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「24時間、料理の注文を承ります。」

公開している創作を大幅に書き直して、2022年11月、文芸社より発行していただきました。

現在、発売中です。

試し読み

認められる条件として資格は有効でした。 (5)

「てええええいっ」

 気合を入れて、キーラは甲板をこする。手に持っている実の下で、じょりじょりと砂が音を立てる。木材の甲板が削れていくのだ。まだ朝も早い時間だから、空気はまだひんやりしている。甲板磨きでほてってきた頬に、冷たい空気は気持ちいい。ちょっと風を感じてぼーっとしていると、まわりで真面目にこすっている団員たちが目に入る。軽く反省。再び気合を入れて、半分に割られている木の実で、甲板をみがき始めた。

 甲板をみがくのは、これで三回目である。魔道士として雇われたが、ただ、お客さま立場で乗船している状態は、性に合わない。邪魔をしてしまう可能性も一応、考えた。それでもキーラは、アレクセイとアーヴィングに手伝いを申し出ていたのだ。

 最初は二人とも、手伝いは不要だと告げた。それでも食い下がると、苦笑混じりに差し出してくれたのが、甲板のみがき仕事だ。以来、キーラは早くに起きて甲板磨きに参加している。まだ三日目。でもだいぶ、慣れてきた。それはおそらく、傍にいるもう一人、

「どいてくださぁい、邪魔ですよー」

 いつも通りに涼しげな表情で、軽々と甲板をみがくキリルのおかげだろう。

 ずいぶん慣れた手つきで甲板をみがく。それも道理で、甲板のみがき掃除は、新人団員にまかされる仕事なのだという。キリルは一か月前に入団したというから、キーラのように気合を入れなくても、さっさと甲板を磨けるコツをとっくにつかんでいるのだ。いまも、自分にまかされた範囲をみがき終え、キーラを振り返って、ふっと笑う。

「よたよたですねえ。つらいなら休んでもいいんですよ?」

 明らかに勝ち誇った表情に、キーラはむっと唇を結んだ。

「だれが休むもんですか! 見てなさいよっ」
「おやおや。僕は親切で云っているんですけどねえ」
(くわあああっ。腹が立つ!)

 最初の印象はどこへやら、だ。傭兵団に似合わぬ繊細な美少年と思ってしまった自分が腹立たしい。さすがというか、キリルとて立派に鍛えた少年だったのだ(甲板磨きをうまくこなせる程度で鍛えたと云われたくないだろうが)。キーラが腕の届く範囲をみがいている間に、キリルはその倍をみがいている。慣れていないから仕方ないのだが、自分より弱いかも、と侮っていた相手だけに妙にくやしい。キリルは二人のみがいた領域を見比べて、いつもうれしそうだ。おかげで朝の甲板磨きは、そろそろ競争の様相を帯びてきた。みがき終え、他の団員たちがいなくなった甲板で、今日も二人の声がにぎやかに響く。

「はい。今朝も僕の勝ちですね」
「くっ」

 改めて敗北を思い知らされ、キーラはがくりと肩を落とした。
 かがんでいた腰が痛い。これだけ痛む想いをして甲板磨きにいそしんだというのに、今日も今日とて、繊細な美少年に負けてしまう事実。ああ、切ない。

「キーラさんはマジメなんですねえ」

 ふてくされたように両足裏を合わせて座っているキーラの頭を、隣に腰かけたキリルがポンポンと叩いた。女性にあるまじき態勢にはもはや追求しない。乗船してもはや四日目、いろいろなところを見せているからだろう。きらきらしい尊敬の眼差しも消えている。ありがたいことだ。いつまでも『紫衣の魔道士』として見られたくない。

 思いがけないキリルの言葉に、のっそり顔をあげてキーラは訊ねた。

「マジメって?」
「ほら、キーラさんは紫衣の魔道士じゃないですか。甲板掃除だって魔道で片付けようとは思わないんですか?」

 キーラは少しばかり唇を尖らせた。

「出来ないことはないけど、」
「やっぱり疲れます? 魔道を使ったら」
「そのくらいで疲れるなら、紫衣になれないわよ。……じゃなくて、まどろっこしいじゃない。手足は無事でちゃんと動くんだから」

 と云いながらも、手足のように魔道を動かせるキーラは複雑な気持ちである。
 他の魔道士ならキリルの云う通り、疲れるかもしれない。だがこれでも紫衣の魔道士だ。さらに加えて、呪文の詠唱すら必要としないキーラなのだ。魔道を使ってもおそらく掃除としての手間は変わらない。キリルの負担も減るだろうともわかっている。

 ただ、使いたくないのだ。このあたり、微妙な屈折心理が働いているが、そこまで話す気分になれない。いまはまだ。

 不思議そうに見つめてくるキリルに気づき、キーラは唸りながらも説明を試みた。

「なんて云えばわかってもらえるかな。たとえばね、人を攻撃したいと思うじゃない?」
「乱暴なたとえですねー。はい、そう考えました」
「あたしの場合、方法はふたつあるわけよ。こぶしで叩きのめす方法と、魔道でぶちのめす方法ね。で、あたしはこぶしで叩きのめすほうが好きだ、ってだけの話」
「意外に体育会系ですねー。とにかく、好みの問題で魔道は使わないというわけですか」
「そういうこと」

 なるほどなるほどー、とキリルはぴかぴかになった甲板を眺めた。太陽の光で、濡れていた甲板はすっかり乾いている。端整な横顔が満足そうな笑みを浮かべた。同じものを見たキーラも、気分よく笑った。

「結局、今日も負けたけど。きれいになった甲板っていいものね」
「だから雨の日とかは悲鳴をあげたくなりますよ。あんなにきれいにしたのに、って」
「げ」

 想像して、キーラは顔をしかめた。確かに一生懸命みがいた甲板が、雨風に汚れるさまは見たくないかもしれない。あわてて空を見あげてみた。うすい空に、ぽかりと浮かぶ白い雲。さんさんと輝く太陽、を認めてほっと息を吐いた。大丈夫、今日もよく晴れそうだ。

 不意に隣で、「あれ」と不思議そうな声があがった。思わず視線を向けると、キリルが眉をしかめて遠くを眺めていた。視線をたどる。みえてきたのは、黒く、ぽつんとした、

(船……?)

 だろうか。ただ、動きがおかしい。まるで風に流されているような、頼りない航行である。首をかしげていると、キリルが立ち上がった。靴に裸足を放り込みながら、キーラを見下ろす。いつになく緊迫した表情だ。

「様子がおかしい。団長に報告してきますっ」

 云うなり、船長室の方角に走り出した。キーラはとっさに操舵室を見つめる。船を操っている人はもう気づいているだろうか。そちらにも報告したほうがよさそうだ。

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