MENU
「24時間、料理の注文を承ります。」

公開している創作を大幅に書き直して、2022年11月、文芸社より発行していただきました。

現在、発売中です。

試し読み

罪の記録

「まさかこのような形であなたに再会することになるとは思いませんでしたよ、ロクシアスさま」
「それはわたしの言葉だ、イストール。あなたはとうに、宰相の地位から退いたと思っていた」

帝国皇帝アルテミシアが遁走した以上、帝国の代表は宰相たるイストールと教皇ギメスティウスだ。ただしこの場に教皇の姿はない。神の名の元に、それが決まり文句の教皇には、危険が待ち構えるかもしれないレジスタンスたちとの面談は荷が重すぎたらしい。

すでにセレネ全土が帝国の版図となっている。やがて登場する魔女を討伐するため、という目的は瓦解している状態であっても、帝国の勢力は最高潮に高まっているといってもいいだろう。

にもかかわらず、レジスタンスが申し込んだ会談を受けたのは、そのメンバーの中に追放された皇子皇女がいたためである。いま、帝国皇帝の座は空白である。傍系の皇族から後継者を探しているが、その矢先に、皇位継承権を剥奪されたとはいえ、皇家直系の人間が2人も現れたのだ。見過ごすわけにはいかない、という議会貴族の主張に従った結果でもある。

つまり、帝国側のもくろみとしては、目的はあくまでも帝国皇帝の座を埋めることが出来る皇族の確保であって、抵抗勢力の言い分を聞くことではないということだ。宰相イストールの脇に控える、筆頭貴族たちの眼差しが雄弁にそれを語っている。国の代表としてこの場にいるイストールは、まぶたを伏せて、ふっと微笑みを浮かべて告げた。

「必要とされる限りは、誠心誠意、役職を務めます。それが父の望みでありますので」
「わたしも父の望みに従ってここに来たつもりなのだよ、イストール。人類の繁栄のために」

イストールの瞳とロクシアスの瞳が真っ向から立ち向かう。互いの意図を探り合う眼差しは、ロクシアスがまぶたを閉じることで途絶えた。そのままの状態でロクシアスは口を開く。おかしなものだ、と呟くように、けれども明瞭な声音で告げる。

「皇帝の座が空いている。しかしわざわざ傍系の皇族を探らなくとも直系の皇族が帝国にも1人いるというのに」

ぴくり、と、イストールの眉が動いた。瞳を開いたロクシアスは、イストールをまっすぐに見つめた。

「そうだね? イストール。あなたは父上とエルフの族長フィリシアとの間に生まれた子供だ」
「なんですと」

セイブル侯爵は思わず声をあげ、ツィール侯爵は薄気味悪げな視線をイストールに向けた。その視線にこそ、イストールが自らの出生を隠し通してきた意味がある。

魔女の討伐を侵略の目的に掲げることに異議を唱えないからこそ、彼らはこのセレネの真実をある程度知っている。エルフやドワーフという伝説上の生き物が実在することも。だからこそ、セレネ全土からその生き物たちを抹殺し、人類の領土を広げる。彼らは本気でそれを実行するつもりなのだったのだ。まさか。

(指導者である皇帝が、その目的に沿わぬ行動をしていたとは知ることもなく)

背もたれに背中を預け、細めた瞳でイストールは向かいに腰掛ける皇子を見つめた。
いかにも温厚そうで、誠実そうである。だがそれは、皇族ならば誰もが身につけることが出来る仮面だ。

例外は皇子の後ろに立つ皇女ミネルヴァ、そして遁走したアルテミシア。彼女たちだけが市井の人間と変わらぬ反応を返す。その仮面がない人間性こそが、彼女たちの美徳なのかもしれない、と最近は考えるようになった。

「……本題に入りましょうか、あなた方はセキルの街が消えた原因をご存じだとか」
「あなたがそれを知らないとは心外だよ、イストール。かつて、我々の先祖が竜族と交わした盟約通りに事態が運んだ結果があの消滅だ。こうなる前に帝国は、管理者として、人類をガイアに導くべきだった。その為の策を講じることこそ、管理者としての義務ではないかな」

