MENU
「24時間、料理の注文を承ります。」

公開している創作を大幅に書き直して、2022年11月、文芸社より発行していただきました。

現在、発売中です。

試し読み

賢者の石

「状況を整理しよう」

別室にアルセイドと魔女を引き連れた男は、しばらくの沈黙の後にそう切り出した。その口元を手の甲で押さえているのは、3人きりになった途端、魔女が蹴りを放ったからである。「拳じゃなくて足が来るか!?」とかなんとか男はぼやいていたが、「それだけで済ませてやっているのだから感謝するがよい」という魔女の言葉に沈黙してしまったのだ。もちろん、痛みもあって沈黙せざるを得なかったのだろうが。

「まず、スティグマの和は成された」

窓際にあるソファに腰掛けながら、魔女は口に出して云う。その傍らに立ったアルセイドに、温かなまなざしを向けるものだから、アルセイドは視線をそむけた。照れているわけではない。彼自身にはその実感が乏しかったためである。なにより、

「まだだ。エルフ族、ドワーフ族、竜族、妖精族の意思を確認し、協力要請をすることは出来たが、人類すべてと魔法使いの意思確認が出来ていない」

云いながら魔法使いの男を見つめる。魔女によると、精霊の祝福を受けたがために、不老不死となった男は、この世で唯一の「魔法使い」という種族に分類されるのだ。彼の意思をアルセイドは聞いていない。

気を失った魔女を抱きかかえ、アルセイドの行動を見守る、と云った彼の言動しか聞いていないのだ。ましてや、当然のこととはいえ、説得するはずだった魔女がその魔法使いを蹴り倒す様子を見てしまったとあれば不安が残る。だが魔法使いの男はひらひらと手のひらをふって、アルセイドの言葉を軽く流した。

「いまさらだろ、それは。俺はこうして人間のレジスタンス活動に身を投じているんだぜ。魔法使いは人類と共にセレネを脱し、ガイアに移住する。最初の盟約に背くつもりはねえよ」

ふん、と、魔女が鼻で笑った。

「そのわりにはわたしを罠にかけるなど、やりたい方題してくれたものだな。精霊は理の内にあるもの、我が夫の魔法にそなたの力が及ばぬことを承知しておらなんだのは、ひとえにおまえの認識不足によるものだぞ」
「なりたくてなった、魔法使い、じゃないんでね。まあ、いい。それはお互いさまだろうしな」

魔女は再び鼻で笑い、魔法使いは豪快にどっかりと向いのソファに座った。長い脚を大きく組んで、ひじ掛けに片ひじをのせる。アルセイドもそれを確認して魔女の隣に腰掛けた。

これで魔法使いの意思確認は出来た。後は人類すべてをセレネからガイアに移住させることだが、それはレジスタンスの面々に頑張ってもらうしかないだろう。アルセイドが口にすると、てれびがありゃあな、と魔法使いがぼやいた。

「てれび?」
「聞くでない、アルセイド。所詮はこやつの戯言、過去の遺物だ。今、ここにない以上、それ以外の方法で人類に呼びかけるしかない」

ぴしゃりと告げた魔女に、ところが魔法使いはにっと笑う。ごそごそとポケットから取り出したのは、男の手のひらでは小さく見えるほどの石だ。変哲もない、ただの石。魔女はいぶかしげにその石を眺め、はっと息を呑んだ。その様子にただ事ではないものを感じて、アルセイドは魔法使いに向かって口を開いた。

「なんだ、それは」
「賢者の石さ」
「ケンジャノイシ?」
「物質を上位の物質に変換させるものだ。例えば、石を黄金に変えるとか、人形を人間に変換させる媒体となるものなのだよ」
「そして、空気のない世界を空気のある世界に変えることも出来る」

魔女の解説に続いて、魔法使いの言葉にアルセイドははっと息を呑んだ。それならばセレネの世界をこのままの状態にしておくことも可能だということだ。新たに示された道に、しかし、とためらいを覚える。

だがためらっている内に先走っていることに気付いた。こんなちっぽけな石ひとつでルナ全体を変えることが出来るはずがない。変えられるとしても、いまさら、流れに逆流するような提案はいかがなものか。

ところが隣に座る魔女は、きらり、と目を輝かせていた。険呑な眼差しで魔法使いを見つめている。

「おまえ、それをどこから手に入れてきた?」
「魔女?」
「魔法使いと云われながらも、おまえには賢者の石などというものを生成するつもりがないということは知っている。ならば、誰が生成したのだ?」

ふっと魔法使いは不敵に笑い、同時にアルセイドは顔をこわばらせていた。
まさか、それは。
くるりと石を手の中で回し、魔法使いは目を細めて告げる。

「これはな、たしかに俺が生成したものじゃない。拾ってきたんだよ」
「どこから!?」

もどかしさを抑えきれなくて、アルセイドが訊ねると、魔法使いの男は視線を流して応えた。
その眼差しには奇妙な好奇心と、冷ややかな観察とが同居している。

「帝国の皇都から。同じ材質の石畳が敷かれているあの都は、もしかしたら魔法が解けても、存在し続けることが出来るのかもしれないな」

アルセイドと魔女は絶句し、顔を見合わせた。魔女の瞳の中に、想像以上の嫌悪があることにアルセイドは気付いた。

「魔女?」
「賢者の石は、……賢者の石はな、人体から作るのだよ。他にもさまざまな方法はあるが、それが最も簡単な方法、と義兄上は仰っていた」

まさか、と、アルセイドも再びこわばらせた。そう云われれば、帝国における刑法はどのようなものになっていた? 死刑か、流刑。その二種類しかなかったように思う。ではまさか、帝国における犯罪者は。

2人の慄きなどに動じた様子もなく、魔法使いは黙ってその石を掲げ続けている。丁重に、そっと。
まるで命を抱いているかのように。

目次