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「24時間、料理の注文を承ります。」

公開している創作を大幅に書き直して、2022年11月、文芸社より発行していただきました。

現在、発売中です。

試し読み

自由

風にたなびく髪が煩わしくて、ひとつにまとめた。
海の香りは、やはりかぐわしい。

魔女は今、レジスタンスの用意した船で竜族に会いに向かう途中だ。傍にアルセイドの姿はない。彼はドワーフの街に向かっている。かつて接触した場所を想ってだろう、あまりにも魔女を気遣うものだから、竜族へのアクセスポイントはセレネのあちらこちらにあるのだ、と云ってやったら、アルセイドは面喰った顔をしていた。

その顔を思い出して、魔女はひとりで笑う。すぐ傍に立つ魔法使いが、ひょいと何気なく覗き込んできた。

「なにを笑ってるんだ、嬢ちゃん」
「嬢ちゃん呼ばわりは止めろ。別にいいだろう、何で笑っていようが」
「気になるもんでね。――ははあ、あの坊やのことか」

図星をさされてむっと口をつぐめば、正直だねえおまえさんも、と返された。この男は苦手だ。昔からこちらの思惑を見透かした言動をとる。だがなぜか昔から話しかけてくることが多いので、仕方なしに応えてはいる。苦手ではあるが、その人間性は認めているからだ。

隣に立つ男は、すらりとのびた長身にブルーブラックの髪をまとわりつかせている。記憶の彼方にある姿は、当時としては当たり前の、短く刈った姿だったが、そうして長く伸ばしている姿も似合うものだ、と心の中では思っている。

セレネにおいておよそ500年、独りで放浪している際に髪を伸ばしたという話だったが、これはあちこちの街で騒がれたに違いない、と魔女は確信している。もっともその話はすでに聞かされたのだった。歌と演奏と容姿とが売り物の吟遊詩人として、セレネ全土を回っており、その名を馳せていたのだという。レジスタンスの仲間である老人からそう聞いた時には、なるほど、と思ったものだ。陽気なこの男が選ぶ職業としてはふさわしい。

それに、と思う。精霊の祝福によって不老不死を手に入れた唯一の魔法使いとしては、街に長居するわけにはいかなかったのだろう。

「坊やのことを本当にお気に入りなんだな、ネトル」
「まあ、あの通り、馬鹿がつくぐらい真っ直ぐで、それでいてしたたかな奴だからな。ギャップが眺めていて面白い」

珍しいか、と問いかけると、ものすごく、と頷かれた。
その反応に戸惑いを覚えると、魔法使いはにやり、と笑う。

「覚えてないかい、おまえさん。とかく人間嫌いの、男嫌いだった自分を」
「あれは長針で、子供だ。嫌う理由がない」
「だが坊やはおまえさんよりも年上だろう?」
「わたしはプラス500をしてもらいたいのだが」
「ははん。ただ眠っていただけの奴が何を云っているかね。俺みたいにいぶし銀の魅力を身につけてから云ってみな」
「いぶし銀の魅力?」

わざとらしい言葉のアクセントを加えてやる。どこがいぶし銀の魅力だというのか。男の瞳は確かに深みを増しているけれど、行動のあちらこちらは相変わらず陽気で、子供じみているくせに。口に出したりはしなかったが、思っていることは伝わったらしい。肩をすくめた。

ふと、真面目な顔をして魔女を見つめる。

「で、訊いてみたかったことがあるんだが」
「なんだ?」
「おまえ、ガイアへの移住が終わったらどうするつもりなんだ?」
「え、」

顔を見上げると、男は思いがけないほど真面目な顔をしていた。
ふいに息苦しくなって視線をそらす。

「ガイアに移住して、か――」

そういえば目覚めてこちら、役目のことばかり考えるのがせいぜいで、ゆっくりとそんなことを考えたりはしていなかった。

もうエターナルはやってこないのだったな。

竜族の夫を想う。
かつて魔女の命を救い、そして朋となってくれた竜族の長だ。彼はもう、この世から逝ってしまった。
あれほどいがみ合っていた親族もこの世にはもういない。ふと、自分は独りなんだ、という想いが強くこみ上げてきた。面に出したりはしない。ただ、遠く水平線を見つめることで、浮かび上がる涙をやり過ごした。

「なにも考えてなかったようだな、その様子だと」
「……ああ」
「ま、俺にいわせりゃ、あの坊やあたりが考えていそうだがね。それでも道が見つからなかったら云ってみな。一緒に行ってやる」
「一緒に?」

思いがけない言葉に顔を向けると、男は端整な顔に闊達な笑みを浮かべていた。海上を通り過ぎる風のような笑みに、心が揺らぐ。

「おまえさんは、案外さみしがり屋だから」
「別にそんなことはない!」
「あー、はいはい」

ま、これで自由になるんだ、ゆっくり考えな。そう云って男はくしゃくしゃと魔女の髪をかき乱した。そうかと思えば、くるりと踵を返して船室の中に入っていく。

力いっぱいかき乱されたものだから、まとめていた髪がほつれてしまった。溜息をついて、髪をほどく。白い髪が風に広がった。再びまとめようかと思ったが、髪の毛、ひと筋ひと筋に風が沁みとおっていく感触が心地よい。

だが。

「自由、か――」

呟いた言葉は我ながら虚ろな響きを宿していて、魔女は独りで苦笑していた。
アルセイドがいなくてよかった。そんなことをちらりと思う。

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