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「24時間、料理の注文を承ります。」

公開している創作を大幅に書き直して、2022年11月、文芸社より発行していただきました。

現在、発売中です。

試し読み

認められる条件として資格は有効でした。 (8)

『やれやれ。警戒心の強いこと』

 甘やかに響く声は、それまでの声とまるで違う。これは女の声だ。キリルが顔をしかめ、背後でカジミールが「きもっ」と叫んだ。まあ、ひげもじゃ男の口から、甘やかな女性の声は聞きたくなかったかもしれない。キーラは混乱したが、すぐに状況を理解した。

 魔道士に重なって女の姿が見える。憑依だ。別の場所にいる声の主、――まちがいなく魔道士だろう――が、縛られた男を道具とみなして、通常、無生物にしか通用しない憑依の術をかけたのだ。相手が生物だからこそ、完全に支配しきれない。その不完全さを、声の主は利用しようとしたのだろう。すなわち、こちらの警戒を解く材料として。

『これほど弱った男ならば、懐に入れてくれるかと期待したのに。つれないにもほどがあってよ? ルークスの王子さま』
「ご期待に添えず、申し訳ありません」

 にこやかな笑みをたたえたまま、アレクセイはまったく動じていない。セルゲイもだ。二人の反応に安心して、キーラは向かいの魔道士を見つめる。油断しないでおこう。相手はいま、会話を選んでいるようだけど、いつ、攻撃してくるか、わからないのだから。

「ですが、つれないのはあなたのほうでは? これほどまわりくどいアプローチをしていただくよりも、直接、お目にかかるほうが、わたしは嬉しいですね」
『あら。お世辞でもそう云われると嬉しいものね』
「本心ですから」
(……。……ええと)

 だが身構えたキーラは、続く二人の会話にまぶたを瞬かせた。
 なぜだろう、微妙に力が抜ける。それだけではない、心の隅っこが、微妙な感覚でさざめいた。ぞわぞわする。背後のカジミールがキリルに近づいて、こそこそ話しかけた。じろりとセルゲイが睨んでいるのだが、まったく気づいた様子はない。というか、無視しているのか。男たちの会話が聞こえる。

「偉大だよなあ、あいつ」
「ですよねー。なんで外見アレな男に、そういう愛想を云えるんだろう」
「声は確かに美女っぽいけどさ、外見アレだぜ、アレ。一気に萎えねえ?」
「そもそも機能するんですか、アレに?」
「……。声はいいんだけどなあ」
「……。ええ、声はいいんですけどねー」

 緊張感のかけらもない。睨み続けているセルゲイが何となく気の毒に思えてきた。マジメな性格ってこういう時に気苦労するよね、と、あまり他人ごとではない感覚でキーラは心の中でつぶやいた。緊張感がないのは自分も同じだ、と数泊遅れて気づいて、慌てて意識をアレクセイに向けた。ちなみにこの間も、アレクセイと女の会話は続いている。

「……ですがそろそろあなたがたの目的を知りたいところです。あなた方の望みは?」
『うふふ、叶えてくださるかしら。わたくしたちは、あなたが持っている紋章が欲しいの』
(紋章?)

 キーラはしっかり相手の言葉を聞きとがめた。
 それはアレクセイと会った日に見せられた、身分証ともなった紋章だろうか。ルークス産の琥珀を細工した、精緻な紋章だ。芸術品としての価値はあるかもしれないが、わざわざこのような手段で欲しがるものとは思えない。アレクセイをうかがう。すると彼は笑みを消して、厳しく引き締まった表情を浮かべていたから驚いた。

「あなたの仲間に、青衣の魔道士はいますか」

 唐突な質問だ。だがそう感じたのはキーラだけのようである。軽口をたたいていたカジミールもキリルも、もちろんセルゲイまでが魔道士に注目している。キーラは戸惑ったが、口をはさめる雰囲気ではない。もちろん、だれもキーラに解説などしない。だが、相手はアレクセイの質問の意味を理解したらしく、うふふ、ともったいぶるように笑った。

『彼に会わせてあげると云ったら、紋章を譲ってくださるかしら?』
「残念ですが、確約はできません。ただ、魅力的な提案ではありますね」

 あら、そお。相手はそう云って、探るように目を細めた。アレクセイは揺らぎのない態度でその視線を受けて立つ。生まれた沈黙は短くはなかった。やがて魔道士は告げる。

『では、次の満月の夜に、ここから西南に進んだ場所にある島に来てちょうだい。とても小さな島だけど、そこの紫衣のお嬢ちゃんならご存知よ』
(お嬢ちゃん?)

 ぴくりとキーラは反応した。女の呼びかけに、驚くほど苛立ちを覚えた。
 だが苛立ちを示すより先に、操舵室に飾られている海図に視線を向けた。現在地を見つけて、西南に視線を移す。島はいくつか見つかった。どの島だろうと考えて、相手がわざわざ自分を指名した意味に気づいた。もう一度、海図を見直す。あった。魔道士を見直すと、挑発的な笑みでキーラを見守っていた。苛立ちが増し、剣呑な眼差しでにらむ。

「フェッルムの島ね。素敵な招待場所だわ」
『わたくし、かよわい黄衣ですもの。紫衣のお嬢ちゃんとまともにやりあえるはずがないわ。ああ、もちろん王子さまとお嬢ちゃんだけで来てちょうだいね。他の方までいらしたら、怖くて上陸できないから、お願い』

 そう云うなり、女の気配が消える。がくんと魔道士はうなだれた。その様子から女がいなくなった事実に気づいたのだろう、皆の緊張がゆるむ。アレクセイが何事かを云おうとした、その前に、キーラは力を解散させた。まだ縛られたままの魔道士につかつかと歩み寄って、ぐい、とその襟元をつかむ。驚きの声が背後で上がったが、かまわず、ぱんと男の頬を張った。魔道士は低くうめいて、群青色の瞳が開く。キーラを認めて驚いたように目を見開くが、かまわずにキーラは口を開いた。

「その厄介な女とやらとはどうやって知り合ったの! どんな間抜け行為をしてこういう状況になったの。きりきり吐きなさいっ、きりきり!」

 こえええ、というつぶやきが聞こえたが、いまのキーラには大した問題ではなかった。

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