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「24時間、料理の注文を承ります。」

公開している創作を大幅に書き直して、2022年11月、文芸社より発行していただきました。

現在、発売中です。

試し読み

風見鶏

「失礼します」

声をかけて入室する。窓際で静かに本を読んでいた女主人は顔をあげ、『お疲れさま』と声をかけてくれた。
ささやかな喜びを感じながら、マヤは云いつけられたお茶の用意を始めた。ふわりと香り高い茶の香りが漂うと、本から顔をあげて和んだように眼を細める。ああ、ようやくこの方は、重責から逃れることが出来たのだ、と実感する瞬間である。

女主人は、議会貴族たちから退位を迫られ、それを受け入れた。宰相イストールが行方不明となり、教皇ギメティウスも積極的に行動することがなかったため、アルテミシアの味方をする者がいなかったからである。少なくともまわりのものはそう信じているし、マヤも例外ではない。むしろアルテミシアがそれを受け入れてくれたことに心から安堵した。気質に合わぬ侵略をせねばならない立場など、やめてしまった方がアルテミシアの為だ。ただそう考えているマヤにも、気がかりというものはある。

それは女主人の境遇が、監禁という形を取られてしまっていることである。

議会貴族の立場からすれば、仕方のないことなのかもしれない。たしかに侵略は先の皇帝陛下が定めた国是である。 だがそれをより苛烈なものとし、レジスタンスの活動までも活発化させ、多くの兵士の命を失わせた責は彼女にあるだろう。

だからといって、監禁というのは手厳しいのではないかとマヤは思う。あんたは皇宮に務めきりなのだから、世間を知らないのよ、とメイド仲間は云うのだが、まるきり知らないわけではない。マヤとて、まわりの国々からアルテミシアが憎悪の対象となっていることくらい知っている。だが、アルテミシアはただ、先の皇帝陛下、――父君のお言いつけに従っただけなのに、とも思ってしまうのだ。

ある日、そんなことを心の中でぼやいていると、見透かしたようにアルテミシアは微笑んで告げたものだ。

「そんなことを思わないでください。むしろ議会貴族の皆は、わたくしの命を守るために監禁してくださっているのですから」
「アルテミシアさまを守るために、ですか?」
「ええ。あなたもご存じのとおり、わたくしは人々の憎悪をあおる政治しかできませんでした。その憎悪に突き動かされる人々から、わたくしを守るために兵を配備しているのですよ」
「ですが、それをずっと続けて行くんですか? アルテミシアさまが亡くなられる日までずっと??」

それじゃあなんのための退位なんですか、と告げると、アルテミシアは少しだけ悪戯っぽい口調で云ってのけたものだ。

「もちろん、議会貴族たちの利権を守るための退位です。決してわたくしの身を案じてのことではないのですよ、マヤ」

それに、と言葉を切って、消えそうな調子でアルテミシアは続けた。

「じきにそんなことを気にしていられなくなる状況になるでしょう。兄上、姉上たちがお戻りになるのであれば」

それは確かにその通りで、マヤもそれ以上の言葉を続けることが出来なくなった。なにより、平然としているように見えるアルテミシアが、消沈している一面もあるということを知って、なぜもっと気を配らなかったのか、と悔やんだほどである。

ともあれ、いまのアルテミシアは穏やかに毎日を過ごしている。図書室から書物を運びこませ、それを読んでいる毎日だ。古い書物、それも禁止区域にあるような本ばかりなので、危ぶむ意見もあるようだが、この穏やかさを目の当たりにしていると、ただ読書にいそしんでらっしゃるだけ、と感じてしまうので、出来るだけ静かにふるまおうと思っているのだ。

それにしても、とマヤは思う。

以前のアルテミシアは本を読むより、楽器をたしなむことの方が多かったと思うのだが、やはり心境の変化があったのだろうか。

部屋を退室する際、図書室への本の返却も云いつけられたので、そっとそのタイトルを確認してみる。すると古ぼけた本だと思っていたものは、本ではなく帳面であることが分かる。そして合間に皇宮の図面がはさまれていることも見た。マヤは首をかしげた。

(アルテミシアさま、何を考えてらっしゃるのかしら)

なにせ生まれ育った場所なのだ。皇宮の造りなど充分詳しいだろうに、それ以上をいまさら知ってどうしようというのだろう。

逃亡の意思がないことは確認している。ならばなおさら、といぶかしく思っていたが、他のメイドに云いつけられた仕事をしている内にそんな疑問は忘れてしまった。ただ、奇妙な感覚が就眠時まで続いていた。

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