ」
「何を馬鹿な――」

反論しかけたミネルヴァは、言葉をひるがえさない兄に眉をひそめる。
憂鬱そうな兄は、空に浮かぶ青い月を指し示した。

「ご覧、ミネルヴァ。今日もガイアはうつくしい」
「青き月。確かにうつくしいですが、それが何か?」
「我々人類はあのガイアからこのセレネに移住してきた。そしてルナが滅びる前に人類すべてがあのガイアに帰還しなければならない。そう考えるとわくわくしてこないか。あのうつくしい星に住むことが出来るのだから」
「あいにくですが、兄上、わたくしはそうは思えません。いくらうつくしかろうと、未知の世界です。このうつくしいセレネを捨てて、未知の世界に移住しようなどと、その行為に同意できる者がいるはずもありません。もちろん、わたくしもです」
「同意しなければ、死ぬしかない、としたら?」

何を馬鹿な、と云いかけたミネルヴァは、思いがけないほど真剣な兄の様子に言葉を呑みこまざるを得なかった。ふ、とロクシアスは笑い、再びフードをかぶる。先に歩きだした兄に、慌ててミネルヴァは続いた。

「兄上、それよりも」
「アルテミシア。そうだね? 君は皇族であるより先に、アルテミシアの騎士であるから、あの子のことが気がかりで仕方ないんだろう」
「騎士などと大げさな。姉が妹を気遣うことに、何の不思議がありましょうか」
「だがわたしは、君たちの兄であるより、皇族の1人であることを選んでいる」

ざ、と音を立ててロクシアスは足を止めた。
フード越しに、鋭く光る瞳を据えられて、ミネルヴァはきっとにらみ返した。

「それはどういう意味ですか、兄上。妹大事の感情にかまけ過ぎているとでも仰りたいのですか?」
「ミネルヴァ。君は心配のあまり盲目になり過ぎている。ドワーフとわたしの会話を思い出しなさい。あれを思い出しさえすれば、いま、アルテミシアが置かれている状況も多少は理解できるはずだ。少なくとも、敵の意図を読むことが出来るだろう」
「敵、とは」
「もちろん、敬愛すべき我らが父上だ」

吐き捨てるようにロクシアスは応えた。
厳しく引き締まった眼差しは、糾弾するように、はるか遠く皇宮に据えられている。

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