王子と姫
「――気に入らないネエ」
キセルをぶらぶら揺らしながら、女が呟くと、たしなめるような眼差しを男が向けた。2人が向かう先には、端麗な容姿をした兄妹がいる。竜族がゆったりと海岸から離れていくさまを見送る様子は、実に皇族らしい品の良さに満ちている。ふと、こちらに気付きにこりと微笑む兄を見て、ますます女は顔をしかめた。妹の方は仏頂面で、女も気にした様子はないのだが。
「だが、これは初めから決めていたことだぞ。竜族の面々に面通しをさせる。その判定が良ければ」
「あたしらの活動にやつらを加えるってね、わかってるのサ。それでも」
気に入らない、と吐き捨てる女は、くるりと踵を返した。無言の行動は、後は任せる、と云う意思表示だろう。まったくわがままな女だ、とぼやいてしまったものの、男にも一抹の不安がある。自分たちは帝国に対するレジスタンス活動を行っている。その活動に帝国皇族を入れることは矛盾しているのではないだろうか。いくら王位継承権を奪われているとはいえ、本来ならば、行動の対象となる人物なのだ。
「隊長どの」
「俺はもう隊長ではない。ジェイムズでいい」
「ではジェイムズ。ギルドマスターどのにはわたしたちがお気に召さないようですね」
率直に云ってのけた人物を、男はまじまじと見つめる。そんな言葉ですら、楽しそうな様子で吐き出すのだ。
気に入らない、と告げた女の気持ちがわかると思いながらも、あくまでも表面上は軽く肩をすくめてみせた。
「女は気まぐれだ。あいつの考えることなど俺にはわからんね」
「率直にわたしたちの希望をお伝えしなかったことが悪かったのでしょうか」
「希望?」
警戒しながら言葉を続ける。ええ、と兄は返してきた。
「わたしたちの希望は、妹アルテミシアの退位です」
「兄上……!」
ほう、と男はさほどの驚きもなく元皇子を見つめた。そうだろうと思っていた。ただそこで同じ帝国貴族ではなくて期待するレジスタンスを利用しようというところが、男には興味深く、そして女には気にくわないと感じさせる部分なのだろう、と思っていた。妹が何事かを云っていたが、交渉相手として男はみなしていない。
「そしてその後に、あなたが帝位につくというわけかい」
「ええ。そして侵略を止めさせる。あなた方にも悪くないお話だと思うのですが?」
「たしかにそうだろうな。だがあんたは知らない」
一呼吸をおいて、男は告げる。
「帝国に向ける、憎しみの深さというものにな」
はっと妹の方は髪を乱してこちらを振り返った。ところが元皇子の方は揺らぎもしない。
やはり油断できない人物だ、と云う認識を新たにする。
「帝国という形をこの世から消滅させたいと願う人物が多いのだと云ったらどうする? 役所に駆け込むか?」
「いいえ、充分に想定内のことですから。それに、帝国云々のことを云っていられる状況ではありませんからね」
「なに?」
「このセレネが、死の世界に向かっている。人々はガイアに帰還しなければならない」
ぎくり、とした。それはアルセイドたちが主張していたことであり、彼らが人々に苦心して広めている話だ。
いずれ、このセレネを離れなければならなくなる。そういう話に頷くものは徐々に増えてきている。
それをなぜ、この皇子は知っているのか。否、知った上で、近づいてきたのか。
「そんなに驚かないでください。だからこそ、我々はあなた方の行動に加えていただきたいと思ったのですよ」
わたしたちが加われば、帝国兵をも説得できる。そうではありませんか?
元皇子が続けた言葉は、たしかにその通りだった。ジェイムズは唸るように告げる。
「あなたを気にくわないと云ったギルドマスターの言葉、たしかにその通りだと俺も思うぞ」
「おやおや」
さらりと風の音を聞き流すように微笑む。
この皇子はわかっているのか。自分たちが倒そうと云うのが、自分の妹であることを。
気にくわないネエ。ギルドマスターの言葉が改めて脳裏によぎる。
まったく同意だ、と男は感じたが、いまさらどうしようもなかった。