MENU
「24時間、料理の注文を承ります。」

公開している創作を大幅に書き直して、2022年11月、文芸社より発行していただきました。

現在、発売中です。

試し読み

間章(1)

 扉の向こうから喧騒が伝わってくる。

 すでに起床していたアレクセイは、手早く身支度を整えていた。まただ。耳を澄ませば、聞きなれたやり取りが聞こえる。「ええい、どけと云っているだろ!」「なりません、姫さま」「殿方がお休みの部屋に乱入など、はしたない!」「知ったことか!」、などなど、苦笑するしかないやり取りである。

 だがだんだんと声が近づいてくる事態に、のんきに構えていられる状況ではないと判断する。身支度を終え、壁に掛けられている鏡で自らの姿を確認した後、ひとつ息をついて扉を開けた。すでに穏やかな微笑が唇を飾っている。

「朝からにぎやかですね」
「アレクセイ!」
「アレクセイさま」

 居間の中央には、侍女と向かい合う形で男装の美少女が立っていた。

 生き生きとした表情がたいそう魅力的な少女は、アレクセイを見るなり、ぱっと表情を輝かせた。に、と、形の良い唇に笑みを浮かべて、腰に佩いていた模擬剣をずいと差し出す。

「さあ。今日こそわたしの訓練に付き合ってもらうぞ」

 やれやれ、とアレクセイは苦笑を浮かべた。

 まわりにいる侍女から、申し訳なさそうな、それでいて、すがるような眼差しが向かっている。事態の収拾を求めているのだ。客人に頼るなよ。素朴なツッコミをにこやかな表情に隠して、とりあえず、アレクセイは平凡な言葉でたしなめることにした。まあ、今朝も時間を稼げばいいだろう。

「訓練相手と見込んでくださるのは嬉しいのですが、わたしは朝食もまだなのです」
「食事など、訓練に差し支えるだろう。満腹では動きが鈍る!」
(なんともまあ、一方的な姫君だ)

 穏やかに微笑しながら、その実、心の内ではぼやいているアレクセイである。

 凛々しい騎士服をまとい、紺色の髪を無造作にまとめている少女は、とてもそうは見えないが一国の、すなわち、ここ、パストゥスの第一王女マリアンヌである。諸外国に名高い、『パストゥスの双玉』の片割れだ。だからこそ、アレクセイは時間を測っている。

(さて、そろそろのはずなんだけどな)

 息巻いている姫君を、丁重な態度で相手をしていると、廊下につながる扉、開け放たれたままの扉の向こうから「おねえさま!」と可憐な声が響く。聞こえたのだろう、マリアンヌはしかめ面をして、ち、と舌打ちして振り向いた。

「おまえも来たのか、ロズリーヌ」
「あたりまえですわ、おねえさま。今日もアレクセイさまのところに押しかけて、……ご迷惑でしょう」

 さやさやと衣擦れの音をさせながら、今度こそ、輝かしい姫君が現れた。

『パストゥスの双玉』のもう一人、第二王女ロズリーヌだ。マリアンヌとは対照的に、どこまでもしとやかな振る舞いが印象的である。いまも姉を咎めたのち、アレクセイに丁寧に頭を下げる。さらさらと紺色の髪が、細い肩から流れ落ちる。

「申し訳ありません、アレクセイさま。姉の無礼、わたくしがお詫び申し上げます」
「ロズリーヌ王女、あなたが頭を下げる必要はありません。頭を上げてください」

 やわらかく微笑めば、そっと頭を上げたロズリーヌはアレクセイを見返し、ほんのりと頬を赤らめる。妹の反応を見咎めたマリアンヌがにやっと笑う。なにか云い出そうとする姉の気配を感じ取ったのか、くるりっ、とロズリーヌは姉に向き直り、少し早口で告げる。

「おねえさま。今日こそ、おかあさまの説教が待ち受けていますからね。朝食の前に、おかあさまの元へ一緒に参りましょう」
「げっ。なんで母上がご存じなんだ。さてはおまえ、」
「わたくしがわざわざ申し上げなくとも、おかあさまはすべてご存じです。――――それではアレクセイさま、これにて失礼いたします」

 そう云うなり、ロズリーヌはなかなかあざやかな手つきでマリアンヌを捕らえた。

 逃れようとするマリアンヌに、余裕など与えない。ただ、しとやかなだけの姫君ではないと感じる瞬間である。去っていく姫君たちを見送る、アレクセイの苦笑は、あながち偽りではない。二人の姫君には困惑する瞬間もあるが、最終的には微笑ましいと感じるのだ。

「王女たちにはずいぶん、慕われているようだな、アレクセイ王子」
「畏れ多いことです。わたしのようなものには、いささか過分なお心遣いですね」
「……謙遜も、過ぎればいやみでしかないぞ。王子」

 王女たちが完全に立ち去ったのち、低い声で話しかけられた。

 視線を向ければ、見慣れた瞳が鋭くアレクセイを見据えている。紺色の髪に琥珀色の瞳、と、姫君と重なる色彩をまとった青年は、侯爵家に降嫁した王妹の息子だ。アベラール次期侯爵どのの凝視を受け流しながら、アレクセイは内心、やれやれとつぶやいている。

(王族とは、面倒な生き物だ)

 他愛のない好意すら、貴族の青年を動かす事件となってしまうのだから。

目次