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「24時間、料理の注文を承ります。」

公開している創作を大幅に書き直して、2022年11月、文芸社より発行していただきました。

現在、発売中です。

試し読み

長い夜

身体を揺さぶる感触が、思ったより強い刺激だった。

ピクリと眉間を震わせ、アルセイドはまぶたをあげる。思わずあげそうになった抗議の声は、ドゥマの真剣な表情を前にして消えた。そして低く響くその音に気付く。こみ上げる吐き気を抑えて、ゆっくりと起き上がった。

たき火はすでに消されている。だが星の光で充分に明るい。月の位置からして、先ほどからそれほど時間も経っていないだろう。だがゆったりとした動きでその光をさえぎるものがある。

竜だ。

海から次々と上がっていく竜たちは、戸惑い警戒する人間たちをかまったりはしない。 ただ一つの方向に向かって進んでいる。 先程から響く低い音は、竜の身体と砂がこすり合わさる音だった。静かな、静かな行進だった。

「なん、だ?」
「わからん。とりあえずいつでも出航できるように船に戻ることにしたがな、お嬢が戻ってこねえんだよ」

はっとその言葉であの姿を探した。いない。 残っている船員はドゥマを入れて、ほんの数名になっていた。 警戒をあらわに、背中合わせに竜の行進をうかがっている。

竜と人、その様子を交互に眺めているうちに、アルセイドは気がついた。 竜たちが向かっているのは、長が眠るあの洞窟の方角である。 直感的に閃くものがあって、アルセイドはゆらりと立ち上がっていた。戻ってこない魔女。

――おそらくは。

「ドゥマ。船に行ってくれ」
「おまえは?」
「あいつを迎えに行く。――傍にいてやらないと」
(我が逝って、独りになるだろうあやつの傍にいてやってくれ)

豊かな声が脳裏によぎっていく。所詮は夢の言葉だ。従う理由などない。

――けれどあの魔女を独りぼっちにしておくつもりもないのだ。

なにかを察したものか、ドゥマは短く「わかった」と応じ、アルセイドの背中を乱暴に叩いた。 その勢いに押されるように走り始める。 満天の星の下、竜と共に進む。走り続ける。酔いなどとうにどこかに行っていた。

     *

ようやくたどり着いた洞窟の付近には、多くの竜が頭を伏せその場に留まっていた。 合間を歩いて洞窟に入ろうとする。すると一頭の竜が、制止するように、さらに頭を動かした。

『長針』
「通してくれ」
『ならぬ。長の死に立ち会えるのは妻たる短針だけだ』
(妻と云いながら、短針と呼びかけるんだな)

ささやかなことに苛立ちを誘われながらも、アルセイドは昂然と頭をあげた。

「その長に云われた。妻の傍にいてやってくれと」
『なに?』
「おまえは俺に、長の言葉を違えさせるつもりか」

容赦なく言葉を続けると、しばらくの沈黙があった。 だがやがて立ちふさがっていた体勢を崩し、洞窟への道を開ける。

アルセイドは頭を下げて感謝を示しながら、さらなる難問を感じ取っていた。魔女だ。彼が傷つけてしまった、小さな善き魔女はアルセイドを受け入れてくれるだろうか。いまさらのように怯む気持ちを抱きながら洞窟を進む。

――その場所は、不思議と明るい空間のままだった。

ぽつん、と、立つ小さな背中が見える。その前に横たわる巨体はピクリとも動かない。呼吸の気配すらない。 たまらなくなった。 だが歩みを進めることが出来ない。やはり怯む気持ちの方が強い。

「アルセイド」

振り向かないまま、呼びかけられる。静かな、静かすぎる声だった。 声をあげて応じると、振り向かないまま言葉を続ける。

「こやつ、わたしにたいして何か云っておったか?」

ああ、それが訊きたいのだと。 魔女の気持ちをようやく察して、アルセイドは目を細めた。

だが自分の感情は後回しにして、夢の中の記憶を探る。無い。彼女の要望に沿うものがないことに愕然とし、さらなる記憶を探るため額を抑えた。くすり、という笑声が聞こえる。

「なにもないだろう。わかっているのだ、妻と云っても、所詮ままごとに過ぎぬ。慈愛深き竜の長が、哀れな人間の小娘に慈悲をかけたに過ぎぬ。そんなことはとうに知っているのだ」

ずいぶん、自虐的な言葉だった。 小さな背中に対する痛ましさに眉を寄せ、それでもアルセイドはいつも通りの調子を装って云ってやった。

「泣けばいい」

今度はためらいなく歩みを進める。魔女は動かない。少しの距離を保って止まったアルセイドに、ただ言葉だけを返してくる。

「泣かぬ。仮にも長の妻たるものが、そうたやすく泣くことが出来ようか」
「おままごとなんだろ」

意識したよりも冷たい調子の言葉が口から滑り落ちた。ぴくり、と、細い肩が震える。

「だったら、妻たる責任も何も関係ないはずだ。大好きな竜が逝った。だから哀しい。泣けばいい。何もかも感情にゆだねて」

視界の隅で、ちいさな拳がぎゅっと形作られる。 魔女は背中を向けたままだから、アルセイドの云うがままに泣き始めたのか、それはわからない。 だが頭はうなだれ、細い肩は震え続けていた。 アルセイドは切なく目を細めて、巨体を見つめた。ピクリとも動かない。 おそらく目覚めぬまま逝ったのだろう。

(莫迦だな)

誰に対してのものなのか、とにかくアルセイドはそう感じていた。 自分よりもよほど逢うべき相手、逢わせるべき相手がいるではないか。なぜ、自分などを優先させたのだ。

――漠然と感じ取っている。
それはおそらく、『長針』という役割のためなのだろうと。

ならば。
真っ向からその役目に立ち向かってやる。
このセレネを滅びに導く存在であれ、そんなことは知ったことか。

それが家族を亡くし、故郷を亡くしたアルセイドが成すべきこと、
――成したいことだ。
いま、この瞬間にそう決めた。

魔女のために、などとは決して云うまい。 何よりも自分自身のため、そうしてやりたいと願った自分自身のために行動してやろう。

耳を澄ませば、微かに聞こえる哀咽を何時間でも聞き続けるつもりで、アルセイドは自らを押しとどめながら立ち続けていた。

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