困惑したように両侯爵が顔を見合わせていることを、イストールは気配で感じ取った。
彼らは、先の皇帝が云い渡した情報通りに動いている。このルナは人類にとって仮初の地であること、本来住まうべきガイアが回復したら直ちに帰還するべきことを知らないのだ。

正確には、その資料やその事実を知る人は、先の皇帝にすべて消された。25年という歳月は、真実を覆い隠すに十分な歳月なのだ。そして、その皇帝の意図は実ることなく、現状を迎えることになった。

(これが、罪か)

皇子が次に告げる言葉を予測しつつ、イストールは自らを断罪する言葉を吐いた。

「ならば、あなた方の要望とは?」

正義を行おうとする皇子の眼差しは、凛としていて曇りがない。その唇が開かれようとした時だった。

ざわめきが屋外から耳に届く。何事だ、とかつての調子で皇子が声を張り上げた。同席していたレジスタンスのメンバーが奇異の眼差しを向ける。とりわけ剣聖と名高いシュナール老の眼差しは冷ややかなものまでも含んでいた。慌てふためいた衛兵が扉を開く。その背後から現れたのは、アルテミシアとミカド・ヒロユキだった。ロクシアスは顔色を変え、イストールは大きく目を見開いた。馬鹿な、といううめき声が小さく聞こえる。セイブル侯爵だ。

「遅参いたしましたこと、まずはお詫びいたしますわ。レジスタンスの皆さまがた」

涼やかな声で云いながら、優美な足取りでイストールの元に向かう。イストールは立ち上がり、アルテミシアに席を譲った。その背後にミカド・ヒロユキが立つ。イストールはその隣に立ち、声をひそめてミカドを叱責した。

「なぜ戻ってきた」
「そう責めないでくれ、フィレラ」

懐かしい愛称に、そんな状況ではないのに、わずかに息が詰まる。アルテミシアが軽く金の髪を払った。もうつむじしか見えない。

「お久しぶりでございます、ロクシアス兄さま、ミネルヴァ姉さま」

アルテミシア、と呆然とつぶやいたのは、ずっと沈黙していたミネルヴァ皇女だった。アルテミシアはそちらに視線を向けることなく、まっすぐにロクシアス皇子を見つめる。皇子はわずかに青ざめているように見えた。

だがそれは気のせいだと思わせる様子でもある。先の問いかけに答えましょう、とアルテミシアは告げる。いかなる手段を用いたものか、先程までのロクシアス皇子の発言を聞いていたらしい。

「わたくしたちは、管理人としての義務を果たすつもりではありました。ただし、それは25年前に父である先の皇帝が、古くからの盟約に関する資料を廃棄したからこそ困難を極めるものとなったのです。そればかりではありません、人類がガイアに帰還する際、用いるべき『橋』までも極秘に壊されたことをわたくしたちは即位後に知りました。こうなった以上、わたくしたちはセレネに永住するしかない。そう見極めたからこそ、先住民族の討伐を決意したのです」
「乱暴な手段だね。仮初の客人である我々が、それを行うのは、恩知らずと云わないかい?」
「ではお聞きしましょう。他にいかなる手段がございましたか?」

アルテミシアの言葉は思いがけず的を得た言葉となっていた。
半ば驚きながらイストールは異母妹のつむじを見下ろす。

まさか戻ってくるとは思わなかった。
あのまま名を変え、市井の人間として生きていってくれるものだと考えていた。

「わたくしたちには人類を導く義務があった。だからこそ、人類が生き残る手段を講じなければならなかった。とすれば、増加しつつある人類の居住地を確保しなければならなかった。その為の侵略、そして、魔女討伐です。もっともその魔法消滅に対しては講じる手段がなかったのですが」

