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「24時間、料理の注文を承ります。」

公開している創作を大幅に書き直して、2022年11月、文芸社より発行していただきました。

現在、発売中です。

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茶道部のおもてなし 第一章

目次

(1)

(やだ、最悪)

 朝起きて、二階の自室から洗面所に降りてきた乃梨子は、鏡を見て前髪が寝癖ではねていることに気づいてしまった。きっちり眉毛で切り揃えてるから、余計に寝癖が目立つ。あわてて水で濡らし、ヘアアイロンを使ってみた。それでもまだはねてる気がする。

(せっかくの始業式なのに)

 鏡の中から見返してくる自分は、おとといに出来上がった苑樹学園の制服を着ている。

 成長を見越してちょっと大きめに作られた制服は、やっぱりういているような気がする。おまけに寝癖がなおりきってない。なんだか子供っぽく見えるなあと考えながら、ちょいちょい前髪をつついていると、「乃梨子」と母親の呼ぶ声が聞こえた。ちょっと苛立ってる。後ろ髪を引かれる思いで洗面所を出て、乃梨子は台所に向かった。

「もう、時間がないのに何をのんびりしているの」

 そう言いながら、母親はトースターからパンを取り出した。大きな皿にはすでに、目玉焼きとサラダが並んでいて、さらに焼きたてのトーストがポンと置かれる。

「髪がはねてたの」

 そう言い返しながら冷蔵庫から牛乳を取り出してカップに注ぐ。一口飲みながらダイニングテーブルについて、食事を始める。母親はすでに食事を終えているようで、通勤カバンを持ち上げた。壁時計を見て、乃梨子を見て、せわしない様子で口をひらく。

「本当についていかなくていいのね?」

 トーストにかじりつきながら、乃梨子は苦笑した。

「母さん、わたし、もう中学二年生だよ。転入初日で親についてきてもらうほどの子供じゃない」

 大丈夫だよ、と重ねて言えば、母親は吹っ切った様子でうなずいた。

 食べ終えた皿は水桶につけておいて、と言って、バタバタと出ていく。そんな母親を見送って、乃梨子は醤油をかけた目玉焼きを食べる。壁時計を見れば、確かに時間の余裕はない。サクサク食べて、家を出るべきだろう。窓から庭が見えた。まだ雑草が残ってる。

(今日も帰宅したら庭掃除かな)

 いよいよ日焼けしちゃうなあ、と思いながら、乃梨子はため息をついた。

 この三月から、乃梨子が母親と暮らし始めた家は、母親の実家だ。

 祖父母はもう亡くなってるから、この大きな家に母親と乃梨子、二人で暮らしているわけだ。それまで持ってなかった自室を与えられることになり、乃梨子ははじめは喜んだ。でもじきに、大きな家ならではの不便さに気づいた。

 手入れが大変なのだ。

 毎日、一部屋掃除をすると決めているが、中には使ってない部屋の掃除も含まれており、乃梨子としては馬鹿馬鹿しい気持ちになってる。おまけに母親ときたら、もう使い道のない祖父母の遺品を大切に保存しているのだ。祖父母の古ぼけた衣服なんてもう捨ててしまってもいいのでは、と口に出せば、怒られた。母親はいろんな理由を並べていたけれど、乃梨子は納得してない。祖父母の服なんて、もう誰も着ないじゃない、と思ってる。

 食事を終えた乃梨子は、母親の言いつけ通り、台所の洗い桶に水を張って皿をつけておいた。自室に戻り、昨夜準備しておいた通学カバンを持ち上げる。

 家を出て、鍵をかける。

 向かい側の家から人が出てきた。父親とランドセルを背負った娘が会話しながら車に乗る。途中、玄関に立つ母親と目があったから頭を下げておいた。ゆったりと微笑み返され、見送られながら電停に向かって歩き始める。同じように通学通勤する人たちに混じって、電停に並んだ。あらかじめチェックしておいた電車の時間に間に合っている。

 ほっと息をついて、乃梨子は先ほど見かけた向かい側の家族を思い出した。

 自家用車で会社に通勤する父親が、ついでに通学する娘を乗せていく。

 その風景は、むかしの記憶を引っ張り出してきた。

 まだ中学に入学したばかりのころ、遅刻しそうになった乃梨子を通勤途中の父親が車で送ってくれていたのだ。いつもより遅く家を出ても朝のHRに間に合うからありがたかったし、ふだん忙しい父親と二人だけの会話ができる短い時間が、乃梨子は大好きだった。

 ----その父親は、今、別の家庭で乃梨子ではない子供の父親をやっている。

 電車に乗り込みながら、乃梨子はうつむいた。

 もう、終わったこと。もう、絶対に取り戻せない過去だ。

 そう言い聞かせながら、乃梨子はときどき、たまらない気持ちになっていた。どうしてこうなったんだろ。なにが悪かったんだろ。両親の離婚の理由は、ちゃんと教えられている。それでも、ときどき、自分が悪かったんじゃないか、という気持ちになっていた。

 電車はゆっくり進んでいく。

 腕を上げてつり革につかまりながら、窓から外の景色を眺める。電車の外にはまだ見慣れない建物が並んでいて、だんだんと心細さが込み上げてきた。

(これから毎日眺める景色に、こんな気持ちになるなんて、大丈夫なのかわたし)

 しっかりしろ、と言い聞かせたところで、何度目かに電車が止まる。

 何人か降りて、何人か乗る。そんな流れに、電車の奥側へ押された。ちょっと息苦しくなる。電停の名前を見ようとして、背伸びして気づく。

 私立苑樹学園の制服を着ている子が増えていた。

 いま、停まった電停から乗ってきたのだろうか。男の子と女の子の二人づれ。乃梨子からちょっと離れた位置に立ち、同じようにつり革につかまりながら、なにか話している。仲が良さそうだ。同い年くらいかな、と考えながら、なんとなく観察してしまった。

 対照的な二人だなあ、と感じた理由は、二人の髪色がまったく違うからだろう。

 男の子の髪は、まっすぐな黒髪で、女の子の髪は、ふわふわした茶髪だ。

 それから男の子はあまり表情を変えずに唇を閉じたままだけど、女の子はくるくると表情を変えながら、何事かを話している。電車の中だからか、声を抑えているんだろう。乃梨子のいる場所まで会話は聞こえないが、女の子の様子に、楽しそうだな、と感じた。

 ふっと男の子が乃梨子のほうに視線を向けた。

 見つめすぎたかな、と考えて、とっさに目を逸らしてしまった。逸らしてしまってから、いまの態度は不自然だったかも、と思いつく。おそるおそる視線を戻せば、男の子はもう、乃梨子を見ていない。ほっと安心して、目立つ二人から目を逸らした。

 背筋を伸ばして、窓の外の景色を見直したとき、心細さが消えてることに気づいた。

 単純だなあ、と、乃梨子は自分を笑った。

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