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「24時間、料理の注文を承ります。」

公開している創作を大幅に書き直して、2022年11月、文芸社より発行していただきました。

現在、発売中です。

試し読み

凍った森

「エターナル。防護壁を俺のまわりに張り巡らせることが出来るか」
「かしこまりまして」

ぶんとかすかな音が男のまわりを囲む。安心を確信して、足を進めた。街の外れの、さらに外に向かった。
そこはもはや、魔法が及ばない場所だ。すなわち、空気もない場所である。街の建物が風化して崩れかかっている。さらに進んだら、ぼろぼろになった森が見えた。完全に枯れている。からからに乾ききった木に触れようとすると、腕の中のロボットが警報を鳴らした。指を引っ込めて、感慨を込めてその森を男は見る。

長い年月を、この男はセレネで生きてきた。だからこそ、この森が生き生きと息づいていた時を覚えている。脳内からその記憶を取り出して、切なげに男は笑った。仮初の大地であるはずなのにな。小さく呟いた言葉を聞き咎めて、ロボットが反応する。

「泣きたいのですか?」
「ん?」
「マスターが泣きだす気配と同じ気配を発してらっしゃいます」

ふ、と、男は笑って天を見上げた。もはやそこからは青空を見上げることは出来ない。
深い紺色の宙が広がるばかりだ。
そして圧倒的に輝くガイアの存在。知っているものは誰もおらずとも、彼が生まれ育った太陽系第三惑星。

「そうだな。泣き出したいのかもしれない」
「何かお望みのものはありますか」
「ないよ、エターナル」

苦笑して男は告げた。ないよ。もう一度繰り返して、それでも目を離せない様子でガイアを見つめ続けていた。やがて、男は呟く。昔語りを聞いてくれるか。ロボットは、すぐに反応する。

「あの日まで。だれも地球が滅びることを予感していなかった」
「はい」
「核開発、温暖化、各地の紛争――。解決しなければならないことは、たしかに多く存在していたけれど、誰もが大丈夫だと思っていた」
「はい」
「だがな、それはあたりまえじゃないか? だれも日常が崩壊することを念頭に置いて行動なんて出来やしない。当たり前だと思っていた日常が突然に崩れることを想定して生活するなど、下手をしたら気が狂っちまう。だってそうだろ。足元の安全すら、保障されていないと云うのであれば、人は不安の中で毎日を暮らしてしまう。景気が悪い時ですら、そうだったんだ。地球自体に大きな危険が迫っていると知って、それでも平然と毎日を暮らせる人間などいやしない。だから、大丈夫だと、ゆるやかな解決策が間に合うと思っていたんだ」
「はい」
「――それが、その愚かさが、こんな罰を与えられるほどの罪だったか?」

ロボットは応えない。会話の飛躍に応えられないのだ。
そもそも、何に対する罪なのか、それすらも理解できないのだろう。

男自身にもわからない。罰と云い、罪と云った。
だがそれを授けるのは、何者か。神か。だがそうではないことを知っている。

神、などという具体的な存在ではない。もっと大いなる存在、――運命に問いかけたいのだ。

人は、そんなにも許されないことをしていたか。悪漢もいた。
だが多くの存在が、けなげに出来ることをして生きていただけじゃないか。

魔女に会いたい。男は痛烈に思った。
あの時代を知る魔女、同じ人類である彼女には、この想いを共感できるだろう。

それとも。

「あいつのことだから、曖昧な罪と罰に逃げ込むなと云いそうだな」

ふっと唇が笑みを浮かべる。人間に迫害され続けてきた魔女は、ある面ではやはり容赦がない。
神などいないと思っているし、運命などというものに問いかけることもしない。
自らの手で道を切り開くしかない。その事実を充分思い知らされている。

それでもなお、竜族の夫に嫁いだことで、人類への干渉を禁じられたことも知っている。彼女は本来とても行動的であるのに、役割によって封じられているのだ。

この、どこまでも自由でいられる、ひとりきりの亜種である自分などと違って。

……あの最後の瞬間、ガイアからこのセレネに人類が移住してから、長い歳月が過ぎた。

その歳月の間に、男はたくさんの生と死を見つめてきた。初めの頃は、ガイアで死にたいと告げる者が多かった。だがやがてその数も減り、ガイアに関する伝承も消え、誰もがガイアが故郷であることを知らないまま亡くなるようになっていた。

このセレネには、そんな人間たちが葬られている。数多く。

――帝国皇帝の意図を、完全にではないが、察している男である。だから、遥か古に住んでいた惑星など捨てて、このセレネに住み続けたいと願う気持ちもわからないでもない。男と違って、代々の皇帝はこのセレネで生まれ育ってきた人間だ。完全にセレネを平定し、生活を安定させたいと云う気持ちもわからないでもない。詳しい事情を知れば、皇帝に共調する人間も多いだろう。

だが、帝国皇帝は、現実を見ていない。この、魔法が消え、空気をも消えている環境を知らないのだ。
それが、セレネの真実だ。ここでは人間は生きていけない。

「さて、どうしたものかな」
「魔法使い?」

ロボットが問いかける。人口とはいえ、若い女性の声の、あどけない問いは、不思議と心を和ませる。

「ただ、吟遊詩人として伝承を伝えているだけでは、人類を納得させることは出来ないだろうということだよ」
「はい」
「いっそ、この場所に人間を連れてくるか? なんてな。そんな残酷なことは出来ないし」
「魔法使い。マスターに逢いましょう」
「は?」

意外な言葉に見下ろしたが、当然のことながら、ロボットは表情など浮かべてもいない。様子など変えてもいない。

「データにあります。3人寄れば文殊の知恵。マスターは長針に逢われているはずですから、魔法使いを入れて3人になります。なにやよい知恵が浮かぶかもしれません」

くっと笑いだしながら、男はロボットを抱え直した。踵を返し引き返しながら、賞賛の言葉を告げる。

「おまえは本当に良いロボットだな、エターナル」
「マスターに伝えてください」
「わかったよ」

人間並みにちゃっかりしたロボットに苦笑しながら、そうして男は魔法の力あふれるセレネに生還した。

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