そこで、アルテミシアは微笑んだらしい。レジスタンスの面々がいっせいに目をみはる。イストールはわずかに口端をもちあげた。

「あなた方がその対抗手段を講じてくださったのですね?」
「――いかにも」

応えたのはロクシアス皇子ではない。ずっと沈黙を続けていたシュナール老だ。かつて、ミカド・ヒロユキの配下であった剣聖。軍から行方をくらまし、レジスタンスの客人として迎えられた老人は、幼きレジスタンスのリーダーを補佐する役目にあるという。

「おぬしらが討伐の対象として掲げていた魔女の協力により、ガイアへの帰還は可能となった。今日はそれを伝えに来たのだよ、アルテミシア皇帝」
「ありがとうございます」

涼やかに澄んだ、まっすぐな声で皇帝は礼を云った。シュナール老は微笑む。微笑むしかないという様子ではあったが、ともあれ、先ほどロクシアスに向けたような冷やかさはない。そしてアルテミシアは率直にその言葉を告げたのだ。

「もはや我々には管理者たる資格はありません。管理者としての権限、すべてそちらに譲渡しましょう」
「アルテミシアさまっ!?」

悲鳴のような声をあげてツィール侯爵は席を立つ。ほう、とシュナール老は目を細めた。ただし、と自らの兄姉に目を向けながらアルテミシアは続ける。

「第一皇子ロクシアス、第一皇女ミネルヴァの身柄を我々は要求します。彼らは追放されたとはいえ管理人としての義務を放棄した皇族であり、また、父皇帝の暴挙を止められなかった人物でもあります。とりわけ第一皇子ロクシアスは魔法の存在を知りつつ、父の追放を甘んじて受けた人物です。我々としては、侵略をせざるを得なかった責を問いたいのです」

容赦のない断罪に、ミネルヴァ皇女は青ざめる。ロクシアスは表情を動かさない。黙って妹の顔を凝視している。彫像のようになった顔は何を考えているのか不明だ。ただ、先程までのロクシアスの発言が、ここに至って、くるりと彼の立場を悪くしているのは確かだ。

25年前と云えば、ロクシアスはまだ幼子であった頃だ。とはいえ、魔法の存在を知っている。ならば先の皇帝の侵略という暴挙も、もっと違う重みで止めることが出来たのではないか。アルテミシアはそう云っているのである。

「――いや、そのお言葉はどうかと思いますぞ、アルテミシアさま」

シュナール老が温かな眼差しで告げる。ちらりとロクシアスの眼差しが動いた。

「彼らは我々の仲間です。いかなる理由があろうとも、仲間になろうという彼らを我々を受け入れた。その仲間を、まるで人身御供にするかのようにそちらに引き渡すことは、承服しかねますな」
「そうですね、ごもっともだと感じます」

素直に応じて、アルテミシアは立ち上がった。その動作ばかりは、即位して以来に身につけた威厳に満ち溢れている。イストールは微笑んでいる皇帝の横顔を見た。にっこりと、仮面ではない笑顔を浮かべ、心からの親愛を込めた言葉を告げる。

「いずれにせよ、感謝いたします。人類が生き残る方法を講じてくださった皆様に。管理人としての権限を譲渡するという、先ほどの言葉は撤回いたしません。皆さまの要求通りに動きましょう。それがかつての盟約に従うことになるでしょうから」
「承知、いたしました」

シュナール老は敬意を示して頭を下げる。

アルテミシアは歩き出し、その彼女を守るようにミカド・ヒロユキが寄り添った。ちらりとシュナール老と視線を交わしたようだが、結局は無言のままである。イストールも、両侯爵もその後に続いた。

困惑している両侯爵の気配を感じながら、イストールは口元に浮かぶ微笑を抑えることに苦慮していた。

第一皇子の意図はとうに目に見えている。優位にあるレジスタンスのトップとなり、ガイア帰還後に人類を治めること。それをアルテミシアが破壊しようとしたのだ。長く帝国に留まり続けた身としては、やはり痛快な想いを感じていることは否定しようがない事実だった。

目次